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No.2 何をどうやって売る?

岡山県のインキュベーションセンターを本拠地として、意気揚々と最初から株式会社を設立しました。何もない部屋で「ここから輝かしい未来が始まるんだな!」と一人でニヤニヤしたものです。完全に不気味です。谷口センター長には、初めて作成する事業計画で大変お世話になりました。何しろ、大学以外の仕事をやったことがないのですから、それは大変でした。商品は?売り上げは?どうやって?次年度????そして、この事業計画づくりの迷走は、顧客の悩みが完全に具体化するつい最近(2022年上旬)までC-INKを悩ませるのでした。
 
当初の商品はもちろん、ナノ粒子分散液でした。実験室のフラスコで作っていた量では極わずかで、量産化の目途をつける必要がありました。はじめは、たくさんのフラスコで作って、それを集めて、、、のような果てしないことをやっていました。実は、ナノ粒子は反応容器を大きくすると、つまり一度に大量に作ろうとすると、かき混ぜが追い付かずに全て沈殿してしまうのです。それならば反応場を小さくしようと、溶液を連続で流す方式を思いつき、それを試したところようやく量を作れる目途がたつのに2年ほどかかりました。この方式で量を作るには、それに適した反応レシピが大変重要でした。反応液の濃度や組成を数えきれないほど、それこそ1万通りは試して、ようやくたどり着くことができました。岡山大学での研究室でその時に研究員をやってくれていた樫崎君と藤原さん(後のC-INK社員たち)と塚田、妻との総力戦でした。
 
ようやく量を作れる目途がたってくると、問題になるのが場所でした。インキュベーションセンターは排水処理設備がなく、限界があったのです。どこかいい場所がないかと車で徘徊している際に見つけたのが今の本社でした。工業団地の一角にあり、以前は設計事務所だった社屋が使われずに放置されていました。その団地には、懇意にしていた地場の会社があり、そこの会長さんと常務さんが組合に話を通してくれたのです。しかも、売り上げのない会社だったので、10台分くらいの駐車場とコンビニくらいの広さの社屋で、なんと家賃5万円にして頂いたのです。
 
場所ができたので、ようやく売り物作りに着手しました。ナノ粒子分散液量産化のための装置設計からはじめました。反応液がこぼれることが容易に予想できたので、水をせき止める防水プールなど、すべて手作りで進めていきました。ナノ粒子製造装置も当然手作りで、ホームセンターの部材を組み合わせて作り上げていきました。研究室レベルでの原理検証は終わっていたものの、それを単に拡張させるには無理があったのです。反応液の量を増やしていくと、それまでに無かった問題が生じて、初めてまとまった量の受注があるのに再現できず、塚田とほぼ徹夜を繰り返してようやく完成させたこともありました。試行錯誤を繰り返して、ようやく安定的に製造を行えるようになるまでさらに2年ほど必要でした。その当時の顧客には、当時の我々の精一杯だったとはいえ、未熟な材料を売ることになり申し訳なかったと思います。
 
ナノ粒子を作るだけでなく、分析する装置も必要でした。とはいえ、お金はないので、岡山県からの補助金などを駆使して、中古装置を買い集めていきました。その際に役に立ったのがヤフーオークションでした。意外と使える装置が捨て値で売っていたのです。今、C-INKの社内設備は研究所と言っても差し支えないレベルになっています。でもその中身はほぼ中古品で、中でも新品で買うと5000万円以上するような電子顕微鏡でさえ、日立ハイテクさんからの払い下げで格安で譲ってもらったものです。こうした工夫は、創業間もないベンチャー企業では必要不可欠だと今でも確信しています。そして、それは思いのほか、楽しい過程でした。
 
そのうち、インクジェットで使いたいという顧客の要望が寄せられるようになりました。やってみましょうと安請け合いしたは良いものの、皆目見当がつきません。調べると、どうやら溶液の粘度と表面張力が重要のようでした。顧客の要望もその指定がありました。当時、ようやく作れるようになっていたナノ粒子水分散液を、何とか顧客の要望に合わせて出荷しました。しかし、これは今ならわかるのですが、粘度と表面張力を合わせただけではインクジェットは使えません。出荷先は韓国でしたが、出荷後に返答はなくなりました。間違いなく使い物にならなかったのです。
 
これではダメだと、商社マンS氏の紹介で、インクジェットに詳しい人間を紹介してもらい、会いに行ったりして情報を集めました。その際に言われたのは、銀ナノ粒子のような材料をインクジェットで安定的に出すのは極めて難しく、彼のこれまでの経験ではほぼ無理、とのアドバイスでした。そんな中でも、インクジェットインクに必要な情報は得られました。どうやら、乾燥しにくくしないと、インクジェットヘッドの上で乾いてすぐに固まって出なくなるらしいのです。それならばと、化学の知識を駆使して、ナノ粒子水分散液に乾燥しにくい溶媒を加えるなどの工夫を足していきました。後で気が付くのですが、自然と市販の家庭用インクジェットプリンターで使われるようなインクの組成に近づいて行きました。
 
そうしたら、なんと安定的にインクジェット印刷できるインクが割とあっさり出来上がったのです!あれ、なんだか聞いていた話と違いすぎるぞ、本当にこれで良いのかな??でも、実際に調子よくインクジェット印刷できているしなぁと、キツネにつままれた気持ちというのはこんな感じかと思いました。実はC-INKのナノ粒子水分散液が、インクジェットインクに極めて向いていたのです。こうしてインクジェットインクを発売開始すると、どんどん注文が入るようになっていきました。最初の3年は、売り上げが毎年倍々になって増えていきました。この調子ならやっていけるぞ!と思えたころ、妻と3人の息子を抱えての怖さはあったものの、岡山大学との兼業でやっていたのをC-INK一本に絞って、大学を退職しました。退路を断って初めて成功できると考えての決断でしたが、うらはらに苦難が始まるとはその時は思いもしなかったのです。

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