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部屋とキャリアと私


ご挨拶

こんにちは、6年ぶり2度目の転職に際し、さすがにキャリア一回まとめておきたいなーなんて俗世界にかぶれたシャバい感情になったので感情のまま筆をとろうと思います。実際は筆ではなくキーボードを叩いています。残念ながら退職エントリではございません、退職エントリは企業側からは何か言いづらいのをいいことに好き放題かけるからアンフェアです。アンフェアっていう昔のドラマ面白かったですね。私の内面の思い中心にお届けだ!私を知らないとまったく面白くないこと請負いだ!それでも誰かの何かのためになったら嬉しいです

注:性格上、真面目な文章はかけませんので真面目なPdMキャリアnoteだ!うひょー!みたいな期待値の人はX(旧Twitter)の世界へお帰りください

社会人前

そこからやるの!!!!と思ったあなた、どうせならいきたいじゃない。3秒だけお時間頂戴。3秒だけお時間頂戴って文章を読んでるだけで3秒たっちゃったよ、まったく。

大学生時代は意識低い系男子でお馴染みで目の前のお金集めに必死でバイトしかしておりませんでした。文系なのに人見知りということもあり、そもそも友達も4年間で2人でした。はい、文系です、よく理系って言われますが文系です。商学部です、経営勉強してました、何も覚えてません。就活となり、当時は自己分析というのが流行っておりまして、自分が本当に好きなモノを考えて志望動機につなぎます、なんもねーー、吉本いきてーーって思ってました。

ただぁ!

ドラえもんは好きでした。自己分析の中で、ドラえもんってなんだろうなあって内省したのは私くらいだったと思います。「えー、ドラえもんが好きとかかわいー!」「ドラえもんからキャリア考えるとか夢があっていいですね」って思ったそこのあなた。私は当時ドラえもんをITが生み出した道具、と結論づけて就活へ向かっています。

ということでドラえもんをつくりたいという理由一本でIT業界を志望します。他にも色々な業界の話は聞いてまわりましたが、IT業界を一緒に受けてる方々が人見知りでも喋れましたってのも大きいですよね。最終面接ではドラえもんと三国志の話しかしてないのに通してくれた会社に入社します。ちなみに芸人を目指すかマジで葛藤しましたが、その葛藤は2000000文字になるので割愛します。

大手SIer時代

ということで新卒としてNTT Dataに入社します。えー!サブタイトルでは大手SIerってぼかしたくせに社名普通にいうのー!という小ボケです。自分がいた会社名くらいはオープンにしてもいい時代って聞いてます。

エンジニア時代

SIer業界は多層になってるパターンが多く、事業会社からSIerがシステム開発を受注しますが、エンジニアリングはさらにSIerがパートナー会社から集っていく感じになっています。下記みたいな感じ!自分で書いた!えらい!

NTT Dataであんまりエンジニアリングをする社員って一部のガチ技術枠以外はそんなになかった記憶なんですが、自分は最初は書きたいなーって思いました。なんかかっこよかったから!3年くらいは頑張ってコーディングしてました、慣れてくると案外嫌いじゃなかったんですがある日、スーパーエンジニアに「君のコードは美しくない」と言われて、「あー、ね」と思って挫折しました。

ちなみにNTT Data時代はエンジニアからずっと同じ部署にいて、同じお客様でした。お客様名は言って問題になったらめんどいのでいいませんが、僕はそこ出身って思ってる人も少なくないくらい常駐もしてましたし、距離も近かったと思います。でかすぎるシステムや組織だとお客様ともなかなかコミュニケーションとれない場所もある会社なのでラッキーでした。

プロジェクトマネージャー時代

ということでSIerといえばプロジェクトマネジメントってところあるのでプロジェクトマネジメントの世界へGO!私は所属部署が当たりだったので、上司の方々も先輩の方々もスーパーPjM(めんどいから以降PjMね)が多くて、結構がっつり学ばせていただきました。はい、ひょっとしたら見られるかもと思って気を遣ってまーす。とはいえ、やはりお客様から受注してますからね、納期と品質を守るぞごらぁ!!という世界で、だいぶワーカホリックしてました。仕事→合コン→仕事みたいな毎日でした。え?
働きすぎてめっちゃ死ぬかと思いましたけど、この時代の上司と仲間がキャリアの礎説もあります。当時めっちゃ俺様スタイルだった私を殺さないでくれた皆様に感謝しております。反省してます。直属の先輩/後輩だった人にはずっとすいませんって思ってます。

この頃は結構客先行き来や、常駐パターンも増えてきていてお客様とも結構仲良くなります。何のために何をつくるって考えるお客様と、それを最速最強につくるにはを考える自分たちとって感じで楽しく会話してました。お客様の尖った新入社員とセットで動いた時はとても楽しかったですね。ここ、伏線ね。

スクラムマスター時代

自分のキャリアの中でもハイライト一個目はこのへんかもしれないんですが、当時AgileとかScrumとかリーンとか世の中で流行り始めたくらいで、新しもの好きのお客様が、いれるぞ!てめえらの会社も誰か手伝え!って言われて、気づいたら僕がノミネートされてました(まあそういうキャラ認知をされるように生きてはいた)。

