見出し画像

母性社会日本が抱える「パワハラ」の病理を心理師が解説


日本は「パワハラ大国」という不名誉なレッテルが
張られている。しかし事実として3年間で約3人に1人が
パワハラの経験者だということが厚生労働省
職場ハラスメント実態調査で分かっている。

グレーゾーンパワハラも含めればさらにであろう


そもそも、「パワハラ」という言葉は
日本人により作られた「和製英語」なのだ。



英語では、「Workplace bullying (いじめ)」
「harassment」などと言うそうだが
日本の場合、職場いじめが深刻が故にハラスメント
の種類が複雑化し海外以上に深刻な社会
問題として取り上げられている。



就労支援員として就職,転職,復職支援させて
頂く中でハラスメントの問題は深刻であると
実感させられる。ただし、分かりやすいパワハラ
ではなくむしろ尊厳を傷つけない程度の加害である
グレーゾーンパワハラが圧倒的であるが。



パワハラ言葉の定義や種類,具体的な対処法
などは別の機会にして本日は、日本の文化的
規範,性質
からパワハラが何故横行するのかに
ついて解説する。


日本の文化的規範、性質の根源に
「母性性」と呼ばれる心性があると
河合隼雄氏は指摘している。


この「母性性」とハラスメントの問題は実は
繋がっている事を名著「母性社会日本の病理」
にて確信したためそのつながりを解説させて
頂く。

参考文献は以下の通りである。


母性社会日本の性質とは?

人間の心に二つの対立する原理が存在する
それが「父性原理」と「母性原理」である。
これらの原理は男女問わず私たちの
心の中に絶えず存在し
均衡を保っている。そして、それらの原理は
当然,国の社会文化に反映されるのは言うまでもない。


日本はどちらかと言うと「母性」の心性をもつ
のに対して西洋では「父性」の心性をもつ
とされている。それぞれの特性を理解する事が
日本に蔓延る病理や社会問題を解決する
基盤となるだろう。


現に河合隼雄氏は、
急増している登校拒否や対人恐怖の
背景に「母性文化」の特質というものが
存在していることを痛感した
」と述べている。


さて、母性社会日本とパワハラがどの様に
絡み合うのかについてお話する前に
「母性」と「父性」の性質についてもう少し
掘り下げさせて頂く。


「母性」と「父性」の違いとは?

まず母性原理とはなにかについて解説する。
母性原理とは「包含する」機能だ。イメージとして
母が子に抱く絶対的な存在の肯定である。
たとえ子供が悪さをしたとしても包み込んでしまう。

言い換えれば、「全てのものが絶対的な平等性を持つ
という心性があるのだ。(平等信仰

自分の子供である限り、すべて平等に可愛い。
それは子供の個性や能力とは関係無いのことである。
しかし母親は子供が勝手に母の膝下を離れることを許さない。
それは子どもの危険を守るためでもあるし、
母と子の一体感という根本原理の破壊を許さないためである。


時にある動物の母親が子どもを飲み込んで
殺してしまう事もあるそうだ。


この様に母性原理の肯定的な面においては
「生み育てるもの」であり、
否定的な面には「飲み込み」「死に至らせる」
面もある。

さらに詳細を知りたい方は以下の記事を
参照にして欲しい。↓

https://note.com/kanegonhawai/n/ne2e58043bda3

では父性原理とは何なのか?
 父性原理とは「切断する機能」である。


切断とは、抽象的な概念を具体化する事。
二元論的に何かを分割(切断)する事である。
例えば「主体と客体」「善と悪」「上と下」等だ。


母性が全ての子供を平等に扱うのに対して
父性はその能力や個性に応じて類別する。


母性が「我が子はすべてよい子」
だから「すべての子を育てよう」である


一方父性は「良い子だけが我が子」
という規範によって子どもを鍛えようとするのである。
「ダメなものはダメ」という
不条理性の行使も父性原理の特徴である。

※かなり極端な例だが・・・



父性原理はこのようにして、強いものを作り
上げる建設的な面と
逆に切断の力が強すぎて
破壊(差別,偏見)に至る面の両面を備えている。


それぞれに長所と短所が存在しており良い悪い
ではない事を念頭に置いて欲しい。



その上で、それらの原理が集団にどの様な力学を
生じさせるのか?また、日本が置かれている現状を
解説しパワハラの構造について深堀していく。


「場の倫理(空気)」を優先する理由は?


