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1話「放課後等デイサービス始める」

僕は2020年11月ごろに、放課後等デイサービスを突然辞めた。

お別れもできず。約束も守ることができず。


なぜそんなことになったのだろうか。
思い返せばすべてのはじまりは、3ヶ月前のあの日だった。


「このままじゃ終わる。」


7月の初夏、僕は布団の中で1人絶望していた。

当時の僕は、アニメ映画監督を目指して何年も活動していた。だけどもう満身創痍。


体に大穴が空いたような謎の孤独感、恐怖感、空虚感に襲われ、何を描いても記号になった。

絵の技術ではない。

根本的に、何かが足りないのだ。

得体の知れない痛みに何度も身体をえぐられた。
引っ越したり、途中で漫画描いたり、ひたすらゲーム実況を観たり。
ついにはキリスト教や仏教に救いを求めた。
だけど、この痛みは消えなかった。

他者を応援するために描き続けていたのに、もう敵にしか思えない。
真っ黒い何かが、僕の心をビリビリと蝕んでいく。

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「アニメ制作はもう無理だ。」

僕は全てをあきらめて、普通に働くことにした。
生き延びるためだ。

だけど、今の自分にはなんにもない。


僕は昔から何事も継続できなかったし、普通に話すこともできない。同じように機敏に動くことも、考えることもできない。おまけに謎の痛みがつきまとう。自分だけ宇宙人のような違和感を抱えてずっと生きてきた。

この得体の知れない、底なしの劣等感の元凶となったのは恐らく僕の子供時代
理由はわからないけど、とっても大事なものを、そこに忘れてきた気がした。


「放課後等デイサービスで働いてみよう」


コンプレックスだらけの自分自身と、障害を持つ子供達の療育が重なった。


昔から保育、教育には興味があったけどずっと避けていた。
吃音で上手く話せないし、自分にはできるわけ無い。そう思ってたから。


でも勇気を振り絞って、ダメもとで応募したらバイトに受かってしまった。


それが僕を大きく変えた、人生最大の転換点。


子供時代に置いてきた「忘れ物」が見つかるかも知れない。


そんな直感に引き寄せられるように、保育の道へ進んだ。ちょっと前の僕からすれば、考えられない選択肢だった。

➡2話「親友になったコウタ君」へつづく



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