ぎすぎすした世界

東畑開人さんの「居るのはつらいよ」を読んだ。しばらく前に図書館で予約して、やっと順番が回ってきた。どこからこの本の情報を知って、どうして読みたいと思ったのか全く覚えていない。とても残念だ。

作者は臨床心理士で、かつてデイケア施設に勤務していたときの臨床体験が、実在しない設定で再構成された物語風の学術書だった。

最近、臨床心理士って何なのかという疑問を持ちながら生きていた私にとってはとてもタイムリーな内容だった。

臨床心理士は精神科医の次に心理に詳しい人のはずだ。人数もだいぶ少ないし、選ばれた人しかなれない職業なんだろうと思う。ということは、どんな気持ちも状況も理解してくれて、いかなる相談にも乗ってくれそうな気がする。私のように悩んでばかりの人生を送り、心理の端くれをかじった人間としては憧れの存在でもあるし、あわよくば心の拠りどころになってくれるんじゃないかと期待するほどの心のプロ、という印象もあった。

臨床心理士が何なのか問題は、定期的に心理士さんと面談があることからきている。自分の相談をしている訳じゃない。息子が不登校で適応指導教室に通っているため、その教室に常駐している臨床心理士の先生と月に1度は面談しなくてはならないのだ。多いときには週1になることもある。去年から通っているから、すでに十数回は面談している。その心理士が、相談者である私の話をまったく聞いてくれないので、臨床心理士という職業が一体なんであるかという疑問がずっと頭の片隅にあるのだ。(ここに詳しく書いてみた)

「居るのはつらいよ」を読んでみて、臨床心理士も我々と変わらない普通の人間だということがわかった。心のプロとは言え、頼りすぎるのはご法度のようだ。心という分野は診断名などがつき、服薬治療をすることもあるけれど、基本的に人それぞれの度数や傾向、特性の混ざり具合などが微妙に違う。まったく同じパターンなどあり得ないことのようにも思う。そうなるとそのすべてに対応し、どんな相談にも応じることなんて、できやしないのではないかと思う。心理士にも心がある。心を扱う人も、心を持っているのだ。逆に資格があって勉強してるんだから、なんでもやってもらえると思っていた自分に驚く結果となった。

この気付きは、作者が大学院を出て博士号を取得し、臨床心理士の資格を生かしたセラピーの仕事をしたいと思ってやってみた結果、4年で限界がきたという体験とも似ている。

デイケア施設での臨床心理士の仕事は、カウンセリングを主とするセラピー業務と日常を一緒に過ごすケアという業務がある。セラピーはたまに行う特別な行事で、だいたいは利用者さんと一緒に居る「ケア」という業務にあたるという。

作者は患者さんにセラピーを通じて心の治療をし、心の研究を続けようと思っていたけど、セラピーをし続けることが治療につながらないこともある、なんなら心をより苦しめることにもつながることもあると理解して絶望しているように思えた。セラピーをせず、ただ一緒に「居る」に付き添うことに限界がきたように思った。

そしてこれは、子育てや家事業務にも当てはまる。子育てにも家事業務において居ることは大前提だ。この本では居ることを「依存労働」という言葉で表している(依存労働とは、脆弱な状態にある他者をケアすること)
依存労働をするには、ケアされる側の他者とのつながりが必要で、つながりのない人に依存労働はできない。とは言え、このつながりというものはとても難しくて、つながりがあるからと言ってやり過ぎてもよくなくて、何もしない訳でもない。これが子育てや家事業務に通じるものがあると思った。
依存労働は相手ありきの「お世話」な訳だが、「人のお世話」という依存労働は、少しでもうまくいかないと世話する側の心をとても蝕むものだなと私は感じている。

デイケア施設における臨床心理士さんは依存労働も仕事のうちで、セラピーをするだけが仕事ではなかった。依存労働をしている間は、自分自身が臨床心理学に助けられていたという。臨床心理士さんであれ、お世話をしたあとには自分のケアをする必要があるということなのだ。
何を言いたいかというと、子育てや家事業務という誰かのお世話をしている母たちにも心の知識が必要だということだ。心に関係ない仕事をしていて急に子育てと家事が始まったら、混乱するに決まってる。そこに精神的な知識もなく、支えてくれる人もいなかったら心が病んでいくに決まってるのだ。

そんなことを含め感じたのが、心のプロも人間だということ。人間の心を持っているということ。どんなに心の勉強をしようとも、心のケアをせずには生きていけないんじゃないかということだ。

それがあらぬ方向に行くと、私が面談している臨床心理士ように人に寄り添うことを辞めてしまうのではないか。自分のケアをするのが面倒だから、人の心には寄り添わないことにする、誰かに心と気を合わせることをやめて、自分の思い通りに人を動かす方が楽だと思っていくんじゃないだろうか。(※作者はそういう人ではない。これはあくまで私の担当の心理士の話)

結局、人の心は本当に人それぞれで、浅いも深いも果てしない。深みにはまってしまったら、いつまでも落ち続けることになることもあるけど、それを救うことができるのは自分だけだ。自分を守るために他人との間に境界線を引く。自分を自由にするために、心理学を学ぶ。自分を自由できれば他人の自由にも寛容になれる。それが平和に、平安に、やさしい世の中につながっていくのではないか。そんなことを思った。

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