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将来のためのお金より大事なもの

こんなタイトルを付けていて言うのもなんだが、「将来」という言葉は乱雑に扱うものではないと思っている。

「将来」という言葉はとても曖昧で、仮に30年後の未来のことを言っているとしたとしても、そのときまでぼくの心臓は動き続けているかわからないし、脳は正常に動いているのか(今ですら怪しい)し、世の中は日本円などの法定通貨が使われ続けているかどうかもわからない。

わからないことだらけなので、そういったことを考えることに時間を使い続けるのは娯楽にはなるけれども特にそれ以上の意味はない。そんななか、将来に関することでとても引っかかることがある。

それは「社会」を生きる多くの人間が「将来のためのお金」というものについて必死こいて考えたり心配したりしているからだ。

たとえば「将来のために年金を払いなさい」という社会はとても変テコだとおもう。今生きているお年寄りたちのために国にお金を出せと言われれば納得してお金を渡すことができるのに「60歳以降になれば年金が貰えるよ。iDeCoとか使えば貰える額はもっともっと増えるよ。将来は安泰だね」とかいう謎の呪文を投げかけてくるのはまるで低脳な営業マンの台詞のようだと感じる。今の老人たちを支えるためなら積極的に払おうという気になるところをなぜか「将来のためのお金」の心配をさせることで国民からお金を徴収しようとするのは凄く変だな〜と思う。

そういった国の年金制度に関する疑問はあるんだけど、それと同時に多くの人間がそういったものに乗っかかるのも変だな〜と思う。

たとえば「老後の資産を形成しましょう」みたいな話。ぼくは今25歳なので60歳まであと35年もあるのだが、2055年に社会がどうなっているのか、自分がどうなっているのか、なんてことはどれだけ考えてもわかる気がしない。なぜなら35年前の1985年にはスマホも仮想通貨(暗号資産)もトランプ大統領も誕生するとは誰も予想できなかったからだ。スマホで仕事をする世界線なんてなかったし、リーマンショックや東日本大震災やコロナ禍が起こるなんて想像していなかったし、1985年の世界はまだ冷戦の終結前だった。そもそも1985年はぼくの生まれるずっと前だ。

なにをどう頑張ったら35年後の社会を予測することができるのだろう。しかし、多くの人間が年金とはまた別の「資産形成」とやらのために、身を粉にして働いている。あまりにも変態的な行動なのでヤバイ系の粉でも飲んでいるのかとすら思ってしまう。(言いすぎた)

ぼくが「将来のお金」より明確で大切だと思うのは「じぶんの身体」だ。お金は社会変動で価値が吹っ飛んだりすることがあるけど、身体は事故などに合わない限り吹っ飛んだりすることはない。

特に大事だと思うのは「睡眠」だ。睡眠不足は癌などの病気リスクを格段に上げることが科学的に証明されている。逆に言えば毎日スヤスヤ寝ることが癌予防になる。また、レム睡眠中の「夢」には嫌なこととか不安なことを和らげる役割があるから、良質な睡眠は精神衛生的にも重要だ。

あと、これはあまり知られていないのだが、睡眠を十分に取るか取らないかで「年収」が大きく変わるということが証明されている。もちろん年収なんてものは1つの指標でしかないので参考程度に知っておけばいいんだろうが、「将来のお金」を必死に稼ごうと睡眠時間を削ってまで働くのは日々のパフォーマンスを大きく落とすことになり、結果的に得られるはずだった多くのお金を失うことになる。

とにかく言いたいのは、「将来のためのお金」ほど曖昧で不明確なものはないし、そんなことを考えるなら自分の身体のことを心配しろよ、ということ。

寝る前までテレビやスマホをみていると、寝るために大切なメラトニンというホルモンの分泌が妨げられる。身体に鞭打つためのコーヒーや飲み会に参加して飲むアルコールは、間違いなく良質な睡眠を奪い、身体を蝕んでいる。

曖昧でよくわからないもののために身を削る前に、「いま既に所有している自分の身体を労ってやれ!」と声を大にして言いたいところだ。








里芋です。