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【自己紹介】なぜ私がコーチングをするのか?

はじめに

こんにちは。
ミッションフルコーチの兼若です。

2019年にコーチとして独立。
2021年に株式会社タレントイノベーションを創業。
4年間かけて1,200名以上の方々にコーチングを提供してきました。

他者の人生に向き合うことは多い一方、「自分の人生」について開示する機会ってなかなかないんですよね。


そこで! 今回の記事では

・なぜコーチングをするのか?
・なぜミッションフルにこだわるのか?

について私の5つのストーリーから、お話させていただければと思います。


ストーリーと語る前に、プロフィールだけ簡単に触れさせてください。

プロフィール

兼若 勇基 Yuki Kanewaka
株式会社タレントイノベーション CEO
ミッションフルプロデューサー

1988年大阪府四條畷市生まれ。小2で親友を亡くし、命の儚さと親友の大切さを知る。

大手前高校理数科、大阪大学工学部を卒業後、同大学院に進学。
就職活動をするも、理系キャリアへの違和感から人生に絶望。大学院を休学し世界一周。
旅中に自己理解シート100枚を5周し、「自己理解」難民から脱却。
10年の理系キャリアを捨てることを決断する。


15年に経営コンサルティング会社へ入社。4年間で4社のハンズオン支援。
経営者にとって最も必要なのは「マインド」であることに気づき、 4年のコンサルタントキャリアを捨てる決断。

19年にメンタルコーチとして独立。
グロービス経営大学院に通い、一部上場企業社長の講師より、マインド系の科目で唯一満点評価を受ける。
21年に株式会社タレントイノベーションを設立後、オンラインサロンやコーチングスクールなど6つのコミュニティを立ち上げ。

独立後3年間は年収1,000〜1,500万円の壁を超えられない停滞期を過ごす。
22年には、「自分が〇〇でなければ」というエゴを150個緩め切り「自己超越」の道へ歩み始める。
結果として、「ミッションフルなリーダーを増やす」というミッションが見つかり、収入と休みが3倍になる。

独立支援、収入&休みアップ、ブランディング、仲間・家族との人間関係の改善、オールライフの総合的なアップデートなど、「ミッションフル」な人生を送るための、課題解決に圧倒的強みを持つ。
特に独自メソッド「3つのマインドアプローチ」は、「毎秒集中して生きれて感動している」「毎日が楽しく売上と休みが増えた」など、多くの方から好評をいただいている。

士業・コンサル・コーチ・マーケター・飲食などのひとり経営者を中心に、1,500名以上を支援。
セミナー・ワークショップの登壇数200回以上。
クライアント様が、ハーバード大/Ceibs/東京大/京都大/大阪大/神戸大/名古屋大/医学部/ MBA/早慶/関関同立/MARCHなど高学歴なことが特徴。
MBA、営業・マーケティング塾、4つのコーチングスクールなど、経営学と心理学に関わる自己投資額1500万円以上。

23年より、1年間で経営者としての心を極める場「ミッションフルスクール」を主宰し、日本を変える「ミッションフル」なリーダー輩出に注力。

趣味は、グルメと旅とフィットネス。グルメ会を開催したり、友人経営者と旅を企画するなど、楽しい時間を味わうことも好き。育児と料理も好き。


1.【親友の死】たった一度の人生、1分1秒を大切に

「たった一度の人生を大切に扱う」

この感覚を持ち始めたのは、小学校2年生、親友の死がきっかけです。


その日は1月、大阪にしては珍しい雪の日の朝でした。

集団登校で8時半には到着するはずの親友が時間がたっても学校に来ない。そして教室に運ばれる彼のランドセル。

「一体何があったんだろう。」

そう思っていると今日は雪で危ないので、保護者が迎えに来てもらって家に帰りましょう、と言う校内放送が流れました。


その後母親が迎えに来て帰宅する道中、思わぬ言葉が母親からかけられました。

「実は〇〇(親友の名前)死んじゃったの。」

それを聞いて僕は愕然としました。そして思わず涙がこぼれました。


その後、僕は彼のための供養にと思い、雪だるまをつくりました。

「彼の分まで生きる」
「もっと人生を本気で生きる」
「もっと時間を大切にする」

と誓ったのを覚えています。


この姿勢がこれまでの僕の生き方と、クライアント様への向き合い方に、自然と現れているんだと思います。


2.【世界一周】もっと自由に生きていい

「もっと自由に生きていい」
「やりたいようにやっていい」

この感覚を持ち始めたのは、大学院2年目を休学して行った、世界一周がきっかけです。


小学校2年生からいきなり話が飛んだので、小学校から大学院までお話を簡単にさせてください。

小中学校でのモットーは文武両道。
親友の死の影響から、全てのことに120%で取り組むようになりました。

小学校時代から塾に通い、スポーツは水泳とラグビーを習っていました。
50m走は小学校で一番速く、地域のリレーメンバーにも選ばれました。

中学時代は通知表はオール5、内申点は学年1位、スポーツテストも学年1位。
クラスの代表委員も務めるなど、いわゆる優等生でした。

高校は、理系科目が得意だったこともあり、大手前高校の理数科に進学。
高校時代は、少し成績が下がりました。
部活は水泳部。
浪人の末、第一志望の京都大学農学部には受からず、後期試験で大阪大学工学部に入学しました。

