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値下げの果てに

昔からKEYUKAという生活用品メーカーが好きである。
ターナーやお皿など、タワマンのキッチンに置いてありそうな都市的なデザインで、個人的に無印良品よりワンランク上、みたいな認識である。

ワイングラスが一つ1500円くらいで、25歳くらいの頃はグラス一個に1500円
は高いなぁと思っていて、ようやく買えたのが今でも思い出になっている。一つは酔った勢いで割れたがもう一つは現役である。



一昨日、KEYUKAの店舗に二年ぶりくらいに行った。
レイアウトがリニューアルされていて、価格も全体的に少し安くなっていた。
高級嗜好から、少し低価格路線になった感じだった。
成城石井がカルディくらいの価格帯になったような感じである。

ちょっとした贅沢の憧れの店、みたいな感じだったのにそれが低価格路線な印象になるとちょっと寂しい感じがした。
トングが1000円以下で売られていて、触ってみるとアルミの素材が薄くて重いものを掴むと絶対に「たわむ」と思った。
トングがたわむというのはかなり罪深い。
力強く握っても、たわむと力が逃げてしっかりと食べ物をホールドできないのである。それをきっと分かっていて価格を下げにいった印象だった。

脱線するが、マイベストオブトングは、3年前に紹介したオクソーのナイロンヘッドのトングである。これは絶対にたわまない最強のトングである。
今も現役で、値段も高くない。

値下げすることは、何を生むのだろうかとよく考える。
人は古今東西、良いものを安く買いたいと思うが、ただ安いだけの中途半端なものは欲しくないのではないかと思う。

200円くらいで買った小さなザルを5年くらい使っているが問題ない。
これは安くて良いものである。今まで実に色々な食材の水気を取ってきた。とっくに減価償却は終わっているがまだまだ使える。

良い小説も一冊500円で何度も読んで読む度発見があれば、安くて優秀なザルと同じになれるのではないかと思う。
一度読んで、終わり。のものは一度で終わらないものに比べてやはり価値は劣る。というか、一度で終わらないものが価格を超えた価値を生んでいて、金銭という枠組みを超えて資本主義から人間を解放してくれる気がする。

たまに居酒屋で出てきたつきだしのポテサラなんかが信じられない程美味しくて、自分で注文したつまみより美味しかった時、つきだしは大体300円くらいで有料にはなるが、注文したつまみよりも遥かに喜びが大きい。
金額の枠を超えた喜びである。「え、これなんかめっちゃ美味しいねんけど!」と連れと盛り上がれる。プライスレスである。

自分も、安いくせに。あるいは適当な値段設定であるけどその価格以上の驚きや喜びをもたらすものを作りたいと思う。

自分が今やっているコーヒーや小説でもそこは同じである気がする。
ケユカの安くなったトングは使う前からたわむことが確定しているようなもので、安くなった分、いかにも耐久性が低下してしまっている感じがする。それは仕方ないが、やはり製品と値段が完全に一致していく世界は言い換えると値段=価値。になってしまう。そういう世界は僕は望まない。



Amazonで買う前に試着できるサービス「try before you buy」というサービスを今日初めて使ってみた。カード決済で先に仮で引き落とされた後、商品が届き、試着して気に入れば決済を確定し、サイズが合わなければ返送して決済がリセットされるものである。

靴でそれをやったのだが、個人的にはとんでもなく味気なかった。
合理的で、靴屋に行かなくて良いので便利ではあるがストーリーがゼロ過ぎる感じがした。
店舗ならではのワンサイズ大きいサイズを試着する時に店員が「ちょっとお待ちください」と言って、小さい靴を履いたまま待たされるあの変な時間とかがないのが、むしろ恋しいとさえ感じる。
忙しいビジネスマンや冠婚葬祭で急にスーツや靴が必要になった人には便利だが、そうではない普通の買物にやると寂しい気がした。



僕は男性なので、一応効率とか合理性とかを考えて行動していると思うけど、そんなことばかりして最終的にどうなりたいの?と自問したくなる瞬間がある。小さい子どもが走り回っている姿を見たりすると余計に思う。そういう時、答えを持っていなかったりする。

最近、答えを得つつある。
やはり周囲の音(いつもの街、初めて行く街、といった一次情報)に耳を傾ける時間を多く持つため、や、新しい小説を書く時間を持つため、そういう合理的ではないことに時間を費やしたい。というのが明確になってきたので、ようやくあまり困惑しなくなってきた。合理的なものには限界があると薄々感じ始めている。

気の知れた人といる程、僕は話なくなるし、思ったことをそのまま言ったりする。漠然とした会話の中で適当にボケて、適当にツッコまれて少し面白ければOKみたいな感じである。
特に現代は世界情勢的にも不透明さと核戦争の危険さえ伴うし、ストレスや恐怖と隣合わせで、リラックスするのにさえ一苦労する。やはり、リラックスする時は、酒を飲んで強制的に脳を鈍くしてリラックスするか、どうでもいい会話を友達としてリラックスするか、大体この二択に限る気がする。

そこにコーヒーが絡んでくると、リラックス過多になり、逆に緊張してしまうので、コーヒーが美味しい時はそこまで気の知れた友達は傍にいない方が良いかもしれない。気の知れた友達といる時はドトールやスタバの熱すぎる熱湯みたいなアメリカンで十分で、緊張する目上の人となら一杯何千円もするカクテルを飲むと丁度良いかもしれない。
気の知れた友達と美味しいコーヒーを飲んで銀座の寿司とか食べてしまうと、なんかメーターを振り切って心のどこかが破損してしまいそうである。

幸せのストライクゾーンはそんなに贅沢な位置にない気がする。

小説を書きまくってます。応援してくれると嬉しいです。