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【青森県新郷村】60年目のキリスト祭に行ってきて感じた、胡乱と真摯と伝統の最前線

 世の中に奇祭は数あれど、その中には観光客を呼び込むために当初から「奇妙である」ことを目的に作れたものも少なくない。
 そういった奇祭は面白みに欠ける、と感じる人もきっと多いだろう。
 しかしそれが60年もの間続いているとなればどうだろうか。

 当noteでも度々言及している青森県新郷しんごう村は「キリストの墓」なるもので村おこしを行っている村だ。

 今から90年ほど前に、当時の村の有力者たちが周辺地域出身で十和田湖を有名にした画家である鳥谷幡山とやばんざんに村おこしを相談したことに始まり、紆余曲折の末に鳥谷の友人である宗教家の竹内巨麿たけうちきよまろが「発見」した竹内文書を根拠に「秘密裏に日本に渡ったキリストが最後を迎えた地」ということになったこの村。
 古くから伝わった伝説ならぬ突然湧いて出た湧説ようせつは竹内の逮捕などを経て一度は落ち着きを見せるも、高度経済成長期の真っ只中に東京オリンピックを契機に再び村おこしの題材としてとして復活を遂げ、キリストまつりなる祭りを毎年6月の第1日曜日に行うようになった。

 その後はオカルトブームなどにも乗っかって知名度を上げ、ここ数年は月刊ムーとコラボしたイベントを村で開催するなど、あえて怪しさ・胡散臭さを全面に出しながら観光資源として生かすという道を歩んでいる。

 徹頭徹尾観光客誘致を目的としたこの一連の村おこしは、村としては存分に利用しつつも偽史であることは否定しないという独特のスタンスを維持しつつ、2024年には遂に60回目のキリスト祭が開催されたという節目を迎えた。

新郷村近くのローソン。
隣町の五戸町にあるが
キリスト祭目当てと思わしき客で混雑していた
新郷村中心部。
いかにも北東北の田舎町といった風情の長閑な村だ

 キリスト祭の会場は以前にも訪れたキリストの里公園
 新郷村の中心部から車で5分ほどの場所にある。

 先週までキリスト祭の当日の新郷村は雨の予報となっていたが、いざ当日を迎えると少なくともキリスト祭の間は雨が降ることはなかった。
 しかし山間部であることに加えて近年はめっきり減ったやませが久しぶりに北東北の太平洋側に発生したらしく、この日の新郷村はうっすらと霧が立ち込め長袖どころか上着を羽織らないと肌寒いような気温であった。
 猛暑よりかは遥かにマシとはいえ、つくづく幸先がいいの悪いのか分からない。

この日は曇り空。
こんなのどかな村で珍妙な祭りが行われる

 会場に近づいてみると、すでにずらりと車が並んでいた。祭りまではまだ1時間近くあるが、軽く100台は余裕で超えている数だ。一般参加者向け駐車場が3つあるが、祭りの開始前には全て埋まっていそうな勢いである。
 人口2000人余りの村としては明らかに異様な情景だが、誘導用のスタッフも十分に配置されていて駐車や会場までの行き方は呆気ないほどにスムーズだった。
 流石は60回目ということなのだろうが、毎年これだけの来場者が訪れていることもよく分かる。

 十和田とわだ湖にも程近い新郷村は、ちょうど青森県、岩手県、秋田県の北東北3県の県境付近に位置している。
 それもあってナンバープレートに書かれている地域の大部分は青森、八戸はちのへ、岩手、秋田と近隣の地域のものだがだが、1割程度は関東以西のナンバーも見られた。
キリスト祭に間に合う時間帯に新郷村に到着する公共交通機関は存在せず、遠くから来る人はレンタカーを使うことが多いだろうことを踏まえると実際来場者のうち遠くから来ている人の割合はもっと多いだろう。

駐車場にずらりと並んだ車の数々
第3駐車場前に広がるニンニク畑。
青森県の南部地方らしい光景だ

 なお第1駐車場の横にある看板は、2021年から今年2024年にかけて青森県立美術館を中心に行われている美術館堆肥化計画という地域アートプロジェクトにより作られた作品の1つだそうだ。

