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【漢詩で語る三国志】第4話「遥か赤壁に偲ぶ、千古風流の人物」


赤壁の戦い~三国鼎立の幕開け

 建安五年(二〇〇)、曹操は「官渡の戦い」で袁紹を破り、中原に覇を唱えると、いざ天下を取るべく、大軍を率いて南下する。

 孫権と劉備は、同盟を結んでこれを迎え撃ち、建安十三年(二〇八)、「赤壁の戦い」で曹操の大軍を打ち破る。かくして、魏・蜀・呉の三国鼎立の時代が幕を開ける。

 「赤壁の戦い」は、史書の記載では、ごく簡略に述べられている。ところが、小説『三国志演義』では、多くの虚構を盛り込んで、最大限に話を膨らませている。

 清代の学者章学誠は、『三国志演義』について、「七分の実事、三分の虚構」(史実が七割、フィクションが三割)と述べている。
 「赤壁の戦い」は、とりわけフィクションの要素が多く含まれ、物語最大の山場となっている。

 諸葛孔明が、江東の群儒と舌戦する場面に始まり、奇計を用いて十万本の矢を手に入れる「草船借箭」、周瑜が黄蓋を棒叩きにして曹操を欺く「苦肉の計」、龐統が曹操の船団を鎖で繋ぐよう仕向ける「連環の計」と続き、黄蓋が偽の投降を決行し、最後に、孔明が七星壇で祈禱して東南の風を呼ぶ。
 こうして、大戦の前哨戦として、双方が智謀の限りを尽くして戦う数々のエピソードが積み重ねられている。

草船借箭

蘇軾、千古風流の人物を偲ぶ

「赤壁の戦い」は、古来、多くの文学作品の中で、語られ、歌われてきた。中でもよく知られているのが、北宋・蘇軾の詞「念奴嬌 赤壁懐古」である。

   念奴嬌 赤壁懷古  念奴嬌(ねんどきょう) 赤壁懐古(せきへきかいこ)
                              宋・蘇軾
  大江東去
  浪淘盡 千古風流人物  
  故壘西邊 
  人道是 三國周郞赤壁  
  亂石崩雲 
  驚濤裂岸 
  捲起千堆雪 
  江山如畫 
  一時多少豪傑 

  遙想公瑾當年 
  小喬初嫁了 
  雄姿英發 
  羽扇綸巾  
  談笑閒 強虜灰飛煙滅  
  故國神遊  
  多情應笑我  
  早生華髪  
  人閒如夢  
  一尊還酹江月

大江(たいこう) 東(ひがし)に去(さ)り
浪(なみ)は淘(あら)い尽(つ)くせり 千古(せんこ)風流(ふうりゅう)の人物を
故塁(こるい)の西辺(せいへん)
人は道(い)う是(こ)れ 三国(さんごく)周郞(しゅうろう)の赤壁なりと
乱石(らんせき) 雲(くも)を崩(くず)し
驚濤(きょうとう) 岸(きし)を裂(さ)き
捲(ま)き起(お)こす 千堆(せんたい)の雪(ゆき)
江山(こうざん)は画(が)の如(ごと)し
一時(いちじ) 多少(いくばく)の豪傑(ごうけつ)ぞ

遥(はる)かに想(おも)う 公瑾(こうきん)の当年(とうねん)
小喬(しょうきょう) 初(はじ)めて嫁(か)し了(おわ)り
雄姿(ゆうし) 英発(えいはつ)なりしを
羽扇(うせん) 綸巾(かんきん)
談笑(だんしょう)の間 強虜(きょうりょ)は灰と飛び煙(けむり)と滅(き)ゆ
故国(ここく)に神(こころ)は遊(あそ)ぶ
多情(たじょう) 応(まさ)に我(われ)を笑(わら)うべし
早(つと)に華髪(かはつ)を生(しょう)ぜしを
人間(じんかん)は夢(ゆめ)の如(ごと)し
一尊(いっそん) 還(ま)た江月(こうげつ)に酹(そそ)がん

