「そんなこと思っちゃいけない」なんて言っちゃいけない


小学2年生の我が子、毎週末、日記の宿題が出る。

私が小学生の時は、小学5年生くらいの頃に、一週間くらい日記の宿題が出た気がするが、なんだか面倒だったし、「何やったかなんてどうだっていいじゃん」と思っていた(当時の先生の事は大好きだったので、あくまで「日記に対しての感想」)。


日記の宿題

日記の宿題を書くということについて考えてみる。

子「何のこと書いたらいいかわからない~」

私「別に何かイベント的なことを書かなくてもいいじゃん。お菓子がおいしかったとか、天気が良かったとかそんなことでもいいんだよ」

自分で言った事なんだけど、今さっき気づいてしまった。我が子の心の声は、きっとこんな感じなのだろう。

でもさあ、人に見せるんだよ。先生は全員の日記を見るんだよ。つまんない事書きたくないじゃん。どうせかくなら「へぇ~、こんなことしたんだ。面白いね」とか思われたいじゃん。

私がnote記事書くときにいろいろ考えたり感じたりしていることと同じなんだな。

● ネタがない
● 面白いと思われたい
● 今日は書いてこなかったの?って言われたらいやだ

母のやっていることを我が子は知らないのだけど、親子で似たようなことやって、同じようなこと考えてたんだな。面白い。


書いてある内容を評価しない

「自分のしたこと、考えたこと」を文章にするというのは、おそらく訓練しないとある程度上手にはならないのだろう。宿題は反対(参照:たくさん、たくさん遊んで欲しい)の私だが、日記に関しては少しは意味があるのかもしれないな、思っている。週に一回くらいであれば。

ただ一つ、気がかりなことがある。先生がコメントに何を書いているのか、だ(私は、日記の先生のコメントを読んでいないので知らない(参照:自分がされたら嫌なことはしない、相手が「やめて」と言うことはしない))。


小説家の清水義範さんの書いた本「清水義範の作文教室」(著:清水義範)という本を以前読んだのだが、その中で日記を指導するうえで大切なことが書かれていた。もう手元に本がないので正しい表現は忘れてしまったのだが、「書いてある内容を評価しない」ということだった。

この本は、小説家でありながら教員免許もお持ちの清水さんが、弟さんがやっておられる塾の、「作文の先生」として、色々な子どもの作文を読み、それぞれの子どもの良さを引き出していく、実際の出来事を元に書かれた本なのだが、「作文を指導するとはどういうことか」がよくわかる。教員や、子育てに携わる人にはぜひおすすめしたい本です。

「内容を評価しない」とはどういうことかというと、本に紹介されているエピソードを使って言うと「女の子のスカートの中はどうなっているのだろうか」と男の子が作文に書いてきたとしても、「そんなことは考えちゃいけません」「そんなことは書いてはいけません」とは言わないということ。

子どもがどんなことを書いてきたとしても、「どうしてそう思ったの?」「そこでどう思ったの?」など、書きたい内容を掘り下げるような指導をするべきだということ。

「そんなこと書いてはいけない」の破壊力は大きい。

上記の本にも書いてあるけど、子どもが読書感想文が嫌いなのも、実は「内容を評価される」事を嫌ってのことかもしれないな、と思う。「主人公は勇気があってやさしくて素晴らしいと思いました。私もこんな人間になりたいです」って書けばいいんだろ?みたいな。感想文じゃないじゃん。大人受け作文コンテスト。


「思っちゃいけない」なんてことはない

もちろん、クラスの子に言っちゃいけない言葉はいっぱいある。見た目に特徴がある子の特徴をことさらにはやし立てたりするようなことだ。

だけど、「あなたの考えていることを教えて」という場合、それは当てはまらないんだと思う。

例えばクラスに嫌いな子がいる場合、「あなたの考えていることを教えて」と言って聞いているときに「○○ちゃんは嘘つきで大嫌い!」と言われたら。そこで「嘘つきなんて言ったらいけないよ」と言ったら、きっと子どもはもう二度と、先生を信用しないだろうな、と思う。

「○○ちゃんは嘘つきで大嫌い!」と言われたら、「そうなんだ。例えばどんなこと言われたの?」と深堀した後で、「今日の話は先生の胸にしまっておくから。○○ちゃんはもちろん、クラスの子にも言わないからね」と言わないと、子どもは先生に本当のことは言わないだろうな、と思う。


子どもが何を言ってきても受け入れられるだろうか

結局のところ、「そんなこと言ってはいけないよ」は条件付きなのだ。直接相手には言わない。それを聞いて気分を害す人には言わない。関係者には言わない。

だけど、思ったことについて「そんなこと『思っては』いけないよ」なんて人に言っていいのだろうか。思っちゃうんだから仕方ないじゃないか。思ったことが罪なのだとしたら、世界中の人はすべて罪人なのじゃないだろうか、とさえ思う。

例えば我が子が「担任なんて死ねばいいのに」って言ってきたら、言ってしまいそうだ。「そんなこと思ってはいけないよ」って。でもそこで言うべきことは、「そうなんだ。どうしてそう思ったの?」なのだと思う。

自分の苦しい思いを受け止めてもらいたいと思っているからこそ、言ってきてくれたと思って、いったん全て受け止める。特に小学生以上の子どもにとっては、このやり取りを経ないと本当の思いを話してくれないのかもしれない。


我が子はもうすぐ小学3年生。きっとこれから、とても大切になるであろうこと。私は実践できるだろうか?

うまくいくかいかないかじゃなく、少なくとも心の中に指標として置いておきたい。

「そうなんだ。どうしてそう思ったの?」



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