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#9 学習における「自己の更新」について

小学校で教師をやっています。
授業や日々の生活の中で考えていることをnoteで紹介しています。

先日、オンラインの生活・総合の学習会に参加して学んだことを、今回紹介したいと思います。
(F会の先生方いつもありがとうございます。)

その日は総合的な学習の時間における「見通し」「自己調整」「自己の更新」ということがテーマでした。

中央教育審議会答申などでも「自己調整」についてふれられていますが、
改めて「自己を更新するって何だろう?」と自分の中で考えるよいきっかけになりました。



今まで、自分のなかで「自己の更新」とは、
「できなかったことができるようになったり」「自分の知らなかった考え方にたどり着いたり」「今まで自分の中にあった価値観が変わったり」…そんな状態なのかなと捉えていました。

生活や総合で、子どもが「自己を更新している姿」としてこんなものが考えれそうです。

・アサガオの芽が出てから、毎日きちんと水をあげるようになった。
・今まで虫をさわることができなかったけど、ダンゴムシの世話ができるようになった。
・昔の遊び大会に地域の方を呼んで、おじいちゃんたちに喜んでもらうことができた。
・市役所の人にプレゼンする資料をさらに3枚新しく作ることができた。
・「色々な人が協力して未来のまちづくりについて考えていること」がわかった。

こういった場面を子どもたちとクラスでふりかえりながら「学習を通して、自分の中で変化したと思うことをワークシートにまとめてみよう!」という感じの授業を今までしていました。



しかし今回、学習会に参加していた先生のご意見を聴いて「なるほど」と感じたことがあります。

「自己の更新」というけれど
「自分自身のなりたい姿」だったり
「外部の変化」だったり
「ノルマの達成度合い」だったり
「課題に対する概念の変容」だったり…
そこにはいろいろな意味があるのではないかということです。

確かにそう考えると、先ほどの例は次のように整理・分類できそうです。

・アサガオの芽が出てから、毎日きちんと水をあげるようになった。
→これは「自分のなりたい姿」
・今まで虫をさわることができなかったけど、ダンゴムシの世話ができるようになった。
→これも「自分のなりたい姿」
・昔の遊び大会に地域の方を呼んで、おじいちゃんたちに喜んでもらうことができた。
→これは「外部の変化」
・市役所の人にプレゼンする資料をさらに3枚新しく作ることができた。
→これは「ノルマの達成」
・「色々な人が協力して未来のまちづくりについて考えていること」がわかった。
→これは「概念の更新」

これらを「自己の更新」として全部、一緒のものとして捉え、子どもに聞くから、教師も子供も混乱してしまっていたのだなと思いました。

それを防ぐために、まず教師である自分が、「今『何の更新』について、ふりかえりをしているか」を意識する必要があると感じました。



また「概念の更新」に関して、その時 個人的に感じたのは、「概念が更新されればされるほど、自己の評価や達成度の評価は下がる可能性があるかもしれない」ということです。

例えば、「お年寄りに優しいまちづくりをしよう」という学習目標があったとします。

→昔遊びの大会をしてお年寄りに喜んでもらおう。
→もっと喜んでもらえるように、次は介護福祉について調べよう。
→調べて分かったんだけど、いま日本で介護福祉の施設やヘルパーの人数は全然足りていないんだ。
→自分たちが昔の遊び大会をしても何の解決もなっていなかったのかもしれない…

このように社会や世の中について真剣に考えれば考えるほど、その教材の難しさにも気づいていくのは当然です。もちろん、これは悪いことだとは思っていません。

この場合、自己評価は下がったとしても福祉という概念は更新されたということになります。

他の例でいえば、生活科で育てていたミニトマトが枯れてしまっても、失敗ではないという場合などがあります。トマトの苗は枯れてしまっても「農家の人はこの何千倍ものトマトを毎日栽培しているんだよな」と「農業の偉大さ」に気づくことができれば、それは学習として大成功なのかもしれません。


国語でも算数でもどんな教科でも言えることですが、教材(材)について深く考えれば考えるほど、その難しさにはまってしまうことがあります。

しかし、その先にある「それを分かったうえで、自分はこの学習にどう取り組んでいくか」という姿勢が、自己調整として、大切な要素なのではないかなと思っています。

今回紹介したのはあくまで私の個人的な考えです。これからも色々な先生方と、授業について話し合い、自分の考え方を更新していければと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。