 美術館堆肥化計画は2021年から毎年地域ごとに区切って行われており、新郷村を含む三八上北さんぱちかみきた地域 (青森県南東部)は2022年にプロジェクトが行われたが、この看板のような一部の展示物は継続して現地に設置され続けている。

駐車場真横の看板
新郷村における活動の概要
キリストの里公園内に設置された美術館堆肥化計画の看板

 ちなみにこの美術館堆肥化計画は、今年2024年に一連の活動の成果発表として美術館堆肥化宣言を青森県立美術館で行なっている。
 期間は2024年6月24日までだ。

 キリストの里公園前にある土産物屋のキリストっぷも、年に一度のこの日は多くの来場者で賑わっていた。
 この日は土産物はもちろんのこと、地元で取れたと思わしきキュウリやおこわなども販売していた。

この日のキリストっぷは顔はめパネルも置かれていた
キリストの里公園にはひっきりなしに来場者が訪れる
キリストの里公園にある新郷村ロードマップ。
左端の鹿角市は秋田県に所属しており
田子町や三戸町の南は岩手県だ
入り口で配布されていたキリスト祭のプログラム
相変わらず急な坂

 坂を登りきり会場にたどり着くと、決して広いとはいえない公園内で会場を囲むようにぎっしりと人が立っていた。遠くから取材に来たと思わしき人もいれば、近くの集落から歩いてきた地元の人らしき人もいる。

「キリストの墓」の前で執り行われる神事の開始を待つ人たち

 そして10時、囃子の演奏の後に第60回キリスト祭は始まった。

 最初の大祭長挨拶の内容は、いかにも当たり障りのない内容で始まりつつも「キリスト祭」や竹内文書に記されたキリスト湧説の概要とそれに対する「真偽のほどは置いておいて」というコメントなど、胡乱さと誠実さの入り混じる独特の雰囲気を醸し出していた。
 続けての来賓祝辞で祝辞を述べたのは、地元選出の参議院議員。こちらもいかにも奇祭といった雰囲気のキャッチーで宣伝やポスターなどに対し、内容も流れも意外なほどに真っ当だった。

 そして、地元の神主による神事が始まる。
 恐らくこれがキリスト祭が奇祭と呼ばれる最大の点だと思うのだが、以前の記事でも書いた通りにキリスト祭に対する村のスタンスとしては「この場所には村の偉い人のお墓があるので、紆余曲折の末にイエス・キリストと呼ばれるようになったその人を慰霊している」というものだ。
 そういった背景もあり、神事の内容もここまでと同様に至って真っ当、あえていってしまえば普通なのだ。
 慰霊の対象となっている人物の名前が「イエス・キリスト」である点 (それが異様ではあるのだが)の他には、小さな村で行われている慰霊祭として奇を衒ったような部分はない。来賓はもちろんのこと、一般客も脱帽し姿勢を正す。

 この後の玉串奉奠では地元の保存会や周辺地域の観光協会はもちろん、青森県知事や国会議員、県議会議員の名前が読み上げられる。
 来場者代表として現代における宗教の受容や聖地と観光などに詳しい宗教学者の岡本亮輔おかもとりょうすけ氏と並んでwebムーの編集長の望月哲史もちづきさとし氏が名前を読み上げられたことで「そういえばこれキリスト祭だったな」ということを思い出せた。

 続けて、地元集落に伝わる田中獅子舞という権現舞が披露される。
 前述した新郷村の近くにある十和田湖だが、ここは元々修験道における修行の地として栄えたという経緯がある。

 この田中獅子舞も修験道の影響を強く受けた山伏神楽の1つなのだそうだ。

勇壮に舞う田中獅子舞

 そしてついに始まる、ポスターのメインにもなっているナニャドヤラ。こちらは新郷村を含めた青森、岩手、秋田の3県に跨って存在している盆踊りの一種だ。
 多少名称に揺れはあるものの特に青森と岩手の県境付近で見られ、八戸市・久慈くじ市・二戸にのへ市の3市圏域は北緯40°ナニャトヤラ連邦 という名称がつけられている。(新郷村での呼称とは異なり、濁らないナニャヤラという表記になっている)

「キリストの墓」の周りで踊る地元の保存会の人々

 最後に謝辞と乾杯が行われ、閉会の言葉でキリスト祭そのもの終わる。

 続けて会場を奥のキリストの里伝承館前の広場へと移し、ナニャドヤラの祭典というイベントが始まった。
 ここまではなんだかんだで地元の慰霊祭という流れではあったが、ここから先はかなり観光客を意識したイベントとなっていた。

