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もう一つの理由

前回の『手に負えない本たち』からの続きです。

自身が本棚に入れられない(=手に負えない)本について検証し、生々しい話はどうもNGのようだという結論に達しましたが、”もう一つの理由”については回を新たにしたく、今回への引き継ぎとなりました。


Restart(再びのはじまり)ですが……

前回紹介しました手に負えない本『人間は哀れである』は一旦置きまして、よしもとばなな著『デッドエンドの思い出』”あとがき”で再開します。こちらは前回に馴染まなかったことによる、今回いきなりの紹介です。

さらにばかみたいだけど、私はこの中の「デッドエンドの思い出」という小説が、これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好きです。これが書けたので、小説家になってよかったと思いました。

よしもとばなな『デッドエンドの思い出』あとがきより抜粋

私の本棚の中に、よしもとばななさんの本はこの1冊(短編集)のみで、他の作品は筆名が吉本ばなな時代の数冊を図書館から借りて読んだ見識ながらも、この短編は著者をして「自分の作品の中で、いちばん好きです」と言わしめるほどの力作なのだと、繰り返し読むごとに共鳴します。

この短編集にある『ともちゃんの幸せ』は、タイトルに反し、かなり生々しい内容ですが、是非こちら→Wikiをクリックしてあらすじをご確認ください。辛い単語もあるため、ここに引用することができませんでした。
しかしながら、作品の語り口は下記のようにいたって優しく――。

そして、お母さんが死んだとき、最高に孤独な夜の闇の中でさえ、ともちゃんは何かに抱かれていた。ベルベッドのような夜の輝き、柔らかく吹いていく風の感触、星のまたたき、虫の声、そういったものに。
ともちゃんは、深いところでそれを知っていた。だから、ともちゃんはいつでも、ひとりぼっちではなかった。

『ともちゃんの幸せ』より

私はこの『ともちゃんの幸せ』が好きすぎて、何度読んでも読み終えたとたんに本を抱きしめたい衝動にかられてしまいます。


ですから、つまり……

単に生々しいだけが、本棚入りするか否かに関わる問題ではないということです。ふっと昇華の2文字が頭に浮かびました。
たまに耳にすることがあるものの、実のところ意味をよく理解していない用語です。よく理解していないくせに、何かの啓示みたいに頭に浮かんだからには、きっと何か意味があるのでしょう。
昇華について調べてみました。そして、あまりよく理解できなかったものの得た答えが、「生々しさを別の感情に高められるかどうか」――そこが境目ではないだろうか……と。

東海林さだおさん著『人間は哀れである』の収録作で唯一理解できなかったあの作品(今回はタイトル名を伏せます)の生々しさに対する嫌悪感は、自分自身よりも肉親が老いることへのどうしようもない焦燥感と結束し、見たくないものとして作品に蓋をしたかったのだと思うのです。
――否。蓋をしたのです。
蓋をしてしまっては、生々しさを別の感情に高めるなんて無理な話で、その結果、手に負えなくなっていた――というのがもう一つの理由。――だと思います。


そして、2つの予感

とはいえ、『人間は哀れである』のあの作品は、いつか自分の拠り所になるかもしれないという予感。
『人間は哀れである』に収録されている著者と編者の対談は、今後も、読み返したくなるという予感。
そんな2つの予感が働いて、私は約1年6ヶ月もこの本と向き合っています。(もちろん、時どき思い立ったように……です)。
「前者の予感は不確定」「後者の予感はほぼ確定」―― この2つ、実は表裏一体の関係かも……の根拠を以下にまとめて、2回に分けた記事を終えたいと思います。


まさかの、石川啄木

石川啄木がキーワードです。
この手に負えない本は編者による選集であることから、著者と編者の対談も組み込まれていて、それらも私の興味をそそるのです。
対談は”1”と”2”の2つがあって、2の方が長めな分、一層興味をそそります。例えば……

