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ワレモノ

ハンガーが割れてしまった。突然だった。実家から持ってきたプラスチック製のハンガー。見た目以上に経年劣化していたのかもしれない。僕はとりあえずそっと椅子の上に置いて、洗濯物を干していった。ハンガーとしての機能を失ったそれを見て、少しモヤモヤした。

小学1年生だっただろうか、教室での床拭き担当だった僕は木製タイルを一マス一マス丁寧に……とはいかず、端から端へとラジコンカーみたいに駆け抜けていた。
ただ、そんなわんぱくラジコンも減速しなければならない区間があった。教師の机である。この机は小学校低学年にとっては石像くらいに重量があるので、生徒のモノのように後ろに下げることは出来ない。ゆえに脚と脚の間を縫って雑巾をかけなければならないのである。ちびっ子がミニカーで遊ぶようにくねくねと拭きあげていく。手元しか動かせない地味な掃除だが、教師の机の下なんていうガキにとっては敵方の秘密基地みたいな場所に侵入できることはあまりにワクワクする行為であった。

ある日いつも通りしゃがんで潜伏すると、プラスチック製の本立てが割れているのを目にした。ここに入るのは僕以外いない。自分が第一発見者というわけである。
「先生の持ち物が壊れていることを教えれば褒めてもらえるのでは?」
そこでもう1つ欲が出た。
「カッコよく教えたい。サプライズみたいな形にしたい!」
これを実現するため編み出した方法は"椅子の上に割れている品を置く""ことだった。
先生が来て、椅子を引き、それを目にして「コレ見つけてくれたの誰?」、からの「僕が見つけました」、で「先生気付かなかった、ありがとな。」で褒められfinish。完璧だった。完璧だと思った。幼心というのは例え自分のことであったとしても分からない。

結果としてはめちゃくちゃに怒られた。
「破片を椅子に置くなんて怪我させるつもりだったのか?イタズラのつもりだったのか?教えるにしてもやり方があるだろ」 色んなパターンで怒られた。
僕は確か号泣した。そりゃ褒められると思ったのに天地がひっくり返ったように怒られたらあまりの差に泣くだろう。低学年だから怒られることに弱いというのもあるが。

非常に苦い記憶である。自分の価値観や常識が他人とズレがちであることが如実に出た出来事だからだ。ズレてることで笑いになったり、親しみやすい人と思われたりしてプラスだったこともあるけど、それでも一般的な基準と自分の感性がズレていたら不安になるし、その差がいつしか大きく膨らんでとんでもない爆弾になるんじゃないかとも恐れる。僕がTwitterをよく覗いてしまうのも、潜在的に感性の答え合わせをしようとしてしまうせいなのかもしれない。

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