 蘇軾(一〇三六~一一〇一)、号は東坡居士。宋人らしく、理知的でありながら、かつ豪壮で軽妙な独特の風格を持ち、宋代随一の詩人と称される。

 「念奴嬌 赤壁懷古」は、詩ではなく、詞(ツー)と呼ばれる韻文のジャンルの一つである。詞には、楽曲の名を表す詞牌というものがある。それぞれの楽曲ごとに、字数・平仄・押韻の規則を定めた詞譜があり、これに歌詞を填めるようにして作る。

 「念奴嬌」は、詞牌であり、その下の副題「赤壁懐古」が、作品の内容を表す。赤壁の古戦場を訪れて、古を偲んだ歌であることを示している。

 これは、元豊五年(一〇八二)秋、黄州(湖北省黄岡市)での作である。蘇軾は、当時、政争で罪を得て、黄州に流謫の身となっていた。

 蘇軾が訪れた赤壁は、黄州城外の「赤鼻磯」と呼ばれる場所であり、実際の古戦場(湖北省蒲圻市、現在は赤壁市と改称)とは異なる。 

大江(たいこう) 東(ひがし)に去(さ)り
浪(なみ)は淘(あら)い尽(つ)くせり千古(せんこ) 風流(ふうりゅう)の人物を

――大いなる長江は、絶え間なく東へと流れ、その浪は古き時代の英傑たちを一人残らず洗い流してしまった。

 かの古き時代の英傑たちも今はない、という感懐を以て歌い起こす。
「千古」は、遥か昔。「風流人物」は、歴史に名を残す卓越した人物。三国時代の英雄豪傑たちを指す。
 長江の滔々とした流れは、永遠に続く時の流れを象徴するものであり、それとは対照的な人の世の儚さを際立たせている。

故塁(こるい)の西辺(せいへん)
人は道(い)う是(こ)れ 三国(さんごく)周郞(しゅうろう)の赤壁なりと

――昔の陣地の西方、ここを人々は、三国時代に若き将軍周瑜が曹操の大軍を破った赤壁であるという。

「周郞」は、周瑜のこと。名門出身の貴公子で、孫権の兄孫策と同い年の親友であった。孫策の死後、孫権に仕えた。美男子の若将軍に対する敬愛の念を込めて、人々は「周郞」と呼んだ。

乱石(らんせき) 雲(くも)を崩(くず)し
濤(きょうとう) 岸(きし)を裂(さ)き
捲(ま)き起(お)こす 千堆(せんたい)の雪(ゆき)

――大小不揃いの岩石が、雲を突き崩すかのごとくそそり立つ。逆巻く怒濤は、岸を裂き砕かんばかりに打ち寄せ、雪のような白い波しぶきを空高く巻き上げている。

 「千堆雪」は、幾重にも重なる白い波しぶきを降りしきる雪に喩えたものである。ここの叙景は、かの時代に激しくぶつかり合った群雄たちの姿を重ね合わせている。

江山(こうざん)は画(が)の如(ごと)し
一時(いちじ) 多少(いくばく)の豪傑(ごうけつ)ぞ

――舞台となった山や川は、まるで一幅の絵のようだ。当時、いったいどれほど多くの英雄豪傑たちが、ここに群がっていたことだろうか。

 かの時代、あれほど多くひしめき合っていた英傑たちも今はもういない、という感慨を歌っている。
 この前半最後の二句は、冒頭の二句「大江東去、浪淘盡千古風流人物」に呼応し、永遠に美しい姿を留めている山河と、儚い人の世とが、再び対照的に描かれている。

若大将周瑜の雄姿

 ここから作品の後半、並み居る英雄豪傑たちを押しのけて、いよいよ若大将周瑜の独壇場になる。

周瑜

遥(はる)かに想(おも)う 公瑾(こうきん)の当年(とうねん)
小喬(しょうきょう) 初(はじ)めて嫁(か)し了(おわ)り
雄姿(ゆうし) 英発(えいはつ)なりしを

――遥か昔を追想すれば、周瑜には、その時、美しい小喬が嫁いできたばかりだった。その雄々しい姿には、才気が溢れていた。

 「公瑾」は、周瑜の字。「小喬」は、周瑜の妻。江東の喬公に「国色」(天下の美女)と謳われた美しい娘が二人いた。「大喬」と呼ばれた姉は孫策に嫁ぎ、「小喬」と呼ばれた妹は周瑜に嫁いだ。

