『捜神記』「狄希」~千日酔う酒
魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「狄希」の話を読みます。
この話は、晋・張華『博物志』にも載っていて、「一酔千日」という四字句にもなって、広く知られている話です。
一種の「蘇生譚」ですが、本当に死んだわけではないので、厳密に言えば、蘇生の部類には入りません。
千日酔える酒を飲んで死んだと勘違いされた酒豪、という滑稽談みたいな話です。
「千日酒」という言葉は、美酒の代名詞として漢詩にしばしば登場し、世俗の憂いを忘れさせてくれるものという意味で用いられています。
東晋・陶淵明の「飲酒」(其七)に、
――(菊の花びらを)この忘憂の物に浮かべて、
俗世の煩わしいことなどすべて忘れてしまおう。
とあるように、そもそも酒自体が「忘憂の物」と呼ばれます。
それが「千日酒」となれば、字面通りに言えば、千日の間ずっと憂いを忘れさせてくれる酒ということなります。
ただし、漢詩の中で用いられる数字は実際の数字とは限らないので、「千」や「萬」は、「永遠」という意味でしばしば用いられます。
ですから、「千日酒」は、いつまでも酔っ払っていられる酒、永遠に俗世の憂いから人を解放してくれるありがたい酒ということになります。
唐・杜甫は、「垂白」と題する詩に、こう歌っています。
――(老い衰えて)千日の酔いに身を任せ、
哀しみの歌はまだしばらく作らないでおこう。
また、唐・李賀の「河南府試十二月樂詞」(十一月)には、
――鐘を叩いて人々を集めて、千日酒を大いに飲み、
厳しい寒さを払いのけ、わが君の長寿をお祝いしよう。
と歌っています。
さて、『捜神記』の話の中で、狄希は「中山」の人となっています。
中山は、戦国時代、今の河北省中南部一帯に実在した小さな王国です。
1970年代、中山王墓の発掘が行われ、夥しい数の副葬品が出土しました。
その際、銅製の壺に入った酒が発見されています。
その発掘状況について、
と、なにやら『捜神記』の話みたいなレポートが報告されています。
秋山裕一「中山王国の酒とこしき」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1915/76/6/76_6_408/_pdf/-char/ja
いくら密封されていたとは言え、紀元前の酒が蒸発せずに残ることってあり得るのか・・・と、半信半疑ではありますが、もし本当なら、
2,500年物の酒!!!
ということになります。
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