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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2022年5月の記事一覧

運を付ける

他人が見て、あの人は運の良い人だと思われているとしても、当人にとって、それが本当の運であるとは限らない。金儲けが出来たから良い運だった。昇進昇格したから運が良い。第一志望に合格出来たことは運が良いこと…。これは必ずしも本当の運であるとは限らない。運の真実は、人柄、人間性の成長によって図られる。運の中身は、その姿を見て付けられる。その仕組みを理解したならば、「運を試す」とか、「幸運が訪れますように」と願ってみたところで、そうなることはまずない。即ち、己の損得勘定で運を求めても埒

そのかけがえのない探究の時間を蔑ろにし、軽く捉えるでない

人間、自力で生きていると思っている。いざとなれば自分独りで何とかなるとも思っている。本当にそうか。では、社会はどうやって動いているか。自分が出したゴミを誰が処理・処分してくれているのか。食べ物や水はどうか。誰が一から作り、提供してくれているのか。もはや現代の生活インフラのエネルギーや携帯電話、公共交通などがなければ生きていけない、などということもある。「金を払っているのだから、とやかく言われる筋合いはない」。差し詰めこのようなことが返ってくる。では、人間の身体の中はどうか。自

未来に何が残せるか/創発の奇跡/ショック・コヒーレントの実践

皆さん、こんばんは。改めまして、5月24日に、第4期ショック・コヒーレント基礎講座(SCBC)の第10回目ファイナルが開催され、5ヵ月間の旅が終わりました。回を重ねる度に、SCBCも進化を遂げております。ぜひ、お時間のある時にでもダイジェスト版ではありますが、大切な皆さんと共にご視聴ください。 未来に何が残せるか/創発の奇跡/ショック・コヒーレントの実践(決意表明)総評と修了書授与/懇親交流会/第4期ショック・コヒーレント基礎講座⑩ファイナル(2022年5月24日)【ダイジ

時々善人は善人か?

人間、己が善人だと思っているものが殆ど。であるならば、なぜこの世は、豊かで幸福で、一切が喜びに満ちた世界であるはず。自分は善人なのに、世の中がそうはなっていないのは、誰かが善人の振りをしているから?誰かが悪いことをしているから?そう心の底で思っているのではないか。では、善人とは何か?善くも悪くもなく、時々善くもあり、悪くもあり、時々弱者に対し慈悲であり、時々無慈悲な時もある、困っている人が傍にいたら時々は助けるけれど、時々は忙しいから見て見ぬ振りをすることもある…、時々苛々し

誰も行かない苦しい道

今、人生の分かれ目に在るのであれば、誰も行かない苦しい道を選ぶこと。それが、真の人生街道。人間、万人とも、楽をするため、休むために今世生まれて来ているのではない。そもそも意図せず生まれさせられているものでもない。自らが願い出て生まれ出て来ている。苦労の道に挑み歩みながら、様々な経験をし、人間性、人格を向上させていくことを誓い生まれてきている。この修身世界の展開こそが実相。但し、人生、苦しみながら生きてはいけない。真の苦労とは苦しむことではない。苦労の真の意味を捉えられた時、苦

向き合う

自分の人生、何ぞや?という問いに答えを見出したいのであれば、人間、生まれて来ることの誕生の謎、生まれくる目的、その秘密を自分自身で解明する必要がある。しかし、それを知ることは、卒倒に値することやも知れぬから心して掛かること。それ程の覚悟を持って自ら懇願して生まれ出てきているという真実を、人間はどれだけ悟れるか。これに掛っている。しかし、残念ながら、多くの人間は、このことを忘れ、思い出せずに、この世の生涯を終えていく。これでは、何のために自ら願い出て生まれてきたのかを失念したま

世の社長へ

世の会社経営者である社長へ。会社は順調か、儲けさせてもらえているか。会社に従事してくれている人々は元気か。疲れていないか。燃えるような情熱を持って、仕事が出来ているか。社会やお客様や社外の関係者の人々から感謝の言葉はあるか。そして、社長自身、将来に希望はあるか、不安で一杯か。もし、今、厳しい状態にあるのなら、このことを思い返してみるといい。会社とは何か。仕事とは何か。人生とは何か。真の幸福とは何か。これらにどのような答えを持っているか、今一度、振り返ってみよ。もし、このような