日本の母性原理に基づく倫理観は、
母の膝という「場」の中に存在する子供たちの
絶対的平等に価値を置くものである。


そして「場の平衡状態の維持(場の倫理)」こそが
最優先事項という事になる。

例を挙げよう。

例①
・間違えて注文がきたが店内が忙しそうなので妥協する。
・謝罪されたからとりあえず、お金を要求せず許す。
・日本の学校教育は平等性を重視し能力の有無に関係なく進学できる
 (海外の場合は、能力がなければ進学できない)
・人事異動の伝達は1か月前にして欲しいと会議で
 述べたかったが皆帰りたそうな雰囲気のため
 主張しなかった。            等々


 ちなみに、父性原理に基づくものは
個の倫理」を優先する。
個人の欲求の充足、
個人の成長に高い価値をおく倫理観である。

例①
・分からないから質問して講義を進ませない。
・働いている成果に応じて報酬を高める様に直訴する。
・西洋の学校教育は能力によって進学,落第が決定する公平性を重視する
 能力差があるという事実を父性社会は認めているのに対して
 母性社会は平等性の名の下に見ないふりをしている側面がある。


母性社会日本についての話に戻る。
繰り返すが私たち日本人の文化は
「場の倫理」を優先
する。よく言えば協調性が高い
文化
であり、悪く言えば自己主張が少なくなり
自己疎外化(※)」が起こりやすいのである。

※自分が集団の中に埋もれて分からなくなってしまう事


ここで、場の平衡状態を維持する動機を
考えてみると答えがみえてくる。私たちにとって
「場(集団)」から追い出されることは致命的である。



このため、私たちは「場」から追い出されることに
徹底的に抵抗する。この倫理に基づくと、
職場の解雇,退職は決定的な敗北感
につながる可能性もあるのだ。


西洋人がこの倫理に従うときに自分の能力
に相応しい所へ変わるのだから決定的敗北感に
つながることもなく、また惨めな思いは比較的
少ない。

ただし、その当人としては、自分の能力が職場に
適しない事を認識することは辛いことである。
しかし、それはあくまでも個人の責任において
背負い処理されるべきであり、
彼らはそれを成しえる強さも持っている。 

母性社会日本において能力差をはっきり
と認めることは危険なのだ。
何故なら、個人を簡単に「場」から外すことの
理由として用いられるからであろう。


さて、私たちの文化は「場」を維持するために
迎合(※1)」と親和性が高く
また、「立場の順位付け(縦社会)」を行う
戦略を取っている。皆が全員「主張」し始めれば
場の平衡状態が維持できないからだ。(※2)

※1迎合とは、自分の欲求を抑えて他者に合わせる事。

※2その様な意味では上司も「場の倫理」に従い
  部下に命令しているため、全ての日本人は
  「場の倫理」の被害者と言えるかもしれない・・・。


一度、整理すると
日本人は「場の倫理」を優先する理由は
母性の心性をもつ文化だから
日本人にとって「場」から追い出されて
 しまう事は致命的だから。

の2点である。



そして職場でメンタルが病みやすくかつ
パワハラが横行する理由は3点である。



「主張」ではなく「迎合」するから
 パワハラの問題が解決しない。



不条理であったとしても集団から疎外される事に
 恐怖と劣等感を感じる心性があるため。
 (※1)


場の平衡状態を維持するために「察する事」や
 「自己主張しない事」等の高度な事を
 求められるから。


※1
私たちはどこかに平等信仰が非常に根強い
だからこそ、個人の異質性によって集団から
排除された場合、劣等コンプレックスを抱きやすく
そうならないための不毛な努力を行うのだ。


※2
欧米だと「言わないと分からない」し
気持ちを察して動くのは余計なお世話
となる・

日本の場合、赤ちゃんは母親に要求する様に
言わなくても分かってほしい」という
気持ちが強い。「思いやり」と「謙虚」の
皮を被った過剰な要求(バイアス)に
よって病んでしまう暗黙のシステムを
形成しているのだ。


組織に属しパワハラと感じられるのであれば
謙虚に要求を現さないが、相手は察するべき
という認知の歪みの横行を確認せねばならない。


最後の現状のパワハラ実態と今まで述べてきた
母性社会日本の関連性についてデータを
示し解説する。


パワハラが横行する理由とは?

