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青森編

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2024年5月の記事一覧

【青森県田舎館村】元祖田んぼアートと東北の弥生文化の意外な関係

【青森県田舎館村】元祖田んぼアートと東北の弥生文化の意外な関係

 水田に色の違う複数品種の稲を植えて絵を作り出す田んぼアート。
 今でこそ全国各地どころか海外でも行われている田んぼアートだが、その発祥は青森県にある田舎館村とされている。

 田舎館村は津軽平野の南部に位置し、弘前市に隣接する小さな村だ。
 1993年に村おこしの一環として、村役場の裏の田んぼに3種類の稲を用いて文字やイラストを作ったのが始まりだという。

 6月に植えられた稲は10月に収穫され

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【青森県横浜町】横浜観光も青森で

【青森県横浜町】横浜観光も青森で

 青森で横浜といえば世界に誇る神奈川県の県庁所在地、横浜市ではない。
 下北半島と本州の中間部に位置する、上北郡に属する小さな町、横浜町だ。

 横浜町の人口は約4千人。横浜市の人口376万人と比べるとあまりにも小さな町だ。
 というかそもそも青森県の人口は120万人、岩手県の人口は116万人、秋田県の人口は91万人なので、実は横浜市の人口だけで北東北3県の人口を合わせたよりも多い。
 とはいえこ

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【青森県青森市】なぜ悲劇は起きたのか 「八甲田山雪中行軍遭難資料館」

【青森県青森市】なぜ悲劇は起きたのか 「八甲田山雪中行軍遭難資料館」

 1904年1月23日、青森歩兵第五連隊の210名が青森連隊駐屯地を出発した。
 予定は1泊2日。行軍距離は片道20km。行き先は田代新湯。
 後に「八甲田雪中行軍遭難事故」として知られることになるこの行軍は、現代でも悲劇として語り継がれている。

 恐らく周辺地域に住んでいる人以外や山に詳しくない人でも、1971年に出版された新田次郎の『八甲田山死の彷徨』 やそれを原作に制作され1977年に公開

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