羽扇(うせん) 綸巾(かんきん)
談笑(だんしょう)の間 強虜(きょうりょ)は灰と飛び煙(けむり)と滅(き)ゆ

――羽の団扇(うちわ)に絹の頭巾。談笑する間に、強敵は灰となって飛び散り、煙となって消え失せた。

 「羽扇」は、鳥の羽で作った扇。「綸巾」は、青い絹の帯で作った頭巾。いずれも軍装ではなく、平時の装いである。ここでは、周瑜の姿をいい、敵の大軍を前にしても、何食わぬ顔で落ち着き払っているさまを表している。
 「強虜」は、強敵。曹操の大軍を指す。「灰飛煙滅」は、火攻めの計で、曹操の船団を焼き払ったことをいう。

故国(ここく)に神(こころ)は遊(あそ)ぶ
多情(たじょう) 応(まさ)に我(われ)を笑(わら)うべし
早(つと)に華髪(かはつ)を生(しょう)ぜしを

――わが心は、古戦場を巡りゆく。多感のゆえに、早くも白髪が生えてきてしまったわたしを、人はきっと笑いぐさにすることだろう。

 「故國」は、故地。ここでは、赤壁の古戦場を指す。「神遊」は、精神(魂)が遊ぶこと。作者蘇軾が、心の中でその場に赴くことをいう。

人間(じんかん)は夢(ゆめ)の如(ごと)し
一尊(いっそん) 還(ま)た江月(こうげつ)に酹(そそ)がん

――人の世はあたかも夢のごとし。さあ、もう一杯酒を注いで、江上の月に祈りを捧げるとしよう。

 「人閒」は、人の世。「尊」は、「樽」に同じで、かめ状の酒器のこと。「酹」は、酒を注いで神霊を祭ることをいう。

 前半は、大江の滔々たる流れから歌い起こし、時空を超えて遥か昔の歴史の一幕へと思いを馳せ、そこで繰り広げられた英雄豪傑たちのドラマを江山の叙景と共に雄壮に歌い上げる。

 後半では、幾多の英傑の中から周瑜ただ一人にフォーカスを絞り、曹操の大艦隊を前にして、余裕綽々と指揮を執る若き将軍の颯爽たる雄姿を歌う。

 小説『三国志演義』では、周瑜よりも諸葛孔明の方が、つねに一枚上手に描かれている。周瑜は、時として狭量に描かれたり、小馬鹿にされた道化のようであったり、そして最後は、自分が孔明に及ばない悔しさのあまり憤死してしまうというように、気の毒なほど影が薄くなっている。

 しかし、もともとはそうではない。
 唐の李白の「赤壁歌 送別」と題する詩の前半四句は、次のように歌う。

       二龍爭戰決雌雄
  赤壁樓船掃地空
  烈火張天照雲海
  周瑜於此破曹公
二竜(にりゅう) 争戦(そうせん)して 雌雄(しゆう)を決(けっ)す
赤壁(せきへき)の楼船(ろうせん) 地(ち)を掃(はら)いて空(むな)し
烈火(れっか) 天(てん)に張(みなぎ)りて 雲海(うんかい)を照(て)らし
周瑜(しゅうゆ) 此(ここ)に於(お)いて 曹公(そうこう)を破(やぶ)る

――二頭の龍が、雌雄を決せんとして戦い、赤壁に集結していた楼船は、すっかり焼き払われてしまった。燃えさかる炎は、天に満ちて雲海を照らし、周瑜はこの地で曹操を打ち破ったのだ。

 このように、「赤壁の戦い」は、基本的には、曹操軍の南下を孫権軍が迎え撃つという二者の交戦であった。そして、その結果、第四句に詠っているように、「周瑜 此に於いて 曹公を破る」に至ったのである。

 勝利の立役者は、将軍周瑜にほかならない。
 孔明が活躍するというのは、のちに作られた話であって、元来、主役は、一にも二にも周瑜であったのである。


 蘇軾には、同じく「赤壁の戦い」を題材とした作品で、「赤壁の賦」という文章がある。中国古典文学史上に、燦然と輝く珠玉の名篇である。
 これについては、稿を改めて語りたい。

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