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スーパーママっ子と息詰まる母

前回はママの孤独感について書きました。
今回はスーパーママっこが出来上がるまでの一部を
書こうと思います


一人の時間がほしい・・・

さくらは本当によく泣く子でした。
泣き出すと 泣き止むまでにとても時間がかかりました。
これだけ大きな声で泣き続けるのだから
呼吸器系はさぞ鍛えられるだろうと よく家族で話たものでした。
 
それと同じくらいよく笑う子でもありました。 
身体が小さかったからか 
寝返りもハイハイも始めるのは
早い方でした。
洗濯かごに入れてブランコの様に揺らすと 
けらけらと声をあげて笑いました。
夕食の準備をしている横で
ハイハイしたり 
冷蔵庫につかまり立ちして 
ニコニコしているさくらに
話しかける時間はママになった
幸せを感じる時間でもありました。

それでもストレスを感じてしまったのは
私が一人になる時間が持てない事でした。

さくらは根っからのママっこで
私の姿が見えなくなると大泣き、
見えていても2〜3m離れるだけでも
不安になるのか大号泣でした。

実家に行った時は
私が見えないと大泣きするので 
ちょっとトイレに行く時間や、水を飲みにキッチンに行く等の
ほんの短い時間でも席を外すと
さくらが泣く前でも
両親までもが
「ママはどこに行った? どこ、どこ?」
「さくらが泣き出してしまう」
と家の中を探し回りました。

「私以外にもたくさん大人が居るんだから
トイレに行く時くらい一人にさせてほしい」 

拘束されている様な
窮屈感を感じる事が多々ありました。

せめて
パパにさくらのお世話を任せる事が
出来たらよかったのですが・・・

前回 大人と話すことが無く「孤独」と
書きましたが 
誰かといる事が「ママの孤独感」を解消することには
ならないとわかりました。



パパの優しい気持ちは裏目に・・


主人はさくらをとても愛していて
いつでも抱っこしたくて仕方ないのですが
さくらは大抵大泣きでした。
さくらにとってパパは心から安心できる人では
なくなっていきました。

甘えん坊(というよりいつも不安だった?)の
さくらが私に抱っこをせがんきて
私がさくらを抱き上げると
主人は私の腰痛を労わってくれるあまりに
直ぐに
「いいよ、 俺が抱っこするよ。」と
私の腕からさくらを連れていってくれます。

が、ママに抱っこしてたいさくらは
当然、大泣きになります。

私は 
「今はさくらはママに抱っこしたい時だから
一度 私が抱っこして落ち着いてから
抱っこを代わって」 
と主人に言うのですが
「腰が痛いだろ。俺が抱っこするよ」
と私の話は耳に入りません。

私から奪い取るように
さくらの脇を持つ主人の腕の中で暴れて
私の服を掴みながら
号泣するさくらを見るのは
腰痛よりも心が痛かったです。

主人には その度に
「本当に私の事を労わってくれるなら
さくらが私に抱っこをしてほしいと
せがんできたら 私がだっこするから
強引に横取りするような事はしないで欲しい。
無理にパパが抱っこしても
さくらはママに抱っこしたいの気持ちが
満足しないままで不安が増大するだけ。
『パパは私とママから引き離す怖い人』ってなっちゃうから
本当に私とさくらのためを思うなら
無理に抱っこするのはやめて欲しい」と
何度も何度も話しましたが
主人は
「大丈夫、 大丈夫
お前が腰が痛いから・・・」と全く聞く耳持たず。

主人は私への優しさと
さくらへの愛情ゆえの行動とは
十分わかるのですが、
どうしても止めて欲しい行動でした。
パパにはあかちゃんの気持ちを察するのは
難しかったようです。

結果的にパパと二人でいる事が全くできなくなり
私の育児の負担はどんどん増えていきました。

(主人は本当に優しさからの行動だったのですが
どうしても 自分が抱っこすると言い出して
きかなかったのは
後に理由がわかりました。 それはまたの機会に書きますね


私も「ちょっと」が欲しい!