その答えは、自然界の中に在る。

自然、自然界を視よ。静かで厳(おごそ)かで調和に満ちている。自然界の生命は、互いの分を弁え、欲張らず、互いに仕え支え与え合い乍ら、その役割を粛々と果たしている。人間はどうか。悲しいかな、利己・我欲に塗れ、我先にと奪い合い、己の分を弁えず、誰見ずとも放漫・放蕩し放題、挙句の果てに自ら懇願して生まれてきたことを忘れ、好き勝手放題、いい加減に生き、生前の約束も果たさずに知らん顔をして死んで逝く。このような種が万物の霊長の口実に地球を支配している。元はそうではないのに、自制が効かなく

「基本」

ものには全ておいて「基本」が在る。人生における「基本」とは何か。それは、己の土台になっているものをどの様に思い捉え感じ取れるか。人生は、この「基本」における正しい観念を持つか否かによって、大きく差が生じることを推して知るべし。即ち、全てを「与えられている」という観念。全ての人間は、初発よりこの方、何一つ、自分で生み出したものは何も無いという真理に気付く必要が在る。己の命さえも、裏付けがあって今存在しているということ。しかし、この人間社会は、たった数千年の歴史の中で、あることな

もはや自力で悟ることが出来ない

人間、本当の生き方を忘れ、そのことに気付かされる時が、遅かれ早かれ来る、既に何度も来ている。しかし、今の人間は落魄れ過ぎていて、時が来ても気付かない、気付けない(気付こうとする気すらない)。こうして今回も末法の世を迎えてしまっている。何とか自力で気付くことが出来、性根を入れ替え、日々の在り方を変えてから、真理を体得するまでに10年は掛かる。残念なことに、人間の多くは、自力で悟ることが出来ない状態にまで来ている。余程、柔軟な思考と実行力が伴わなければ、今世も不甲斐なく終わる。何

誰の所為か?

人間の心と身体は麻痺状態にある。麻痺が酷くなり、長く続けば続くほど、運が付かないどころでなく、無自覚のうちに善くないことをし始める。その行為が外や内に向いていく。そのまま放置された心と身体は、崩壊していく。これ、誰の所為か?どうすれば正常な状態に戻るのか。これは誰の所為でもなく、自分自身の所為。そして、正常な状態に戻すのも自分しかいない。残念ながら、医者も薬も、家族も、世の中も何ともしようがない。人間の身体の歪み、疾患、痛み、そして麻痺も、全て基点は自分の日々の意識、思考、行

感性を高めよ

自然なこと。理に適ったこと。道理に沿った生き方であること。そして善悪の分別がついていること。それらを身に付けた成人は、真の人生を歩んでいる人。人生とは、「完成された人(成人)」の生き方という意。人間は、この成就のために、この世に生を受けている。一方、不自然なため、理に適っていないため、道理に沿っていないため、そして善悪の分別が出来ていないために起こる困難がある。これは未だ間がある人間である証拠。目の前に起きている事象に対し、これは不自然だな、理に適ってないな、道理に沿っていな

真実が見えている人

人間、お金のお陰で生きていると思っている。お金がないと生きていけないと思っている。本気でそう思っているのか?では聞くが、お金を持っていても、なぜ不安が拭えない?人間、不安が消えないから、お金が生きがいになり、まだ足りない、もっと必要だと余計に稼ごうとする。根本的にものの考え方が間違っているから不安や不足感が消えない。なぜ、不安の中身を追求しようとせず、不安を拡大させることに気が向いてしまうのか。それは、本当の道を歩いていないからだ。このまま、お金のために生き続けるのか。買うた

良いことは時間が掛かる

人間、一変に良くなることは、まずもって無い。良く成りたいと思った時から、時間を掛けゆっくりと良くなっていく。良いことは時間が掛かるのが真理。それでも、性根を入れ替え、日々、善いことだけを積み重ねていった場合のこと。悪いことはあっという間に訪れるのも真理。人間、それ程出来ていないから、また微悪を繰り返す。しかも無意識のうちに小悪を行っているのだから、物事一進一退どころではない。益々悪くなっていくのが自明の理。これに過去の業が精算されておらず、そのままになっていたとしたら、良くな