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普通

昔からなぜか自分は普通の子ではないような気がしていて、君はセンスがあるとか、視点が違うだのなんだのと言われる言葉を鵜呑みにして、私は特別な人間なんだと少し鼻高々であった。
そんな自分が好きだった。でも本当はわざとらしく特別な人間であろうあろうとしている自分に気づいていた。けれど、見ないふりをした。

あなたのセンスが好きだと近づいてくる人と接する時、私は嘘をついているような感覚になった。本当の私はなんでもないのにわざと特別な人間を演じているだけなのに。と。

私のアイデンティティは普通とは違うというところにあるという思い込みのようなそれは、何か物珍しいことや表現をしていないと私は誰にも認められない。ダメな人間なんだという強迫観念にも似たような、歪なものに変わって私の背中に重くのしかかった。その考えが歪んだものであるということにも気づかなかった。人の目を気にして本当の私を見つめることをしなかった。心はどんどん疲弊して歪になり、ズキズキと痛んだ。

あなたもあなたもあなたも、私のその「特別」を愛していた。私も私の本当が見つめられるのが嫌で、見えないように心の奥に隠した。ずっと怖かった。私が「普通」であるということがバレたらその愛は私から離れていってしまうし、裏切ってしまったという罪悪感は私の心を刺してズタズタにしてしまうだろう。けれどそのプレッシャーはどんどん私の首を絞めて、本当の私が見えてしまう前に私はその愛から離れる。その繰り返し。

あるとき現れたあなたは、私の本当は持っていない「特別」なんかには目もくれず、私の持っている「普通」に恋をしているという。持っていないものを持っていると偽って、それでしか愛を受けられないと思っていた私は驚いて慌てた。
私が普通であるようにあなたには見えていたのだ。何年も何年も苦しんで取り繕った殻がパラパラと崩れ落ちていくような感覚に陥った。

あなたが私の手をとって愛を伝えた時に気づいた。私は普通の人間なんだ。と。

それは「特別」を諦めたわけではなくて、その時私は初めて私の本当を見つめたのだ。

「普通」という言葉がこんなにも愛おしくて大切なものだとは知らなかった。私はずっとずっと普通になりたかった。普通でいいと言って欲しかった。

私の本当は普通である。
それはありのままの私を受け入れるための言葉。

これからも私は普通に生きて、普通に死んでいく。それは特別であることと同義なのである。





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