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真実は一つ。

人間、不意に人に“何か”を言われることがある。


己も一度や二度、そのような経験はあるだろう。


そのことを言った本人も、なぜそのようなことを言ったのか分からないでいる。


これ、神仏が、人を使って言わせているということを推して知るべし。


本来は、初期の段階で、物が不意に落ちたり、壊れたり、頬や目に風や陽の光を受けたり、虫や鳥、動物たちが囁いて教えてくれたりしているが、大概の人間は、その意図を感じることが出来ない。


それでも気付かぬ場合、神仏は人を使う。


これ、余程のことと心得よ。


このような時、多くの未熟な人間は、その不意に言われたこと、即ち指摘だったり、叱りだったり、批難に対し、怒りや悲痛な感情を持って反応してしまう。


そして、気付きや反省もなく、ただ単に、相手を嫌厭し、揶揄し、排除しようとする。


こうなれば、神仏からすれば、もはや諦めの境地。


成す術なし。


この人間的な感性、即ち人間性の低さが、気付くまで身心を痛めつけ、苦悩が消えない原因となる。



「確かに、いきなり面と向かってガツンと言われることあるけど、その時はムカつくけど、よくよく冷静になって考えてみると、自分に問題があったなんて気付くこと、そういえばあったなあ」



「いやいやちょっと待って。神や仏に言わされたって?なんで、そういう宗教や迷信のような話を信じるかなあ。誰だって、いきなり否定されたりしたら感情的なるし、それ普通のことじゃん?言われっぱなしっていうのも情けないし。そういう場合、どれだけお前が間違っているのかっていうのを論破してやるよ」



「私は、指摘とか否定されるのって、ダメなんです。面と向かって言われると、もう何も言えなくなってしまいます。水掛け論になるのも面倒だし。だから、聞いてるふりして、その場をやり過ごします」



「俺は、みんなからの指摘は、甘んじて一旦受けるよ。腹立つ時もあるけど、そこをぐっと堪えて。それで考える。何で、そんなことを言われてしまったのか…。それで気付く。気付けない時は、相手に感謝し、分からないことを打ち明けて、聞いてみることにしてる。俺の座右の銘は“万象皆師”。これ、死んだ爺ちゃんから教えてもらったことなんだ」…。



人間にも、様々な段階があるのは興味深い。


真実は一つ。


己の心に突き刺さる言葉や態度、事象は、大概が、神仏からの知らせ。


そのことを無視し続けていると、人生、良くなるどころか、坂道を転げ落ちていく。


分かるまで落ち続ける。






そのことを肝に銘じ、感性を高め、日々の中で、皆々様から指摘やアドバイス頂いたことを受け止め、熟考反省し、自分自身の人生の改善に繋げます。





有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者