大学時代は、志望大学でも学部でなかった影響から、勉強に全くやる気が出ず。
授業中に寝たり、ゲームをしたり、映画をみたり。
大学の友達からも腑抜けと言われていました。

「腑抜けでいたいわけじゃない。何がしたいかわからないんだ。」
「でも今の環境でやる気が出ないながら、踏ん張るしかないんだ」
という想いで、嫌々ながら大学に通っていました。


これが初めての大きな挫折でした。

これまでは目の前のテストの点数や、スポーツで成果を出していればよかった。
でも受験に失敗したことで、初めて目指すものがなくなり、人生がどうでも良くなっていたのです。
一方で、親友の死から、「人生を無駄にしたくない想い」だけは120%あったので、ストレスは非常に大きなものでした。


しかし、結局どうしていいかわからず、大学院にそのまま進学します。
大阪大学の理系の学部というのは、90%程度が大学院に進学します。
意識が低いが故に、周囲に流されて大学院に進学してしまったのです。


大学院に進学すると、目の前に就活が迫ってきて、こんなことを思うようになりました。

「このまま流され続けて就職したら、理系の技術職につくことになる。」
「でもなんか違う気がする。」
「一旦就職したら、おそらく30年以上技術職のキャリアで、取り返しのつかないことになる。」
「どうしよう。このままじゃまずい。」


そんな中、「世界一周」との出会いが訪れます。

高校時代の友人が世界一周に行って帰ってきたのです。
僕にとって、彼はキラキラしているように見えました。
「自分の未来を考えた結果、今海外を広くみることが必要だから世界一周をすると決めた」というのです。

彼の話を聞いてこんなことを感じました。

「このまま大学に通っていても何も変わらない」
「たった一度の人生、世界をもっと見てみたい」
「世界一周に行くことで、視野が広がり、やりたいことが見つかるかもしれない」


気づけば、自分も世界一周に行くために、休学することを決めていました。

決めてからは、初海外にも関わらずトントン拍子で話が進みました。
教授と親への休学の申し出、海外についての調査、初めての航空券予約など。

そして、大学院2年目の休学し、9ヶ月27カ国の旅をしました。
ここではあえて、世界一周の内容には触れません。
この話だけで3時間以上語れてしまうから(笑)


さて、世界一周が人生にどんな影響を与えたのか?

正直、特に特別な体験が人生を変えた、というのはないです。

しかし、
・自分で起きたい時間に起き
・自分で行きたい場所に行き
・自分で食べたいものを食べ
・自分で一緒にいたい仲間を選ぶ

という毎日270日の、want toに生きるという連続体験が、僕にもっと「やりたいことをやっていい」という許可を与えてくれました。


小学校時代から理系科目が得意で、自分は理系キャリアを歩まないといけない、という思い込みがありました。

大学に入ってからは、研究室という狭い世界にこもりりっきりで、その環境がますます「理系キャリアしか自分にはないのだ」という思い込みを強めました。

延長線上の生き方を選ぶことが当然だと思って生きてきました。


しかし、世界一周に行き
・毎日非日常な中でwant toな選択ができた
・同学年の友人と1年差が開いて、比較しなくて良くなった

その結果、
「もっと自分の本音に向き合っていい」
「もっとやりたいようにやっていい」

と心の底から思えるようになったのです。


3.【職業選択の悩み】才能で仕事していい

「自分の才能は〇〇なんだ!」
「才能で仕事を選べばいいんだ!」

この感覚を持ち始めたのは、就職活動中に、とあるコーチと出会ったのがきっかけでした。

世界一周で「自由に生きる」許可は出せたものの、どんな仕事に就けばいいか全くわからない状態でした。
本音に向き合う覚悟はできたものの、あまりに社会のことを知らなすぎたのです。
これまで理系技術職の世界しか見てこなかったので当然ですね。

どう考えて就活していいかわからず、一緒に就活をする仲間もおらず、闇雲にいろんな企業の説明会に行きまくりました。
おそらく30〜50社ぐらい選考は受けたと思います。

