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【チャイニーズファンタジー】中国の怖くない怪異小説 第8話「緑衣の美少女」

緑衣の美少女

 
于小宋(うしょうそう)という若者がいました。
科挙の受験準備のため、山中のお寺に部屋を借りて、
日夜、勉強に励んでいました。

ある夜、ふと窓の外を見ると、若い女の子が立っています。
「于の若さま、精が出ますわね」
と声を掛けてきました。

こんな山奥に女の子がいるなんて、おかしいな・・・
と首をかしげている間に、少女は扉を押して、中に入ってきました。

「精が出ますわね」
と、また声を掛けられ、于はびっくりして立ち上がりました。

見ると、少女は、たぐいまれな美しさで、
緑のスカートに、透き通った薄絹の衣を着ています。

「なにをそんなに驚いてらっしゃるの? 
わたしがあなたを食べちゃうとでも?」

少女は、両手に収まるくらいの細い腰を揺らしながら、
ふわりふわりと于の周りを回ったかと思うと、
いつの間にか、スッと姿を消しました。

次の夜も、少女はやってきました。
そして、またその次の夜も・・・。

こうして日がたつうちに、于は、いぶかる気持ちがなくなり、
少女がやってくるのを待ち遠しく思うようになりました。

「君の声、きれいだね。ぼくのために、一曲歌ってよ。
きっと魂も抜け出る思いだろうなあ」 

「あら、では、やめておきますわ。
あなたの魂が抜けちゃったら、たいへんですから」

于が、どうしても、とせがむと、
「しかたありませんわね。でも、人に聞かれたくないので、
小さな声で歌いますけど、勘弁してくださいね」

そう言うと、少女は、小さな足でリズムを取りながら、歌いはじめました。

ハエの羽音のようにかぼそく、やっと聞き取れるほどの歌声でしたが、
耳を澄まして聞くと、清らかな音色となめらかな抑揚が、人の心を揺さぶる美しさでした。

歌い終わると、戸を開けて、外をうかがい、
「だれかに聞かれたら、たいへんだわ」
と言って、部屋の外に出て、周囲をぐるりと一回りして戻ってきました。

しばらくすると、少女は急に、
「わたくしたちのご縁も、今夜かぎりかもしれません」
と言い出しました。

于が慌ててわけをたずねると、少女は、
「胸騒ぎがするのです。もうおしまいですわ」
と言うので、于は、
「胸がドキドキ、目がチカチカなんて、よくあることさ」
と、少女をなだめました。

夜が明けると、少女は、戸を開けて、出て行こうとしましたが、
ぐずぐずとためらって、引き返してきました。

そして、于に向かって言いました。
「いやな予感がするのです。
わたしが帰るのを見送ってくださいませんか」

于が起き上がって、いっしょに戸外に出ると、
少女は、また念を押すように、頼んで言いました。
「わたしが塀を越えていくまで、ずっと見守っていてくださいね」

ところが、まだ眠かった于は、少女が回廊を曲がって姿が見えなくなると、すぐに部屋に帰って寝ようとしました。

すると、突然、
「助けて!」
と、少女の叫び声が聞こえてきました。 

于は、声のする方向に駆けつけ、あたりを見回しましたが、
少女の姿は、どこにもありません。

声は、軒先から聞こえてきます。
ふり仰いでよく見ると、そこには石弓の弾ほどもある大きなクモが、
何物かを捕らえていました。

クモの網を打ち払い、まつわりついたクモの糸を取り除いてみると、
それは緑色の蜂で、ぐったりとして、今にも息絶えそうでした。

于は、蜂を部屋に持ち帰り、机の上に置きました。

蜂は、しばらくの間、じっと静かに横たわっていました。
ようやく動けるようになると、ゆっくりと硯に這い上っていき、
墨汁の中に身を投げ入れました。

そして、硯から這い出ると、身体をくねらせながら、
机の上をぐるぐると這い回り、文字を書きはじめました。

ようやく「謝」(ありがとう)の文字を書き上げると、
羽をひろげて、窓から飛び去っていきました。

この日から、少女は、もう二度と姿を見せなくなりました。

【出典】

清・蒲松齢『聊斎志異』

【解説】

 清・蒲松齢の怪異小説『聊斎志異』は、約五百篇の物語を収めています。
妖しげな雰囲気の中で、異類や幽霊と人間とが交わる浪漫を描いています。
 とりわけ、異類の女(狐女や花の妖精など)と人間の男(主に書生)との交わりを扱ったものに、詩情豊かな名篇が多く残されています。
 この話では、女心に鈍い書生于小宋が出会った少女は、蜂の妖精でした。「透き通った薄絹の衣」「細い腰」「かぼそい歌声」「周囲をぐるりと一回り」など、作者は、蜂の形態や習性を連想させる表現を幾つも重ねて描き、少女が蜂の妖精であることを暗示しています。
 読者は、読み進めるうちに、しだいにそれがわかってくるのですが、一人主人公の于だけが、最後の場面に至るまで気づきません。
 ちょうど、芝居「白蛇伝」を観ていて、女の正体が大蛇だとなかなか気がつかない許仙にやきもきするような緊張感を読者に与えています。


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