主人はとてもスポーツマンで
休みの日は
「ちょっと行ってくる」と言って
10kmランニングにいったり
スポーツサイクルで走りに行ったりしていました。
冬はスキーに出かけていきました。
(ここからスキー場は日帰りは厳しい距離なので
 「ちょっと」ではないですが 
毎回「ちょっと行ってくる」と出かけていきました。)

初めは私もさほど 気になってはいませんでした。
むしろスポーツ万能な主人が自慢でもありました。
それに いつか私が主人に子供をあずけて
どこかに行く時に 笑って送り出してもらいたいから
今は私も笑って送り出してあげよう と考えていました。


でも、毎週末 「ちょっと行ってくる」と
出かけていき 
外の空気に触れ 好きなことを堪能して帰ってきた後に
「汗かいた後のビールはうまいな~」と呑気に笑う主人に
複雑な気持ちを感じるようになりました。

主人は自分のための「ちょっと」 が 簡単に手に入るのに
わたしには その「ちょっと」が全くない事に
気づいてしまった後は 
気持ちよく送り出すことは出来なくなってきました。
それでも 顔では笑っていました。

私も元々は運動することが大好きで
趣味も多い方でした。
なのに 自分の趣味の時間も持てない上に
直ぐそばのスーパーに買い物に行く
ほんのわずかな「必要な」外出も
さくらはパパとお留守番が出来ないので
結局私が抱っこして出かける事になります。

ある日 テレビで主人の趣味のスポーツサイクルの
番組を見ていました。
出演者が自転車で箱根の山を登る番組でした。
全身に汗をかきながら全力でペダルを踏んむ脚、
息をはあはあさせて とっても苦しそうな顔で
山道を登っている子が映し出されていました。

その時に感じたのは とても苦しそうな出演者をみて
「羨ましい」という思いでした。
呼吸も苦しそうな人を見て羨ましいなんて
変だと思われるかもしれませんね。 
でも、その時の私の頭に浮かんだ考えは  
「この人は自分の体力、筋肉、気持ち すべてを
自分のために使ってる」
それが無性に羨ましく思いました。 

その映像を見て
ママになってから 
自分だけのタメの時間はなく
常に子供、主人が中心で物事に追われるように生活してる
自分に気づいた時 
複雑な思いに駆られました。    


決して さくらが可愛くないとか
ママになった事を後悔しているとかではないです。

でも 主人のように 「ちょっと 出てくる」と言って
息抜きがしたい 
ただそれだけでした。

私も一人で走りたくて
一度、さくらが起きる事がなさそうな
夜中の12時に スポーツウエアに着替え
「私もちょっと行ってくる」 
と言って走りに出たことがありました。

最初は 「どこに向かおうかな?」と
ウキウキしながら走り始めました。
真夜中で暗い道は怖いので 最寄りの駅付近に向かいました。
しかし、街中は酔いが回ったサラリーマンや学生ばかり。
場違いな感じと、数ヶ月ぶりに出た夜の街中に
恐怖感を覚え、直ぐに家に引き返しました。

やはり 私の「ちょっと」の時間は難しいのかな・・・

なんとも言えない思いだけが残った時間でした。


その頃は主人を少し恨みがましく思った事もありました。
私の事を本当に心配してくれるなら
さくらが泣いた時に
私から無理やりに取り上げたりしないで欲しかった。
結局パパになつかなくなり 
私ばかりが・・・・ と負のスパイラルに落ち込んでいました。


でも 今は理由はきっとそれだけでは無かったと思えます。
夢中で「良い母親」になろうと頑張っていた
私自身が自分の視野を狭くしていたかもしれません。


今なら懐かしい思い出の一コマですが
当時は八方塞がりに思ってました。
多分、今育児中で そう感じているお母さんも
少なくないかもしれません。
私もその時は出口が見えない長いトンネルの中にいるような
気持ちになったりもしました。

でも そのトンネルの中を歩いているのは 
ひとりぼっちではなく 
隣には可愛い子供が(パパも)一緒に手をつないでいることを
忘れずにいれば
きっと暗いばかりの景色ではないと思います。

私もあの頃に それに気づいていたらよかったな・・・・


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