たくさん、たくさん遊んで欲しい

昨日は少し重たい内容に・・。

学校の方でも、最近スクールカウンセラーさんが来てくれたり、クラスの特に注意が必要な児童のために、サポートの先生が入ったりと、徐々にストレス緩和に動いてくれているそう。よかった。

今日は、宿題について。



小学生なのに、遊ぶ時間が少ない

私が小学生の時、基本的に宿題がなかった。

学校から帰ってきたら、遊びっぱなし。遊んでいて、夕食が近づいてきたらお手伝いをしていた。今の我が子を見ていると、「遊ぶ時間が少ないな~」と思う。

宿題なんてなければいいのに、と思う。


宿題がいつまでかかるか分からないのが嫌

我が子の小学校は、勉強時間を、学年ごとに「目標時間」を設定しているのだが(2年生だと30分)、その場合、宿題があるとおかしいのではないかと私は思う。

宿題があって目標時間がある場合、先生は「成績が標準レベルの子が30分でできる宿題」を用意してしまう。しかし、勉強が苦手な子は、先生が30分を想定した宿題に1時間かかったりする

目標時間を設定しているのなら、「宿題をしていて目標時間をこえてしまったら途中でやめてもいい」とする方がいいと思う。一応の練習メニューは提示するが、最後までやらなくてもいいし、この通りやらなくてもいい。という程度の宿題だ。

どうしても、今日の授業の内容を定着させたいからみんなに同じ宿題をさせたいと思うのであれば、成績が標準レベルの子が5分でできる宿題だけを出す。そして、残った時間は個々人に任せるのがいいのではないか。


まずは30分走り続ける

勉強に限らず、何かが苦手な人が、それを練習するのを嫌がるとき、私は、「それをクリアするのにどのくらい時間がかかるかわからないから嫌」というのがあると思う。時間が読めないのは、もちろん、経験が浅いからなのだけど。

私は以前、体力がないことが自分にとって問題だと思っていた時期に、マラソンをやっていた知人から「まずは30分走り続ける体力をつけるといいよ」と教えてもらった。

私はそれまで、走る練習というのは「まずは5km」のように、距離で練習をする物だとばかり思っていた。そして、私は「5km走るのってどのくらいかかるのだろうか」と思っていた。そして、走ることを敬遠していた。

しかし、「30分」という終わりが明確な目標があれば、「それなら私でもできる」と思い、仕事から帰ってきてから毎日30分だけ走ることを続けた。

そして、その後ハーフマラソンを完走することができた。


目標時間を定めながらも宿題を出すということは、初心者に対していきなり「宿題は5km。30分は走り続けましょう」と言っているのだ。

それでは、5kmを走り続ける体力がない人間は、途中で息切れしてしまう。疲れた体を引きずって無理やり5km走ったとしたら、もう、走るのは嫌いになってしまうかもしれない。


子どものうちに、たくさん遊んで欲しい

昨日、我が子は宿題をせず(学校に宿題を忘れてきたので)、家にあるワークを一緒にやった。宿題をしているときは、やっぱり「やらされている感」がにじみ出ているのだが、自分で選んだワークをやっているときは、すごく真剣

勉強は、自分のしたいことをする方が吸収する力も強いはず。これは、自分の経験から言っても、間違ってはいないと思う。

そして、よく言われることだけど、「遊ぶこと」は、10歳にならない子どもにとって、すごく大切なことだと思う。この頃の遊びは、勉強みたいなものだ。遊びたがることは、学校で学んできたことは違うことを学びたいのかもしれない。ここで得た経験は、人生の支えになる。

私はこの頃に、遊びから試行錯誤をする力を得た。

勉強の習慣づけはもちろん必要だと思うのだけど、遊びに真剣に向き合うことが、その先の人生で色々なことに真剣に向き合うベースになる。私はそう思っている。

私はこれからも、少しでも我が子が「遊ぶ時間」を作れるように手助けしていくつもりだ。

お手伝いもしてもらうけどね。



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