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『捜神記』「狄希」~千日酔う酒

魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「狄希」の話を読みます。

狄希てききは中山(河北省)の人であった。「千日酒」という酒を造った。
これを飲むと、千日の間酔うという。

時に、姓は劉、名は玄石げんせきという者がいた。
大の酒好きで、狄希の所へ行って、「千日酒をくれ」と言った。

狄希は言った、
「いや、まだ発酵が足りないから、飲ませるわけにはいかん」

玄石は言った、
「そんでもかまわんから、とりあえず1杯だけくれんか、どうだい?」

そう言われて仕方なく、狄希は1杯だけ飲ませてやった。

「こりゃうめえ!もっとくれ!」

と、玄石はおかわりをせがんだ。

狄希は言った、
「とにかく今日はもう帰りなされ。日を改めてまた来ればよろしい。
わしの酒は、今の1杯だけで千日眠れるから」

玄石は不満げな様子でその場を去ったが、家に着くと、酔いつぶれて死んでしまった。

家族は、死んだことを疑わず、哭礼をして玄石を埋葬した。

3年が経ち、狄希は言った、
「玄石さんはそろそろ醒める頃かな。ちょっと様子を見に行ってみるか」

こうして狄希は玄石の家を訪れて、「玄石殿はおられるか?」と尋ねた。

玄石の家族は怪訝な顔をして答えた、
「もうとっくに亡くなって、喪も明けてますが・・・」

狄希は驚いて言った、
「わしの酒はあまりに旨いんで、飲んだら千日酔って眠ってしまうんじゃ。玄石殿はそろそろ醒める頃なんだが」

狄希は玄石の家族に墓を開けて棺を壊してみるように言った。

墓場へ行くと、塚の上に汗臭い蒸気が天まで立ち昇っている。

そこで家族が墓を開けると、ちょうど玄石が目を醒ました。
目を見開き、口を広げ、あくびをしながら言った、

「ふあ~、いい気分だ。気持ちよく酔ったもんだなあ」

そして狄希に尋ねた、
「お前はいったいどんな酒を造ったんだ? たった1杯でこんなに酔わせるとは。やっと目が醒めたわい。ところで、今何時だ?」

墓にいた人たちはみな顔を見合わせて笑っていたが、玄石の酒気を帯びた息が鼻に入り、みな酔っ払って3ヶ月間眠り込んでしまった。

この話は、晋・張華『博物志』にも載っていて、「一酔千日」という四字句にもなって、広く知られている話です。

一種の「蘇生譚」ですが、本当に死んだわけではないので、厳密に言えば、蘇生の部類には入りません。

千日酔える酒を飲んで死んだと勘違いされた酒豪、という滑稽談みたいな話です。

「千日酒」という言葉は、美酒の代名詞として漢詩にしばしば登場し、世俗の憂いを忘れさせてくれるものという意味で用いられています。

東晋・陶淵明の「飲酒」(其七)に、

汎此忘憂物  此の忘憂ぼうゆうの物にうかべて
遠我遺世情  我が世をわするるの情を遠くす

――(菊の花びらを)この忘憂の物に浮かべて、
俗世の煩わしいことなどすべて忘れてしまおう。

とあるように、そもそも酒自体が「忘憂の物」と呼ばれます。

それが「千日酒」となれば、字面通りに言えば、千日の間ずっと憂いを忘れさせてくれる酒ということなります。

ただし、漢詩の中で用いられる数字は実際の数字とは限らないので、「千」や「萬」は、「永遠」という意味でしばしば用いられます。

ですから、「千日酒」は、いつまでも酔っ払っていられる酒、永遠に俗世の憂いから人を解放してくれるありがたい酒ということになります。

唐・杜甫は、「垂白」と題する詩に、こう歌っています。

甘從千日醉  甘んじて従う 千日の酔い
未許七哀詩  未だ許さず 七哀の詩

――(老い衰えて)千日の酔いに身を任せ、
哀しみの歌はまだしばらく作らないでおこう。


また、唐・李賀の「河南府試十二月樂詞」(十一月)には、

撾鍾高飲千日酒  かねちて高飲す 千日の酒
戰卻凝寒作君壽  凝寒を戦却して 君が寿を

――鐘を叩いて人々を集めて、千日酒を大いに飲み、
厳しい寒さを払いのけ、わが君の長寿をお祝いしよう。

と歌っています。

さて、『捜神記』の話の中で、狄希は「中山」の人となっています。
中山は、戦国時代、今の河北省中南部一帯に実在した小さな王国です。

戦国時代初期の地図(「中国語スクリプト」より転載)

1970年代、中山王墓の発掘が行われ、夥しい数の副葬品が出土しました。
その際、銅製の壺に入った酒が発見されています。

その発掘状況について、

銅壺の口は固く密封されていた。発掘作業員が壺を振ってみると、どうやら中に液体が入っているようだ。封を開けたとたん、ふわっと酒の香りが辺りに漂った。一人が驚きの声を上げた、「酒だ!中山王が飲んだ酒だ!」

と、なにやら『捜神記』の話みたいなレポートが報告されています。

秋山裕一「中山王国の酒とこしき」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1915/76/6/76_6_408/_pdf/-char/ja

中山王墓から出土した銅壺と酒液


いくら密封されていたとは言え、紀元前の酒が蒸発せずに残ることってあり得るのか・・・と、半信半疑ではありますが、もし本当なら、

  2,500年物の酒!!!

ということになります。


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