もう5年以上前の話だからイメージつかないかもですが、安心安全のNTT Data様だとなかなかリスキーな開発スタイルなので結構導入リスクあるんですよね。どういう契約形態で結ぶかとかも当時難しかったし、まあそこはえらい人たちがなんとかしてくれて、私は純粋にスクラム導入と立ち上げを楽しんでました。これは楽しかったねー、楽しかったですねー。さっき言った「何のために何をつくるって考えるお客様と、それを最速最強につくるにはを考える自分たち」ってところの境界線がなくなる1チームの感じがとても楽しかった。楽しすぎて記事書いちゃってるもん。スキ!一桁だけど。

超大規模オフショア開発時代

そんなスクラム開発を経験して、あー、もっとつくる理由と最速最強の作り方を同時に考えたいなーって思って、正直そのへんで事業会社へ転職しようと思ったのですわ。思ったのですが、そのタイミングで超大規模オフショア開発の話があがりそちらへ異動。たしかに、たしかにね、せっかくSIerにいるのにオフショア開発だけ未経験だったのよ。やってないのもったいなくない?飛行機乗れないけどもったいないなと思ってやってみることにしたわけざます。

ここは、なにかをつくるためのHowの総決算って感じでのぞんだ2年でしたね。レガシーコードに対して数の暴力でオフショア開発を活用しながら重要な機能は今までのやり方で進めるとかめっちゃ持ってる知識を駆使した気がする。なんか色々トライした記事も書いてたぞ!スキ!一桁だけど

メガベンチャー時代

ということでLINEに転職します。ボケ方は天丼です。転職した理由は転職した時にnoteに書いてました。今読み返すと綺麗事だなあと思わなくもないですが、とりあえず「何のために何をつくるって考えるお客様と、それを最速最強につくるにはを考える自分たち」ってところの境界線がなくなる方が楽しい!って思ったからですね。そうだよなあ、俺、ドラえもんつくりたかったんだもんな。まあSIerっていう仕組み的にどうしても受注発注の関係にはなるから自分の楽しいこととはここから先はずれそうだなって感覚です。SIerもめっちゃ楽しかったですが

なんでLINEなの?ってところはまあ前職のお客様で楽しかった人に誘われたからっていう伏線回収くらいしか理由はないんですが、そんなもんすよ。人生。一応伏線回収。さっきでてきた尖った人。

プロダクトマネージャーみならい時代

プロダクトマネージャー(こっからあとはPdMでいくからなおまえら)って職種になりました。明確に職種転換ですね。PjMからPdMで急に活躍できるのー?企画とかUIとかUXとか素人でしょー?って目で見てくる人、できるよ!PdMはいろんな能力求められるからね!プロジェクトマネジメント能力も求められるからね!自分はプロジェクトマネジメント能力を強みとしたタイプのPdMってだけ。どうせ一人で全部はできないんだから強み部分で信頼貯金つくって、周りのスペシャリティある人たちと連携して持ちつ持たれつって感じでやっていけたかなあ。

実際どういうステップだったかってのが、何かの参考になる人がひとかけらでもいればって意味で書きますね、最初は大規模リニューアルプロジェクトにPdMとして入りました。これは強みを活かせるのでだいぶよかったです。自然に身についてるプロジェクトマネジメントを自然に実施して「おー!」と言われる感覚。もちろん他は全然わからず、聞いてばっかりなんですがなんか組織ケーパで弱かった部分を補填できそうだなという感覚で認知されていきました。あとはユーモア、とてもユーモア、僕ってユーモア。個人的にはPjMからある程度規模の大きいプロダクトのPdMってめっちゃ相性いい職種変更だと思います。

実際にPdMのワークでとまどうことなんて死ぬほどあると思うんですが、結局プロダクトを使う人の何を幸せにしてやるかを突き詰めることが全てだと思うのでそこに立ちかえられれば何とかなった気がします。なんか私とチームメンバーの企画記事はオフィシャルなnoteででてました、貼っていいのかわからん、貼っちゃえ!全部で6回くらいあるシリーズだけど、スキ!はあんまり伸びませんでした。

組織長時代

会社に見る目がなさすぎて、PdMの組織をマネジメントすることになりました。成長中のプロダクトを担当していたこともあり、チーム数や人数は数年かけてガシガシ増えていきました。この頃、、、、楽しかったな。なんかこう、もともと自分の能力に自信がない of the yearの受賞歴がある自分として、個人戦だけじゃなくて、チーム戦にできる、チームで最高のものをつくっていくっていうのが非常にタイプにあっていてチームビルディングとか組織論とかに興味をもっていきました。会社見る目あったんかい!

