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本気で生きているか

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人生の在り方について問うています。なぜ、人は生きるのか。何のために生まれてきたのか。なぜ、この時代にいるのか。みんなの素直な思いを共有して下さい。
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2022年3月の記事一覧

人生は心掛け次第

自分はどうなりたいのか。それを求める意識がなければ、何も動かない。動かなければ、水も腐っていく。意識を強く持つ。自分がどれだけのものか、それが分からずとも、自分を信じて動き続けるしかない。他人をいくら信じて宛てにしたところで何も起こらない。自分の持てる、出来る何かを無心に、下心なく放つことが出来れば、自動的に相応したもので満たされていく。それが実相。これを「人生は自分の心掛け次第」という。己はどうなりたいのか。雑念を捨て、心の内に入り、とことん考えよ。考えて考えて考え尽くして

昨日と今日は違うという道理

世界を毎日、無で見る。昨日とは違う、新鮮な目で。既成概念、固定観念、思い込みを持って世界を視てはいけない。即ち、人間も同じ。世界、自然、生命、人間、そして超大宇宙も全て諸行無常。常に変化している。それが道理。汝、道理とは、どこか別なところにあると思っていないか。道理とは特別なもの、良くわからぬ奇異で厄介なもの、自分とは関係のないものと。それは否。日々起こる日常の生活の現象が、全て道理で起こっている。道理どおりに成っているということを推して知るべし。しかし、人間は、この道理を無

自分の持ち場を肚を据えて支えよ。

今こそ、事に仕えることが求められている。事とは、今すべきこと。安穏としていれたモラトリアム時代は既に終わっている。自分自身の成長を今すぐ成し遂げ、この世の再生のための大手術(善・不善の是正)に立ち向かう決意を固め、己の事に仕えなければならない。今回の決定方針には、望もうが望まなかろうが痛みが伴う。覚悟を決め、良心に基づいて己の持ち場は己の責任に於いて事を果たし、他を害することなく、事の達成のために尽くすのみ。何かにすがりつき、寄らば大樹の陰の頼り人間は、今直ぐ性根を入れ替え、

新たな価値観や生き方を再創造するワークショップ型プログラム

第5期『ショック・コヒーレント基礎講座』新たな価値観や生き方を再創造するワークショップ型プログラム 2022年6月7日~10月11日(各回20~22時)※下記日程の全10回セッション、振替・動画視聴受講も可 チケット: https://scbc5.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/1019205588742349 ■『Shock Coherent(ショック・コヒーレント)』とは: この世の森羅万象は、常に変化する

3万日の命を何に使うか

今の世は、思えば古くから、一部の特定の者の利益のために作りあげられている。法律も経済も教育も生活も、そして自然も然り。このことの度が過ぎてくると世の中が乱れてくるのが自明の理。現代社会は、益々この度合いが極端化している。その先は、指数関数的な悪化の道に入り、崩壊が待っている。その影響によって、人間の多くが不安と恐怖により精神的に不安定な状態に追い込まれている。そしてそれは、最も弱いところにしわ寄せされる。これが無残に放置されている。何人も、その人生の尊厳を脅かされることがあっ

存在意義

超大宇宙には、創造の目的が在る。なぜ、宇宙は作られたのか。地球は、自然は、生命は、そして人間は…。すべてその目的、即ち存在意義を有する。その目的と、自分自身の思考、思い、行動が一致しなければ、何も事は動かない。何も成すことは出来ない。それが絶対的真理。いくら良さそうなことを言っていたとしても、科学だの理論だのもっともらしいことを認めたとしても、それが超大宇宙の真理目的に適ったものでなければ、一切役には立たないことを押して知るべし。人類最大の思い違いは、神を信ずれば救われると本

何が起きたとしても感謝出来るか。

たとえ、何が起きたとしても感謝出来るか。その覚悟はあるか。感謝をして、また仕事に戻る。ただ只管に、己の仕事に励む。仕事とは、事に仕えること。事は、各々が今世約束をしてきたこと。従って、簡単にあきらめるわけにはいかないし、止めることは出来ない。たとえ、何が起きたとしても、良心に問い、正しいものに従って生きていく。人の生きていく道とは、即ち王道を歩いて生き抜くのが人生の正道。そしてそれは感謝の道。従って、人間は、誰もが皆、他の者を頼りとしなくとも、感謝、謙虚さ、そして諦めずに努力

