不思議ではない。
人間の記憶にはない“起因”がある。
「なぜ、こんなことが起こるのか?」
「自分には一切身に覚えのないこと」
「なんで、自分ばかり、いつもこうなってしまうのか」
「こんな奇跡のようなことが起きるとは夢にも思わなかった」
「私は運がいい。余程、守られているか、前世で徳を積んでいたか…」
…このような話、時折、聞こえてくる。
これ、如何にも摩訶不思議な現象、ということではない。
不思議ではない。
なぜならば、何かが起こるということは、必ず起因となることをしてきているという実相があることを推して知るべし。
「ああ、可哀相なことだ」
「気の毒でしたね」
…このような話、遥か昔、永い長い人生を見ると、何処かで何かをしている。
これ、建て前では見えてこないこと。
本音の自分の生き様を見詰め、本気で対峙せねば、その起因がはっきりすることはない。
結果は、人間一人ひとりの持つ起因に基づいて、時の流れの中でふと現れる。
人間は皆、原因を作っていく起因を作っている。
己、自分自身の人生をどのように捉えているか。
自分の肉体について、命について、そして時間について…。
自分の視座、視野がどの程度啓いているかで、その起因が何たるか、なぜそれが起こるのかが分かるようになる。
そのことを肝に銘じ、現実の左脳ではなく、潜在の右脳にアクセスし、起因をつき止めてみます。
有難う御座います。
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幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者