サイゴンのいちばん長い日 #日々読書
きっかけ
ある日、私がベトナム関連の仕事をはじめるということから、昔お世話になった上司から、家に送られてきた本。
本を開くと小さな付箋が貼ってあり、「ご笑納ください。」と聞いたことない言葉のみが書かれていた。その言葉の選択から久しぶりに彼の繊細なセンスを感じて、一緒に仕事をしていた際の少し他の人とは違う彼の言葉を思い出した。
この本は著者の実際に体験したノンフィクションの日記としてつづられており、著者が毎日出会う人や起こることに感じるその繊細な描写は、本を送ってくれた彼のセンスと重なるものがあった。
内容
「サイゴンのいちばん長い日」著者:近藤紘一
1975年4月30日にベトナムのサイゴン、いまのホーチミン市が陥落して南北統一された際、著者はサンケイ新聞の新聞記者として、サイゴンに滞在しており、陥落の様子を歴史として語られる政府の視点、その時の生活していた市民はどのようなことを考えていたのかという双方の視点から描かれている。
著者の妻はベトナム人であり、その実家に住み、実際のベトナム家庭に入り込んだからこそ描ける市民の心理描写がおもしろい。文章が魅力的な理由は、新聞記者としての取材能力や文章能力だけではなく、ローカルな生活に溶け込み受け入れられる深い人間力がなせることである。
感想
リアルな戦争の感覚
戦争は、街で野菜を売ったり屋台で商売をしている人にとっては因果関係が少ない。そんな戦争下で、一般の人々はどのように感じて、どのような生活をしていたのか。歴史の教科書では、決して語られることがない心理描写をたくさん見ることができる。
史実の多くは、政府や軍の視点から書かれることが多いが、実際は私たちは一般人であり、その戦争をしかける立場の状況はしっかりとイメージすることはできず、現実味がない。政府視点のノンフィクションを読んでも、実際に起こったことであるが、どこかフィクションのドラマをみているかのようである。
でも、この本はその有事が起きた際の一般人の生活や考えていることに触れており、その描写がとてもリアルに感じることができる。
人や街を描写する敏感なセンサー
民家の前で毎日座り込む老人、窓から見える雲、こんな当たり前の光景を美しく描写している。戦時下の話をしているのに、緊張感がなく、戦争は一部の人が実施しているものであり、自然にとっては我関せず、自然のようになっている老人にとっても我関せずなのであることを改めて実感させられる。
職が無く主人に食わしてもらっている老人にとっては、政権交代なんかに関心はなく、今日飯が出てくるかが重要なのである。
毎年この時期だからしか見えない入道雲にとっては、その街で起きている人間同士の内輪揉めなんかに関心はなく、今日も強く照る太陽が重要なのである。
明るい日常に光をあてる
サイゴン陥落前に、旧国旗を掲げて商売するおばさんは、陥落後に新国旗を掲げて商売をする。こんなたくましい人々の姿も現実なのである。政権交代したときに、アメリカがどうだとか、中国がどうだとか、大所高所からの話と遥か遠い日常には、今日も稼いで子供にご飯を食べさせなくてはいけない生活がある。
こんな当たり前なことに、はたと気づいたときに、心が強くなったような感じがした。いまコロナで社会の雰囲気は明るいわけでない。テレビをつければ暗いニュースばかりが流れる。でも、それはすごく大所高所からの話であり、私たちの生活には日々、小さな楽しいことが起きていて、それを糧にたくましく生きている。
どこに光をあてて注目して生きていくかなのだと、この本を読んで学ぶことができた。
戦時下のノンフィクション本なのに、読んでいるとつい笑ってしまう日常がたくさん書かれたこの本を「ご笑納ください。」と送ってくれた彼の気持ちが全てを読み終わった、今理解することができた。
ありがとうございました。
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