自分のポリシーは結構シンプルで、「リーダーの限界が組織の限界にならないこと」「明るく楽しく激しく」の2個でした。両方とも前職上司のパクリ受け売りです。

当然ですが組織変遷はめちゃめちゃ悩むこともあって、一回何かの間違えで出させていただいたPdMなんとかっていうイベントでも発表させていただきました。

PdMのキャリアについて考えたい時代

組織長をやっていく中でPdMのキャリアにぶちあたります。いやーーー、あたいアラフォー(公式プロフでは24歳)になるんだけどこの先のPdMってなにやるんだろうなあ。一生現場!って顔してないしなあ、組織のことばっかり考えてるからプロダクトに触れる時間減ってるしなあ。ゴミ人間だなあ。って思うようになります。

時間軸はやや前後しますが、新卒でLINEに入社した自分のチームメンバーから「中途でPdMは強みがあって入ってきている、新卒PdMは誰を目標にすればいいかわからない」という悩み相談を受けます。まだ新卒PdM採用自体がそこまでされてない時代です。この悩み相談に国家資格キャリアコンサルタントを保有する私はちゃんとこう答えます。「ぐぬぬ」

このままだと私が無能に思われる!という恐怖から、キャリアデザインという学問があることを学び、勢いで大学院へ入ります。無能に思われたくない一心で大学院までかますアプローチ。PdMのキャリアというテーマで研究し、修士論文まで書いたぜ野郎ども!欲しいヤツは声だしな!Put your hands up!
はい、もちろんそんなすごい結論なんかだせるほど時間もなかったのと、あと、お気づきの通り、私の文体が非常にアカデミックに向いていないということもありまして修論としてはショボい出来にはなってるんですが、まあ自分なりに研究はできました。一部抜粋。

 本論文はキャリア・エスノグラフィー手法を用いて、日本にイノベーションを生み出す存在としてのプロダクトマネージャーに関する組織と個人特性の因子を分析してきた。エスノグラフィーの対象とした日本発大規模プロダクトを運営する IT 企業 A社では、プロダクトマネージャー職に対して会社レベルで権限委譲、現場主義の文化が存在した。結果、プロダクトマネジメ
ントの組織でも各メンバーに権限委譲して業務が成立することを組織設計の重要な指針としていた。
 人によっては放任ともとれるような状態にはなっているが、その中で特定の因子を持つ個人は活躍をし、組織の中でも一定の評価を得ていた。その因子とは、(1)経験プロダクト数の多さ、(2)自己内省を活用したステークホルダーマネジメント手段の形成ができること、(3)持続的な確動性である。一方で、プロダクトマネージャーを担当する以前に持ち合わせている前職での
スキル等は個人の特徴のひとつにすぎず、むしろその要素を持った個人という内省のもとでうまく活用することが成功につながっていた。

私の修論

なんのこっちゃ!!!ここだけみてもなんのこっちゃ!!!!修論ってこんな軽いノリで抜粋していいの?自分のだしいいよね?いい、OK

ということでPdMの個のキャリア、そして組織の在り方について考え尽くしていた2年/3年というところでした。

会社合併時代

LINE社はヤフーと合併し、LINEヤフー株式会社となります。ちなみに退職に関して、合併が嫌だから辞めるではございませぬ。以後お見知りおきを。
むしろ組織開発に興味がある身としては、LINE社とヤフー社、タイプの異なる会社同士が合併した時、何が起こるのか、特に現場ではどういった感情、会話、解決策がうまれていくのか、組織論好きとして非常に興味があったのでしばらく残ろうかなと思ったくらいでした。

ここは結構興味もあるのかもですが、まあ僕のキャリアとは直接は関係ないこともあり省きます。(あと怒られそう、怒られるの嫌い、怒られたくないからここまできた、興味あれば寿司おごってください)

唯一キャリアと関係がありそうなポイントがあるとしたら、PdMという職種別採用をしていたLINE社と、企画職という形で事業からプロダクトまで一括して所掌範囲としていたヤフー社の企画融合でしょうか。その融合はまだ始まったばかりですが、やはり日本の会社って職種ではなくて現場によって所掌範囲や評価基準違うからおもしれーっ、おもしれーけどこれは大変だなーと実感でございます。

大海賊時代

ということで、退職になります。ネガな理由ではないです。組織開発という大きなテーマをもっと専門的にもっといろんな事例と共に勉強したくなったのが理由です。会社名はそのうち。一人一人の限界を超えて、チーム・組織がうまく回った時の爆発力をキャリアの中で何度も見てきたのでその面白さをもっと世の中の組織長にも伝えていきたいです。

ドラえもんファンが書いた理想の最終回というのが世の中には出回ってまして、その中のひとつに、ドラえもんがある日壊れて、のび太が科学者となりドラえもんを直して動かすという話があります。でも俺、のび太ひとりじゃ無理だと思うんすよ笑、少なくとも出来杉くんは一枚噛んでると思うんすよ。のび太と情熱と出来杉の知性の二軸でチームを構成し、ジャイアンの統率力、スネ夫のステークホルダーマネジメントと資金調達力、静ちゃんの風呂力をフルに活用する組織を組閣したとしか思えないんですよ。組織開発ってそれくらい力があるなって思ってます。まだドラえもんはつくりたいです。

おしまいに

ということで、会社には属するんですが面白いことには目がないので、なんでもお誘いください。DMください。とりあえずやってみるスタンスです。人見知りなのでもし誘う時はいっぱいしゃべってください。


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