誰もが救世主として生まれてきている

誰もが救世主として、この時代、この世に生まれてきている。なぜならば、それが役目だからだ。自分が出来ることで救世主となる。何もスーパーマンのようなヒーローだけが救世主ではない。人間というもの、現世(今)だけでは分からないことがある。前世、前々世からの業や役目、約束を背負って、今を生きている。従って、この時代に生きているということは、その役目があるということだ。即ち、自分自身が救世主として役目を果たし終えた時、自分自身の救いが成就する。だが、人を嫌悪したり、避けたり、暗くしたまま

人間の心無い日常の積み重ねが

「土(土壌)」が悪くなっている。これは、植物のみならず、虫、微生物、動物、人間に多大なる影響が起こっている。世界中の地表僅か15㎝で異変が起きている。作物の不作のみならず、地滑り、砂嵐、干ばつによるあらゆる種の生物の死。環境循環、生態系の断絶が起きている。この原因は、人間の心無い日常の積み重ねがある。部分的に改変し、補修を試みたとしても、地球全体の正循環を元に戻すことは出来ない。この全ての発端は、人間の心の汚れから発している。従って、いくら一部の人間が環境活動の保全を行ったと

なぜ淘汰の憂き目に遭うのか

現代社会における人間活動(経済活動)の源泉は、主に企業が担っている。それらは、地球の資源を使わせて頂くことによって、物や価値を生み出すことが出来ている。企業に従事する者は、そのことを決して忘れてはならない。しかし、その上でも企業に淘汰が起こるのは、社会における役目(原点)を忘れ、腕や技術を磨かず、工夫をせずに、ただこなす日々を続けてきた結果である。経営者や社員の不正や放蕩、約束破りは話にならない。しかし、真面目に営む企業でも淘汰の憂き目に遭う。これはなぜか。即ち、経営者そして

生きている間は、本当の評価は出ない

自分を皆に分かってもらいたい。理解してもらいたい等とは、思わないこと。それは土台無理なこと。世の中には、自分のことを分かってくれる人と、分かってくれない人がいる。皆がみな、己のことを正しく分かってくれるものではない。ましてや、そのほとんどが自分のことで精一杯で、他人のことなど、気にしているようで、気にもしていない。聞いてくれているようで、実は聞いていない。それは自明の理。従って、世の中や人に理解を求めても無理。人も世間もどうして自分の思い通りに自分を評価してくれるというのか。

白か黒か

人間性を高めるとはどういうことか。これ即ち、善・悪を知る感性に磨きを掛けるということ。善悪とは何か。それは、裏表の関係として、誰もが持つ宿命。しかし、この世は、善も悪も同類に扱われ、白か黒かではなく、うやむやにしている。真実は、白か黒かしかない。即ち、善か悪かのどちらか。その間はないのである。これをこの世の日常生活の中でどれだけ感じ、見分けることが出来、その上で、己の善を極められるかに掛っている。頭で理解が出来たとしてもそれを実践できるかを見られている。悪を知り、善に徹する。

人間性は一日にして成らず

死んで唯一あの世に財産として持っていけるもの。それは「人間性」。今世での人間性の完成度が、死後の世界の基礎となる。何を成し遂げただの、カネをいくら稼いだの、大きな家を建てただの、どんな権力を持っただの…、そのようなことはあの世では一切役に立たない。人間性という己の本質如何が、何事に於いても基の元となる。であれば、残りの人生を掛けて、自分自身の人間性を向上させていくことだ。それは、やりたいことを全部やってから、老後にゆっくりやればいいなどと思っていたら後の祭り。人間性は一日にし

約束を果たせ

人生に畏怖の念はあるか。畏怖とは、畏れ慄くこと。人間は、この世で死んで終わりではない。次の人生がある。この世での約束を果たし、悟れた時、その次の人生は、新たな段階に入る。しかし、ほとんどの人間が、この世で約束を果たすことなく、過去の清算もせず、希薄でいい加減な生涯を終え、あの世に戻る。あの世がどれほどに苦しい場であるのか忘れている。この世で果たせなかった約束や積みあがる業に対する長く厳しい反省が待っている。それは、苦界に身を沈めるようなもの。心の苦しみ、苦痛、自分のやったこと