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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2022年8月の記事一覧

どうしていつもこうなる人間よ。

何を基点としているか。物事の根源、真理が思考の基となっているか。これが肝要。人類にとって「科学」は、真実を解くために極めて重要な要件。しかし、現代科学の多くは、この基点が間違っている。それは、“人間のため”という基点。ここが狂いの元となっている。自然は人間のためだけにあるのではない。それが分かっていない。しかも、更に問題なのは、カネや名誉や権利、当人の保身のために科学が扱われてしまっている。これが全て、科学の迷信の発端となっている。人類にとって、真実を解くために極めて重要な「

この実相にあるのは一体何か?

この実相に何があるのか。それは、この世とあの世。即ち、見える世界と見えない世界、この世とあの世があるのみ。「何言ってるの?この世だけだよ。あの世なんて宗教の架空の世界だよ。」「あの世があるのは何となく分かる。人間は死んだらあの世に逝くと親から普通に聞かされているし。でもこの世とあの世以外にもあるんじゃないの?」プラスとマイナス、明と暗、生と死。表と裏。これらは表裏一体。そして、この世もあの世も表裏一体。これが宇宙の法則、実相の在り様。この関係を理解出来ていれば、ものの見方が大

他人に、自分に、嘘をついて、誤魔化して、いい加減に生きることを止めることだ。

誤魔化しの一切効かない世界がある。「俺はどんなことでも完全に隠し通すことが出来るよ!」「世の中は騙される方が悪い!世渡り上手でなきゃ、此の世じゃ生き残っていけないよ!」「もしそんな世界があったら、私なんて到底生きていけない!だって、これまで散々誤魔化して生きてきたから…」「これまで誤魔化したことなどないから、そのようなことを想像したこともないな。」「誤魔化すって、人だけでなく、自分に対しても?」誤魔化しの一切効かない世界とは一体どこにあるのか?それはあの世。人間、死を迎え、あ

信じる力を侮ってはいけない。

やると決めたらやる!そこからダラダラ、フラフラしない。「そんな簡単に決められないよ。だって、失敗したらカッコ悪いし、ダメージ大きいからなあ…」「決めてやらなかったら、またかと自己嫌悪になって、もうやる気がなくなっちゃうんだ。だから決めたくない!」「生真面目すぎるとポキッと折れちゃうよ!気楽にいこうよ気楽に!」「決めるほど、燃えるものが無いし、決めたところでどうせ出来ないし…」。決めれる人。決めれない人。決めて途中ですぐにあきらめてしまう人、絶対に最後まであきらめない人。この違

真実に迫りたいのであれば

自分自身が未完成のままだから、未完成なものしか出来ない。自分自身がいい加減だから、いい加減な状態で終わる。これ自明の理。本物を創りたいのであれば、本音に従った生き方が必要。真実に迫りたいのであれば、本気で向き合う必要がある。何かの賞賛を得た時、何かの利益を得た時、自分だけの力でやっていると思っているから質量が思ったほど出て来ない。従って、自分の思いを超えた、いい仕事や最高の作品に繋げ仕上げるには、生き様への心掛けを徹底し、いい加減さを排除し、感謝と報恩の念を持って、本音で本気

「感動」という仕組み

人間には、「感動」という仕組みがある。これは人間に留まらず、万物にある。何かを感じ動く。その動きとは振動であり波。その波は、やがて超大宇宙にまで及ぶ。故に「神動」とも云う。一人の人間の感動の波が、神をも動かすということだ。その真理を、己はどう捉えるか。単なる空想事か、それとも似非話か。否、これが真実。正に道理の世界。人間は、なぜ、感動すると、胸が熱くなるのか。そして、時に大粒の涙が溢れでてくるのか。それは、何を意味するのか。己は、どのような時に感動をするか、そのことをどこかで

それが「本当の仕事」に導くサイン

己にとっての「本当の仕事」とは何か?それは、己の人生を掛けて取り組むべき所業。従って、己が生活をするため、物カネとしての富を得るための仕事のことではない。この世に生きるということは、それぞれの意味を持って、やり直し人生として在るということ。即ち、「本当の仕事」をするために生きている。それが一体何のことなのか、さっぱり分からんという状態ならば、今一度、性根を入れ替えて、己の人生を真剣に見つめ直した方がいい。多くの人間は、死んだ後に「本当の仕事」が何だったのかを思い出すことになる

