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『ミントの猫とブレダンの兎』

昼と夜とでは猫は、表情が異(ちが)う。

誰でも知っていることだが、特に異うのは眼である。
これはもう言わずもがなであろう。
さながら満月を想わせるあの大きな猫の"夜の瞳"は蠱惑的ですらある。
時々夜、出窓に座り疑(じ)っと窓外の闇を見つめているその姿は、
犬の天真爛漫でどこか解りやすい印象を受けがちな愛らしさ、
またやや陳腐な表現にはなるものの‘’健全さ"とは少し趣きを異にする何かもっと不可思議性や神秘性といった超自然的なものを思わず想像させてしまう雰囲気があるのだ。

しかしこれは愛猫家なら皆、身に覚えのある自分の猫への好意的な妄想、あるいは愉悦のこもった思い込みなのかもしれない。
それに、猫は夜目が利くので闇そのものを見つめているのではなく、その闇の奥にいる人間の目には見えない野良猫の姿や、闇夜の風に揺らぐ木の葉の動きやその梢を褥(しとね)とし羽根を休める小禽達を見ているという場合も充分にある。

(↑平成の頃の写真・ロシアンブルーの愛息子・弟ぶんの故テオくんとキジトラお兄ちゃんの愛息子くん【右】血は繫がってません、
これはゴハンの時間キッチンで、はよせえと待っている、とっても仲良しだったふたりの図)


英国では、茶トラの猫のことを「マーマレード」と呼ぶそうである。
なるほど昼間、ベランダや窓辺の日溜まりで日向ぼっこをしていたかつてのうちの初代愛猫を思い出すと明るい琥珀色というかオレンジ・ブラウンで軆の輪郭をおおう柔毛(にこげ)が眩ゆい黄金(きん)色に萌え輝き、いかにもその暖かく甘やかな色がマーマレードを連想させるようだった。

初めて出逢った時とうに成猫になり切っていた彼は(獣医師の推定では当時で既に3歳半から4歳にかけてだった)冬枯れした師走の街で栄養失調となり行き倒れ近くなっていた状態を保護したのもあり、今でも尚、特別な思い出のある子だ。
保護したものの持病があった為に家猫となってからもその生涯は投薬の欠かせない獣医通いの生活となった。
しかし獣医師からは恐らくそう長生きは出来ないだろう、生きて4、5年と言われながらもその後11年と思ったよりもずっと健やかに、そしてお茶目に明るく生きてくれた。
持病の為一生痩身ではあったものの、穏やかで大変賢く見た目も気品があって美しい自慢の愛猫だった。
そのマーマレード(茶トラ猫)はベランダや窓辺での日向ぼっこが大好きで、日向ぼっこ中そっと足音を忍ばせて近づくとその気配に気づいて顔を上げニャア!と鳴いて挨拶を返してくれたものだった。
そんな時の彼の顔は口角が耳近く上がり、逆に眼尻は下がり小鼻脇に微細な縦皺が寄ってそれはまるで子供の稚(いとけ)ない笑顔のように見えてたまらなく愛おしかったのを昨日のことのように思い出す。

そんな時の茶トラくんの軆(からだ)に顔を埋ずめると、香ばしいようなお日様の匂いがした。
瞳(め)は泉の底に沈む翡翠を両手で掬い上げ太陽に照らして見たような濡れて艶めくウォーター・グリーンで、夜に見せる大きな濡れた黒曜石の瞳とはまた違った趣きがある。

話はまるで変わるが、イタリアに昔『猫のラファエロ』と呼ばれた自閉症ともサヴァン症候群であったのではないかとも云われる夭折の画家が居た。
名をゴットフリート・ミントという。

彼は特にアカデミックな絵の教育を受けたわけではないが、猫を描くことにかけてのみ神童的な天才であった。
彼の作品はどれも皆、猫で理由は猫しか友達がいなかったからだという。彼は一番愛すべき対象を描いたのだ。

ミントの作品に小禽(ことり)を捕らえたばかりで激しく肩で息をするようなそんな猫の強い野生を描いた印象的な絵がある。

(注釈・その絵をここに載せたいのですが残念ながらその絵の本は手元にもう無く図書館で調べても無く、ネットで調べてはみましたが同じ作品は何故か全く出てこない為、皆さんに観ていただくことは難しいような印象を受けています。)

私は昔、その奇妙な絵を本で見ただけで実物を見たわけではないがその絵を見た途端『いくらなんでもこんなことはないだろう?』
と思った。
というのも、猫の表情といい口元の描写といい少し人間的過ぎて、私にはいささか奇異に思えたのである。他は全て手堅くごく写実的に描かれているのに顔だけが妙にカリカチュア化され過ぎているのが私には何だか中途半端な戯画のように見えた。

しかし、今からもう何年前になるのだろう。
あの日は初夏の爽やかな昼下がりだった。
うちの茶トラ猫(故チャーちゃん)は、ベランダで落下防止の網が張ってあるにもかかわらず、その網の隙間をくぐって入ってきたドジなスズメを捕らえ、ベランダに向かって開け放たれていた硝子戸からスズメを咥(くわ)えて堂々と私の部屋へと入ってきた。