東海林:大学生の時に太宰治を読んで、含羞がんしゅうという言葉を知ったんです。あの言葉は太宰が作ったんじゃないかな。昔は含羞を辞書でひくとなかった。いまはあるけど。
《中略》
あまり知られてないけど、太宰はユーモア小説を何編か書いていて、
《中略》
だけど太宰の全体の作品の中ではほとんど評価されていない。ユーモアはなかなか商売に結びつかないんですよ。

『人間は哀れである』東海林さだお×平松洋子 対談2より

そして、一際興味をそそられたのが……

平松:太宰の次に夢中になった人は誰かいましたか?
東海林:石川啄木。啄木も本当にはまって、一時期は全部覚えていました。今でも二十個くらいそらで言える歌がありますよ。

『人間は哀れである』東海林さだお×平松洋子 対談2より

ここです!ここでの石川啄木の登場が、私の想像力を膨らませました。


ならば、つながる!

前回お伝えしましたように、手に負えない本は本棚ではなくテレビラックに並んでいます。そして、このテレビラックには”器と料理の本”であったり、それこそ”フォト俳句に関する本”であったり……実に様々なマガジンも整列しており、そのうちの一冊、ロバート・キャンベルさんのテキストと石川啄木とがピーンとピッタリ繋がったのです!
キャンベルさんのテキストとは、日本文学の一文をキャンベルさんの解釈付きで英語に訳すというもので、樋口一葉や芥川龍之介らと共に石川啄木の名前があったことを「ピピピ」と私、察知しました。というよりも、『一握の砂』から幾つか取り上げられた歌の中、自分が今まで知らなかった啄木の次の歌に胸うたれたことを思い出したのです。

たはむれに母を背負ひて
そのあまりかろきに泣きて
三歩さんぽあゆまず

一時期は石川啄木の歌を全部覚えていたという東海林さんがこの歌を知らないはずがありません。東海林さんが高齢者の話を執筆する際はこの歌を思い起こすことも無きにしもあらずで、だとすれば、手に負えないあの話と啄木の歌(すなわち対談)はどこかでつながっているというコジツケからの表裏一体説。――無きにしもあらずです。

なお、上に記した啄木の歌をキャンベルさんは、
just for laughs I gave mom a piggy back ride
but she weighed so little I started crying
and couldn't take three steps 
と訳しています。お見事なので歌とは離れましたが併記しました。


Lastly(最後に)ですが……

余談です。
今回話題として挙げた東海林さんと編者との対談2ですが、この対談、「ユーモアは商売になるか」と「人間の可笑しみ」の2つの項目があり、当記事では前者を参照にして太宰治と石川啄木のお二方が登場しました。
後者の方だと向田邦子さんの名前がありまして、それもまた、この対談を読み返したくなる理由です。
そして、前回、「自分は”本の帯”を取っておく派ではありませんが、例外があり、これがちょっと自慢めいた話になるため余談で別記します」としていた件と向田邦子さんが、ここで絶妙に重なってきます。
本棚にいれる本に”本の帯”をつけない私でも、なかには残しておきたいものもあり、そんな”本の帯”は小箱に入れて保管し、現在その数11枚。
小箱の容量との兼ね合いもあり、なるべく増やさないよう選りすぐり、増えてきた頃には本と同様”本の帯”と向き合っています。
下に添付は、普段は小箱に保管している”本の帯”と”本体”との写真です。

私の本棚より/本に一礼し撮影

私が敬愛してやまない二人が出会い、たった一本だけ手をたずさえた作品です。写真から本の帯に書かれてある文字が一読できますでしょうか。

清張がニヤリと笑った
自作「駅路」の大胆な脚色。
人生の岐路に立っていた
向田邦子自身のドラマ……。

まだまだ余談を続けたいところ、ここはあくまで余談の場。続きは向田邦子さんの誕生日である11月28日に決めました。カレンダーを見たら火曜日でした。松本清張さんについては所縁ゆかりの日と思われる今年の2月に投稿しています。noteにおける私のこだわりポイントです(但し時々)。
またも余談が長くなりましたが、ここにて了といたします。


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