どれほどその命を懸命に生きたかが問われる。

人間、うっすらと感じていながらも、信じ切れていない「本当の人生とは何ぞや」ということ。特に“命(いのち)”について考えた時、輪廻転生が在るのか無いのか思い悩む。人間、死んだら一切合切終わりなのか、それとも続きがあるのか。己はどう考えるか。この真理、そろそろ在るのか無いのか、自分の意志で決めた方がいい。無いというのであれば、無いにふさわしい生き方になろう。在るのであれば、在るにふさわしい生き方になる。これは今世の生き方に決定的な違いを生む。どっちつかずの中途半端が一番良くない。

7月30日に蒔いた秋蕎麦の種が、芽が伸び、こんなに大きくなっていました。

7月30日に蒔いた秋蕎麦の種が、芽が伸び、こんなに大きくなっていました。昨日(2022年8月20日)は、東京から4時間かけて電車と車を乗り継ぎ、茨城県常陸太田市の旧金砂郷村の借りている蕎麦畑の中耕作業をしてきました。曇りでしたが、この日は湿度が高く30℃近くありましたので、かなり良い汗を流すことが出来ました。自然の生命力の強さを改めて感じた午前中でした。9月中旬から下旬頃に花を咲かせ、辺り一面が真っ白になります。それはもう見事です!その後、10月上旬頃に収穫、下旬まで乾燥させ

“足を引っ張る部分”をどうすれば知ることが出来るのか?

なぜ、これほどまでに血のにじむような努力をし、苦労を受け入れて頑張っているのに、一向に報われないのか。毎日毎日、真面目に働き、何一つ、後ろ指を刺されるようなことをしていないのにも関わらず、なぜいつまで経っても生活が良くならないのか。起こるのは、苦労や不幸事ばかり。巷に目を向ければ、皆、華やかで、楽しそうで、自分よりも恵まれているように感じる。「ああ、なんで自分ばかりがこうも不幸なのか。人生、生まれてこの方、何一つ良いことなどない!」。人間、このように感じ、時に投げやりになって

些細なこれらのことが出来ているか

人間、幸福も不幸も全部、自分が作っている。誰の所為でもない。例外はない。全て自分の所為。増してや不幸であることを地球の所為などと思ってもらっては困る。なぜならば、地球や宇宙は、人間の所業などお構いなしの大きな仕組みによって動いている。人間の所為で地球が壊れるなど、己惚れない方がいい。神頼みなぞしても何も変わらない。それよりも、己自身はどうなのか。生かされていることに感謝と報恩の意を持ち、素直、正直、謙虚に生きれているか?それが誰であったとしても、目の前の家族や隣人に慈悲、慈愛

人間、全く自由になるためには、「由」がある。

人間の本当の“自由”とは何か。現代語訳では「他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること」とある。「好き勝手」「自由気まま」に我儘放蕩に生きるとするか。自己決定の権利をもち、自己決定に必要な情報の告知を受ける権利があるとし、その特恵を主張するか。人間の解釈とは何と“自由”であることか。実相における本当の“自由”とは何か。人間、全く自由になるためには、「由」がある。即ち「由」は、「基づく」「立ち寄る」「頼り従う」の意。従って、人間が自由を得るためには、本当の事訳を知る必

何事も順調、順風満帆と思ったら

子供の頃から大した苦労もなく生きてきた人間よ。生まれてこの方、大した逆境もなく安穏と過ごしてきた大人たちよ。何事も順調、順風満帆と思ったら、実相ではそうではない。人間、苦境が心を磨く。一大決心が魂を成長させる。失敗覚悟で飛び込んだ経験が人間性を高める。これらは人間味、即ち人間としての人生の味わいを深くすることが出来る。従って、これまで好都合に物事が進んでいるようなら、それに心底感謝をし、一大決心をして大逆境に飛び込んでみよ!もし、そのままでこの生涯をうまくやり過ごそうなんぞと

浮き沈み乍ら生きる運命

人間は、浮き沈み乍ら生きる運命にある。万人共に同じく平等に与えられた運命の波。今が良いのはたまたま。従って、今が悪いのもたまたま。人間、この浮き沈みの度合いによって、生かされている。それを味わい尽くすといい。良くも悪くも弾み車は前に進む。そうして永い長い坂道を昇っているのである。早い遅いは関係ない。その行き着く先は、15次元の源。元の御霊に戻っていく。魂は、このような悠久の旅を続けている。だからびっくりする必要も焦る必要もない。ただ、只管に今を懸命に生きるのみ。この運命の旅で