冬はユニクロ
なんやかんやで両親がアメリカに来てかねちゃんと生活する様になってから、 仕事に対する自分の意識が変わった。
健康保険も、扶養家族として加入するわけだけど、 高齢者には容赦なしの金額だ。
父は運転免許が取れず、何度もトライしたが諦めてしまう。70過ぎの日本人にはなかなか難しいものが有ったのだろう。
運転免許は生活必需品なので、これは来る前からのお約束だったが、しかた無く諦めた父を追い返す訳にもいかず、
しかしながら彼は頭が良かったので、バスの使い方を勉強して、かなりの行動力を発揮した。
母と共にアジア系のスーパーマーケットなどによく出かけていた。
母には近くのスポーツジムの会員権を使わせていた。
そこには数人の日本語を話すおばあちゃまが居て、母はそれが楽しいようであった。
二人ともあっぱれ、あっぱれ、
だがしかし、病院や歯医者、その他もろもろの必要行事が かねちゃんのお休み日を悩ませるのだった。
そして、やはりお金が掛かる。
家賃1200ドルの貸家で、200ドルを両親からいただいて居たが、お小遣いも上げていたので、マイナスになった。
責任が増えるという事は、今までのほほんと過ごしていて考えなかった事まで考える様になるのだ。
(そうだ、お給料交渉した事無かった)っと気づく。
(それに随分仕事任されている)、、、っと再確認。
そこで人生初の給料交渉を試みる、、、
めっちゃびっくりするほど、あっさり結構上げて貰える事となって、思った。
これは自分の責任だったのだ。
その後は会社に新しく購入された、最新のソフトを猛勉強した。
誰もまだ使いこなせていないソフトで、
自分の仕事を早々こなした後、こっそり勉強を続けた。
すると見る見る脳の中でその使い道が繋がって行って、広がって行って、
ある時期は引っ張りダコになったわけである。
結婚に準備が出来ていないなどと言う弟にいってやりたかったっすね。
準備は後からついてくる!
それからと言うもの口八丁なかねちゃんは引く手数多に飛び回り、
いろいろな会社でそのソフトのシステム化とデザインとプログラムをしていくことになる。
その色々な会社のやり方の違いを学び、それに対応できるプログラムを編み出し、実力はどんどん人々を引き離して行った。
言っておくけど、オレは日本の会社じゃ相手にされない程の学歴で、日本の会社に採用された事は無いんだ。 はははは
だからきっとそんな人にもやる気と責任が伸し掛かってくると、きっと出来るのだと信じているのだよ。
出会いもあると思う、その理由は同じようなソフトのちょっと違うバージョンの依頼を受けて、行ってみると、まったく出来なかった事が有るからなんだ。
脳に全く道が出で来ない。
ちんぷんかんぷん。
そこで思ったんだ。
これは出会いだったってね。
ソフトとの出会いだ。
自分にとって理解しやすい、作りやすい、納得の行くソフトだったんだよ。
凄くない? そんな風に考えもしなかったけど、そうなんだ。
だから無理やり自分に合わないモノを何時までも追い続けるのはお勧めしない。
続く
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