過去3年間のパワハラ・セクハラ後の実態調査を
まずは見てみると

ハラスメントを知った後の勤務先の対応としては、
パワハラでは「特に何もしなかった」(47.1%)


セクハラでは「あなたの要望を聞いたり、
問題を解決するために相談にのってくれた」(34.6%)

が上位を占めている。



そしてハラスメントを受けて何もしなかった
理由としては、パワハラ、セクハラのいずれも
何をしても解決にならないと思ったから
の割合が最も高く、半数を超えた。




2 番目に高い理由は、パワハラでは
職務上不利益が生じると思ったから
である。


これらのアンケート結果からも分かる様に
個人の主張よりも「場」を乱さないための
戦略として「何もしない」「我慢する」

が多いように思える。


パワハラのみならずグレーゾーンにおいて
巻き込まれたとしても、心のどこかで
「音沙汰なく無難でありたい」という
集団への同質性を志向する心理
ないだろうか?



パワハラを予防するためにも私たちは
やって良い事」と「悪いこと」の分別を
行い主張(切断)できる「父性原理」なるものが
必要であろう。ここは欧米を見習う必要
はあるかもしれない。


父性原理とは「拒否機能」であり、
「個人の生き方」の行使なのだ。

※西洋だと能力主義も相まって
 それが露骨で厳しい。


いずれにしても、私たちは良くも悪くも
「場の倫理」を優先する心性をもち
その様な社会を生きている。


そして、私たちはその様な集団力学に
晒された環境に適応する教育を受けていない


そこが本質な問題だと思う。


「察する」ための技術
自己主張するための技術
相手のニーズを把握するための技術



これらの技術は、日本の見えない複雑すぎる
社会システムに適応するための必須要件であろう。



その様な講座も、個人で開催させて頂く予定なので
興味が在られる方はご連絡頂きたい。

kanegonhawa@gmail.com

①名前
②講座参加希望の詳細
③メールアドレス



日本の父性原理は母性原理を加速させるものなのか?

日本は母性原理に基づく文化を父権の確立という
社会的構造によって保障し、その平衡性を保ってきたと思われる。

つまり父親は家長としての強さを絶対的に有しているが
それはあくまで母性原理の遂行者としての強さであって
父性原理の確立者ではなかった。

母性社会日本の病理,河合隼雄より引用


つまりは、場の平衡状態を保つための父性性,
不条理性の遂行者であるがどこか一方で
同調圧力に屈した建前の
側面もあるかもしれない。


ちなみに、「場の倫理」を優先する
男たちに絶望する女性を描いた作品の
一つに「シグルイ」である。


グロテスクなので見るときは注意して欲しい


武士として上からの命令に従い続ける
強靭さは果たして美徳なのか?
それとも、「自己疎外」や「迎合」
にあたるものなのか考えてみるの面白い。




他にも戦争中の神風特攻は母性原理に基づく
男性の強さなのではなかろうか?
(善悪の有無は置いておく)


すなわち、「個人の個性を尊重」するのではなく、
一つの集団なり「場」なりの維持のための
厳しい父性を用いているのに過ぎない。



第二次世界大戦以降は頑固おやじ(家父長制)
がダメと理解した父親たちはできるだけ
物わかりの良い父親に変身しよう
と努めたがどうだろうか・・


そのあたりの問題提起は以下の記事を参考にして欲しい!


良い親父とは
人間として「しなければならない事は何か?
してはならない事は何か?」などの善悪の
区別ができる様に、規範を呈示できて
教え働きかけができる人物ではなかろうか?


単に優しさだけが全てではないとは
まさにこの事なのだろう。
(※ちなみに私もはっきりものを伝えるのが
 苦手だ)

とまあ、そろそろ5000文字を超えそうなので
ここでとする!!

それではご拝読ありがとうございました。
今年も皆さんにとって良い年になりますように!

令和6年 1月2日 奈良県の自宅にて


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?