彼は、誇らしげに私の目の前にスズメの死骸を置き、
『どう?僕、スゴいだろう?』
あるいは
『それ、あげるから食べてもいいよ』
とでも言っているかのようだった。

スズメの死骸は不思議なことに微塵も外傷は無く、血の一雫(ひとしずく)も流れてはいなかった。
毅然と胸を張るチャーは、まだ肩で運動直後の荒い息をしており、その顔を見て私は驚いた。

あのミントの小禽を捕らえた猫の絵とチャーは寸分たがわぬ顔をしていたのである。

あの奇妙で不思議などこか擬人化されたような、あり得ないような顔をして、しかしその表情は一瞬にしていつもの動物の(猫の)表情、そして顔へと戻っていた。
私はこの時ミントの洞察眼の鋭さに驚愕して平素おっとり者のチャーの顔をただただ凝視するより他なかった。

それだけに、いかにミントの孤独が深かったか、彼の猫に対する視線がいかに収斂(しゅうれん)されていたかが解る。

ルドルフ・ブレダンという細密な白黒の版画で知られる画家がいる。
代表作には『死の喜劇』『聖家族』『我が夢』『善きサマリア人』などが知られているが、彼のことを今は亡き美術評論家の坂崎乙郎氏はこう言っている。この言葉は全てではないが一抹ミントにも通用するのではあるまいか。

『ブレダンは友人もなく支持者もなく社会から遠ざかり孤絶していた。しかし魂の中心部には最も深いコミュニティーがあった。
それが彼の版画の宇宙である。
実人生と取り替えても少しも悔いのないブレダンの宇宙である。』

極貧であった中年のブレダンと違い、
ミントは双親とも知らぬとはいえ障害者施設に住みながらも若い頃よりその才能を認め庇護してくれるパトロンの裕福な紳士がいた。とは言えおおむねブレダンと心理的背景はミントもそう変わらなかったのではあるまいか、と勝手に私は想ったりもする。

ミントは本当に心を打ち明けられるのはそのパトロン紳士より猫だけだったに違いないと…。
でなければあんな猫の顔は描けはしない。
あれは生涯、猫ばかりを一心に見つめ続けた人間でなければ到達出来得ない宇宙というブレダンと同じコミュニティーに属す人の鎮(しず)かに常軌を逸したひた向きな絵への狂気の結晶なのだ。

かのドラクロワとて弟子にこう忠告している。

『もし君が、窓から身を投げる人が五階から地面に落下するまでの間にその姿を描くだけの素描の腕前を持っていないとしたら、君は決して大構図の画面など描くことは出来ないであろう。』

この言葉を知った時、些か厳し過ぎると感じたものの少なくとも優れた画家は、目の前に瞬時に起こり、あっという間にその色や形態を変える事物の出来事や表情をカンヴァスに完全に描き切らないといけない、ということだろう。

ドラクロワの弟子に呈したキリキリ舞いを感じさせるほど極論的なアドバイスが、ミントのほんの一瞬の猫の表情を捉えたというのとはまた微妙に違う話である気がするもののやや近いのではないか?という感じも否めない。
私はミントが秒単位に猫が見せるその一瞬の表情、一瞬の野生、
ともすれば誰も気づかないほどの小さく火花が散るようなほんの僅かな差異、
流星が流れ落ちるあの速度にも似て、すぐに転じるその瞬間をカンヴァスに完全にとどめ、描き切ることが出来た人だと私は思っている。

それだってキリキリ舞いするほどの高輝度を体感させる技と経緯ではないだろうか?
描き、創る者にしか解らぬ宇宙での体感なのだ。

 それはミントの『魂の中心部にある最も深いコミュニティー』から発したものであり、ひたすら猫ばかりを描くというその孤独で連続的な行為こそ、ミントにとって『実人生と取り替えても悔いのない宇宙』ではなかったか。

ブレダンと一緒にしてはいけないが、版画創作に過集中するあまり妻はそんなブレダンに愛想を尽かし子供を連れて出てゆきその果ての極貧の暮らしの中でもウサギを大層可愛がり、少ない食べ物をウサギと分かち合って暮らしたと言われるブレダンはそのコミュニティーで一体何をどう視て感じ、そして生きたのであろうか、

動植物を愛し、しかし人間との交流にはミント同様そうとうな問題を抱えつつも、かのオディロン・ルドンにして『生活の状況は悲惨であったのにも関わらずまるで子供のように澄んだ眼を持つ純粋な人物であった』と評されたブレダン。

表面的にはただ単に生涯孤独であっただけにしか見えない『兎(ウサギ)を連れた巨匠』と呼ばれるブレダンと、『猫のラファエロ』と呼ばれながらも猫だけが真の友であったという裕福なパトロンに付き添われ、だがほとんどなんのメッセージも残さなかったミントの短い生涯が、
私には何故かどうしても重なるのである。




《今は天国に棲む愛猫達へ深い感謝とリスペクトそして愛をこめて捧ぐ》


翼猫と猫達

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