キリストの里伝承館前の広場に設置された看板
ナニャドヤラの祭典では
地元出身のタレントの十日市秀悦氏が
「イサバのカッチャ」としてMCを務めていた

 前述の通りナニャドヤラは新郷村のみならず青森県、岩手県、そして秋田県の県境付近の地域に広く存在している踊りだ。
 今年は青森県の階上はしかみ町の田代たしろ盆踊愛好会、岩手県の洋野ひろの町の大野婦人会、二戸にのへ町の二戸婦人会がそれぞれの町のナニャドヤラを披露した。
 特に洋野町は毎年8月の半ばに北奥羽ナニャドヤラ大会というイベントを開催している。

田代盆踊愛好会の面々
大野婦人会の面々
二戸婦人会の面々

 特徴的な歌詞や代わる代わる歌っていくという形式は共通しているものの、動きや曲調は地域ごとに大きく異なる。1つ1つはそれぞれの地域の祭りなどで見ることはあるものの、こうして複数地域のナニャドヤラを見比べることはこのキリスト祭や北奥羽ナニャドヤラ大会のような機会に限られる。
 その多様性はそれだけ古くからこの踊りが存在していたことを彷彿とさせ、非常に興味深い。

 最後は会場の人々でナニャドヤラを踊り、この祭は幕を閉じた。

終わる頃にはちょうど昼時ということもあり
キリストの里公園前の屋台には
終わる頃には多くの人が並んでいた。
特に以前の記事でも触れた新郷村の乳製品や
村で育てられた鴨肉、ソーセージを
目の前で焼いて販売していた屋台は大盛況だった

 昨年の8月の末からnoteを初め、書いた記事はつぶやきなどの短いものを含めれば100本を超えて久しい。

 生まれ育った北東北であるが、改めて様々な場所を訪れたり調べ物をしたりして実感しているものの1つに、古くから存在していた祭や信仰といったものの背景にあるのは「必ずしも純粋で切実な祈りのみではなかった」という事実がある。

 例えば、新郷村にも縁深い十和田湖に関わる三湖伝説。
 この物語に登場する南祖坊なんそのぼうは修験道の聖地としての十和田湖の開祖であったが、やがて十和田湖の観光地化に伴って成立していった三湖伝説では敵役として扱われることも珍しくなくなった。
 また、敵役とされる前の南祖坊についても古い記録と明治時代の記録では彼が十和田湖の主となるまでの経緯や本人の性格などが異なる。
 これについても当時の修験道には観光的な側面があり、その中で言ってしまえば時代ごとの価値観の変化やニーズに応じて「面白くなるように話が盛られた結果」という側面があるとあう。

時には信仰対象、時には敵役、そして時にはゆるキャラ。
南祖坊は北東北の伝承の登場人物の中でも
自分が最も魅力を感じるキャラクターだ

 伝統は生態系の一部のようなもので、それと密接に絡み合う様々な人間の営みがあって始めて成り立つ。そしてそれらは、明確に分けられるものではない。

 それは時に、その時代を生きる人々の切実な祈りと想いであった。それは時に、コミュニティを円滑に動かすための生活の知恵であった。それは時に、今で言う観光客や誘致するためのアピールであった。時に当時の人々の娯楽の口実であった。それらは時に独立して発生し、時に混じり合う。時にはその伝統が長く、広く伝わるように形が変わる。時には伝統が歪められることに反発し、元の形を取り戻そうとする。
 この有機的な営みと数々の試行錯誤はここ最近に始まったものではなく、ずっと遠い時代から現代に至るまで続いている。

 キリスト湧説そのものは偽史であることは隠さないが、「キリストの墓」の下に眠っていると信じられている誰かに対しては確かに敬意を払う。観光客を呼び込むために敢えて「変な村」であることを売りにしつつも、それを利用することで実際に存在する伝統芸能を残していこうとする。
 そして新郷村役場曰く「突拍子もない仮説」に対する態度は、気がつくと本物の伝統になりつつある。

「神秘とロマンの里 新郷村」というキャッチコピーは、この上なくこの村の今を的確に表しているものなのかもしれない。


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