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なぜ、10年間赤字でも最先端科学技術系ベンチャーが生き延びたのか。   No.1 C-INKはこうやって生まれた。


C-INKは、2012年8月29日、まったく偶然にも私の誕生日に登記が成立しました。狙ったわけではなく、単に慣れない手続きが遅れた結果でした。
 
当時、岡山大学で独立研究室を運営しながら起業しました。理由は、面白そうだから。大学院時代から金属ナノ粒子と言われる、ナノサイズのとても小さな微粒子の合成をやっている中で、塗って乾かすだけで信じられないくらい良く電気を流す物質の合成に成功したのです。こうなってしまっては、私の中のやってみたい精神は収まらなくなりました。
 
研究者としては、若手としては十分な額の研究費を獲得し、論文は一流といわれるところにそれなりの数を出し、業績としては目立つ部類だったように思います。とはいえ実は私は問題児で、筑波大学時代のボス(現在は京都大学化学研究所の寺西利治教授)に連れられて参加していた学会や研究予算のグループでは、学会には来ないし、すぐサボるし、決まって飲み会の席で他大学の先生からお𠮟りを受けていました。何となく窮屈さを感じていた私は、会社を作って研究を続けよう!と思い立って、その後に大学をすっぱりやめてC-INKに専念するようになったのです。
 
当時は、コロイダル・インク(Colloidal:コロイドのインク)という、ケミカルな用語の社名でした。そうしたら、来るわ来るわ、クロコダイル・インクと書かれたメールやFAXが。ワニじゃないよ?!と最初は大いに笑ったものでしたが、そのうち何とも思わなくなったころ、コロイダル(Colloidal)が米国人に発音しにくいと言われたのです。どうやら、l(エル)が二つ続くとそうなるようで、考えてもいなかった事でした。というわけで、ワニ間違いもなくなることだしと、既にcink.jpのドメインを取得して数年運用していた後なので、ドメインを変えずに済むしと、ケミカル(Chemical)のCだとこじつけて、社名をC-INKに変更しました。
 
さて、時代は起業前にさかのぼります。私が大学スタッフとして研究していたのは銀や金のナノ粒子でした。ナノ粒子は水に溶けている(正確には分散している)材料です。当時、良く電気が流れているし、このナノ粒子なら売れる可能性があるぞ!と安直に考えていました。まずは可能性を試そうと、当時、アカデミックなら参加費が無料だったナノテク展という展示会に出展してみました。展示会への参加などしたことがなく、東京ビッグサイトに行くのも初めて、企業が来る学会みたいなものなのだろうと考えていた私は、机と椅子とプロジェクター用の電源のみを契約して、装飾も何もない状態で、当時私の研究室で秘書兼研究員だった妻と一緒に展示会に出展したのです。ご想像できるかと思うのですが、社名も何もないスペースに、そんな状態でポツンといる状態が、どんなに地味だったかを。地味すぎました。断言します。あの中で一番、突き抜けて地味でした。
 
そんな中でも、今思えば何もモノになっていない状態のナノ粒子分散液に多大な興味を持ってくれた、若い大手商社マンS氏がいました。その時は、彼とはその後に何年も一緒に仕事をするなんて思ってもみませんでした。とはいえ、反響はそれなりにあり、これは行けるかも、と喜んだのは落とし穴がありました。ほぼ全てが、後に同業者となる方々だったのです。そりゃそうだ、というのは後から気が付くのですが、ナノ粒子分散液は単に素材であり、それ単体では印刷などの生産プロセスには使えないのです。面白そうだけど、どうやって使って良いかわからないモノはお客さんにはウケないのでした。
 
その中の一社から、研究室に来て、合成過程を見てみたいというオファーを頂きました。当時はどこかの企業がやってくれるなら、その方が良いか、と考えていたのです。無知とは恐ろしいものです。起業前とはいえ、同業者となりうる人たちに、実験の過程をすべて見せたのです。その結果、面白そうだけど今回は、、、のお決まりのパターン。あの頃の私から機密情報を引き出すのは、道端に落ちているドングリを拾うくらい簡単だったはずです。
 
実は、展示会ではもうひとつ重要な出会いがありました。C-INK副社長である塚田との再会です。当時、彼はとある化学品メーカーに勤務しており、こんな材料を発明したんだよ!という私の話を興味深く聞いてくれました。彼は私の大学院時代の後輩でもあり、よく一緒に遊んでいたのです。釣りに出掛けてはボウズで帰ってきたり、たまには食べきれないくらいの型のいいアジを釣ったり。釣った魚は私の家で良く料理して食べたものです。彼と通った金沢市片町のバーでは、店長がタイガースファンで、タイガースが優勝したのでボトルを半額にする!というので一番安いボトルを一緒に2ダース入れました。そして、確か2か月足らずでそのボトルを飲みきったような記憶があります。あのころは若かったのです。
 
そんなこんなで、結局のところ、自分自身で動かないとダメだという結論に達し、起業することにしました。ナノ粒子が生産に使われるまでにどんなハードルが待ち構えているか、事業化ステップを考えるなど頭には全くない、ただ何となくバラ色の未来がありそうと胸躍らせている、そんな研究者によってC-INKは誕生したのでした。

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