京急の街「川崎大師」|コロナでも厄除けってしてますか?
今年は初詣に行かなかった。
これがなんとなく気持ち悪い。
宗教観からなのか、単に年中行事としてやっていないからなのか。
いずれにせよ、僕は無宗教だし、他の年中行事なんて全然興味がないつもりだったんだけど、初詣だけはなぜかないとだめなんだな。
そんなわけで、さすがに空いているし、空間も広いだろうということで、川崎大師に遅ればせながら初詣らしきお参りに行ってきたのだった。
案の定、これまで見たことがないくらい空いていた。
京急のはじまり、川崎大師
川崎大師駅は、KK23で京急川崎から出ている支線「大師線」の駅。
品川から乗り換え含めて21分で着く。
調べてみると意外と近い。
京急川崎からは大師線で5分だ。
川崎大師は京急にとっては非常に重要な駅である。なぜなら、一番はじめにできた駅だからだ。
京急の歴史を語る「京急歴史館」にはこのように載っている。
https://www.keikyu.co.jp/history/chronology01.html
1899年(明治32年)1月21日、晴れ。
午前10時、1両の電車が満員の乗客を乗せて六郷橋から大師へ向けて走った。
それが私たちの歴史の始まりだった。
その日は川崎大師(平間寺)の縁日に当たり、参詣を兼ねて関東で初めて、日本で3番目という営業用電車が走るのを一目見ようと、多数の見物人が押し寄せた。
沿線の安全確保のために、川崎警察分署は数十人の巡査を派遣して、その整理に当たった。
資本金9万8000円、立川勇次郎を代表者とし、所有車両5両、営業路線は約2kmの単線、職員は事務部4人、運転部8人、機械部4人、路線部1人の計17人で開業したのが、現在の京浜急行電鉄の前身、大師電気鉄道であった。
開業後、名称を京浜電気鉄道と改め、京浜間全通という大きな目標に向かって歩み始めた。
この動画、「懐かしい」という方もいるのでは。僕はまだギリギリ生まれていないけれど・・・。
そんな歴史を少しかじっていたこともあり、今回は駅や線路も少しずつ撮ってみた。
京急川崎に停まる京急大師線。
先頭車両はいつになってもウキウキするのはなぜだろう。
バリアフリーみたいな優しさはない。
一方考えると、昔はこれが普通だったんだよな。
駅は未だに渋い。
この小さな駅から京急の歴史がはじまったことを思うと感慨深い。その線が品川や横須賀方面に延長、連結、日本の成長を支えた京浜工業地帯を縦断する路線になることを当時誰が想像しただろう。
表参道にある川崎大師の暮らし
表参道に向かう。
兄弟だか、カップルだか、若い男女で二人乗りなんて久しぶりに見た気がする。外出していないだけだろうか。妙に川崎っぽさを感じたのはなぜだろう。
表参道にこんなに人がいないのを初めて見た気がする。
小さい頃から近くの公園に遊びに来たり、お参りに来たり、何度かこの表参道は来ているけれど、土日となれば年中ある程度の人の往来があるイメージだった。
観光客の賑わいの代わりに、デイサービスセンターからおじいさんおばあさんたちがなにか歌っているのが聞こえる。保育園の歌の時間かと思って見渡したらデイサービスだった。
僕も将来こういうところに来て歌を歌うようになるのだろうか。
今っぽい住宅もあったりする。
コロナでも、いやコロナだからこそ、厄除けするのか
タンタカ、タンタカ、タンタカ、タンタカ・・・
川崎大師といえばトントン飴。参道にはトントン飴屋が多く並ぶ。
閑散としている参道にノリノリビートが鳴り響く。
だるま屋も多い。
目の白いだるまが並んでいる様子はモノクロにすると気味が悪い。赤だからこそ美しさがある。でもモノクロで撮ってみた。その場にいた感覚はこれに近い。
川崎大師の門。
門の前の七味唐辛子を売る屋台。僕の記憶の中では常にここにある。いつからやっているのだろう。
人は少ないが、やはり迫力がある。本堂の中では今まさに厄除けの儀式が行われている。太鼓の音とお経を読む声が響き、日本にも宗教があるのだな、と感じた。宗教の存在を感じさせるなんて、日常の中にはなかなかない。
炎、煙。浴びるうちに、なにか違う世界に来た気分になる。
なにをそんなに祈っているのだろう。
僕がお賽銭、お参りを済ませた後に来た女性はずいぶんと長い間手を合わせている。
他の寺や神社に行ったときも同じようなことを感じた。お祈りにはずいぶんと時間をかける人がいる。僕の祖父もそうであった。
ゆっくりと流れる時間のなかで、彼女らの頭の中にはなにが流れているんだろう。
本堂には厄除けを行うお坊さんの読経の声が鳴り響く。
外に出ると「もとの世界に戻ってきた」という感覚になる。
こうして僕らはいつもの世界に帰っていく。
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