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『捜神記』「北斗と南斗」~寿命を司る星

魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「北斗と南斗」の話を読みます。

「北斗と南斗」~寿命を司る星

管輅かんろ、平原に至り、顏超がんちょうの貌に夭亡ようぼうやどらしむを見る。顏の父乃ち輅に命を延べんことを求む。輅曰く、「子帰らば、清酒一こう、鹿の一斤をもとめよ。卯日ぼうじつ麦を刈りし地の南の大いなる桑樹の下に、二人有りて碁を囲むとき、但だ酒を酌み脯を置き、飲み尽くさば更にみ、尽くるを以て度と為せ。し汝に問わば、汝但だ之を拝して、言うことなかれ。必ずまさに人有りて汝を救うべし」と。

管輅(三国魏の占師)が平原(山東省)にやって来た時のこと、顔超という者の容貌に若死の相が出ているのを見て取った。
そこで、顔超の父親は管輅に息子の延命を嘆願した。
管輅はこう言った、「家に帰ったら、清酒1樽と鹿の干し肉1斤を用意しなさい。の日、麦を刈った畑の南に大きな桑の木があり、そこで2人の人が碁を囲んでいるから、その傍でただひたすら酒をぎ、干し肉を置きなさい。飲み干したらまた注いで、飲み尽くすまで繰り返しなさい。もし何か聞かれたら、ただお辞儀をすればよい。しゃべってはいけない。そうすれば、必ず救ってくれる者が現れるであろう」

顏、言にりて往き、果たして二人の碁を囲むを見る。顏、脯を置き酒を前に斟む。其の人戯をむさぼり、但だ酒を飲み脯を食らい顧みず。数巡にして、北辺に坐す者、たちまち顏の在るを見て、叱りて曰く、「何が故に此に在る」と。顏惟だ之を拝す。南辺に坐す者語りて曰く、「適来さきよりの酒脯を飲む。いずくんぞ情無からんや」と。北に坐す者曰く、「文書已に定まれり」と。南に坐す者曰く、「文書を借りて之をん」と。超の寿だ十九歲ばかりなるを見て、乃ち筆を取りて上にね、語りて曰く、「汝を救い九十年に至るまで活かしめたり」と。顏、拝してかえる。

顔超が言われた通りに行ってみると、果たして2人の者が碁を囲んでいた。
顔超は2人の前に干し肉を置き、酒を注いだ。
2人は碁に夢中で、ただ酒を飲み肉を食べ、振り向きもしない。
何度か酒を注ぐうち、北側に坐っている者が、ふと顔超がそこに居ることに気づき、叱りつけて言った、「何でここにいるんだ!」
顔超は、ただお辞儀をした。
南側に坐っている者が言った、「さっきからこの御方の酒を飲み肉を食っているのだから、情をかけてやらんわけにはいかん」
北側の者曰く、「文書ですでに決まっていることだ」
南側の者曰く、「ちょっとその文書を見せてくれ」
見ると、顔超の寿命は、わずか19歳ばかりであった。
そこで、南側の者は、筆を手に取って、上に跳ねる印を書き込んで言った、
「90歳まで生きられるようにしてあげましたぞ」
顔超はお辞儀をして帰っていった。

管、顔に語りて曰く、「大いに子を助けたり。且つ寿を増すを得たるを喜ぶ。北辺に坐す人は是れ北斗、南辺に坐すは人是れ南斗なり。南斗は生をしるし、北斗は死を注す。凡そ人は胎を受け、皆南斗より北斗によぎる。祈求する有る所は、皆北斗に向かうなり」と。

管輅は顔超に解き明かして言った、「大いに君を助けてやったぞ。ともかく寿命が延びてめでたい。北側に坐っていたのは北斗星の神、南側に坐っていたのは南斗星の神だ。南斗は人の生を司り、北斗は人の死を司る。人はみなこの世に生を受けると、命運が南斗から北斗へ移って行く。だから命乞いをする時は、みな北斗星に向かってするのだ」

中国古代の民間信仰では、人間の寿命はあらかじめ定められていて、それが文書に記されているとされていました。

寿命に関する信仰には、2つの系統があります。

1つは、「泰山信仰」に基づくものです。

泰山に冥府(冥土の役所)があり、そこに人の寿命を記した「冥籍」という文書があって、冥吏(冥土の小役人)がその記載に従って寿命の尽きた人間を召し捕りに来る、というものです。

これについて詳しくは、下の記事の解説をご参照ください。

もう1つは、「占星術」に基づくものです。

特定の星の神が人間の生死や運命を司る、という信仰です。

今回読んだ話では、南斗星の神が「生」を、北斗星の神が「死」をそれぞれ記録管理するとしています。

ほかにも、「司命」という星の神が人間の寿命を司るとするバージョンもあります。

「文昌六星」の6つの星(上将・次将・貴相・司命・司中・司禄)が、それぞれ人間界の特定の事柄を司り、第4星の「司命」が、人間の生死や運命を司るとするものです。

葛飾北斎「文昌星圖」

「北斗と南斗」の話は、19歳で若死にするはずの顔超が、南斗の神の慈悲で90歳まで寿命が延びたという話です。

文中で、「上に跳ねる印」と言うのは、上の文字と下の文字をひっくり返す記号、つまり日本の漢文の「レ点」と同じです。これで「十九」が「九十」になったというわけです。

この話は、酒食のもてなしで破格の見返りを得たという話ですから、懇ろな接待で事がうまく運んだり、無理が通ったり、情状酌量が期待できたり、という中国社会の体質をよく反映している話でもあります。

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