商社・金融・人材系・ベンチャー企業などなど、幅広く見ていたものの、なかなかしっくりくるところがなかったのです。

いくつか内定はいただいたものの、なかなか決定しきれずに、他の就活生よりも決定するのが3ヶ月程度遅れました。

「たった一度の人生を捧げる場所を、なかなか決められない焦り」を抱えていました。


紆余曲折あったものの、人材会社へ行くことに決め、内定式にまで参加した。
しかし、「ここじゃない感」を漠然と感じていた。



そんな時に相談させていただいたのが、一部上場企業の人事部長の方で、コーチでもあられる方でした。

すると「絶対コンサルでしょ!」というご指摘。

僕の才能は
「論理的であること」
「言語化が得意なこと」
「人の相談に乗ることが得意なこと」

才能からして、コンサルが向いているというのです。

これまで才能を軸に、自分の仕事を決めるという発想がなかったので、自分にとっては衝撃でした。


そこからとある会計系のコンサルティング会社の部長さんをご紹介いただき、トントン拍子で内定しました。


会計系のコンサルティング会社でこれまで考えたこともなかったです。

しかし、数字が得意で元々理系の自分の特性も活かしつつ、一時期気になっていた経営コンサルティングの領域というのは、非常にしっくりきました。


自分で就活をしていてもただ迷うだけだったのに、才能をベースとしたコーチングを1時間受けるだけで、人生の方向性が一気に決まったのです。



4.【コーチ独立の怖さ】思い切って決断をしていい

「怖さと向き合って決断することも大事」

この感覚を大事にしているのは、コーチとして独立する際に、初めて自身も有料でコーチと契約したことがきっかけです。


経営コンサルティング会社に勤務して4年。
3年目からは、グロービス経営大学院にも通い、社会人学生として経営学を学んでいました。

グロービスに通った理由は2つ。
①専門である経営学の知識を体形的に学びたかった
②30歳という節目を迎える直前、独立のためのきっかけが欲しかった

自分の中で、漠然と30歳ぐらいで独立はしたいなという思いがありました。
経営を学ぶ中で、自信がついたり、経営者の知り合いも増えれば、徐々に自分の独立を本気で考えるかなという思いがあったのです。


幸いなことで、グロービスで経営を体系的に学ぶ中で、自分は人のミッションや志を導く科目が恐ろしく好きなことに気づきました。

過去を振り返っても、塾講師として学生の将来について対話をしてきたし、経営コンサルとしても「経営者がどうありたいのか?」という意識でクライアント様と対話してきました。


そして、人のミッションを導き、その実現に向けて対話するプロが、コーチであることを知りました。

コーチングスクールにも通い、副業ながら数名のクライアント様とも契約できました。


さて

・経営の知識もついてきた!
・コーチングのスキルもついてきた!
・顧客もついてきた!

後は独立するだけに感じられる状況・・・



しかし、当時の僕はめちゃめちゃチキンでした。

「独立して失敗したらどうしよう?」
「失敗したらカッコ悪い」
「今の会社で昇進していった方が、将来安泰では?」
「まだまだ学ぶべきことがあるのでは?」
「独立するのはもう少し後でもいいんじゃ」


そこで、初めてお金を払ってコーチと契約し、背中を押していただくことにしました。

6ヶ月で約40万円の契約。
当時の自分にとっては安くない金額。
いろんなコーチを探し、恐る恐る契約したのを覚えています。


しかし、コーチングを受け始めると、みるみる成果が出始めました。

3ヶ月で50名以上の方に体験セッションを提供し、24名の方からご契約をいただきました。
2019年に独立し3ヶ月で、月収100万円を超えました。

目標を明確にしたことで前に進みやすくなり、恐れとなっていた心の声に気づけたことで、気持ちも楽になった結果でした。


「一人ではなかなか独立など、大きな変化を伴う決断は難しい」
「恐れているのは自分だけ。決断は大胆にしていい。」
そう気付かされた、初めてのコーチング体験でした。


5.【残業月100時間】もっと楽に生きていい

「忙しく働きすぎることが正義じゃない」
「もっと縛られずに楽にゆるく生きていい」

この感覚を大事にし始めたのは、とあるコーチングスクールに通い、「〇〇でなければならない」という150個の観念を外したことがきっかけです。

これまで4つエピソードをご紹介してきましたが、個人的にこのエピソードが一番インパクトが大きいです。


2019年にコーチとして独立後、3年間活動し続けていました。
3年間の年収は1000-1500万円程度。

一般的にコーチは集客が課題と言われ、独立を成功させるのは1%未満とも言われます。
そんな中では、相対的にはうまくやっている方。


しかし、コーチとして4年目を迎えた僕は焦りを感じていました。

「本当は収入を上げたいのに、3年間横ばい」
「コーチング講座など新しい事業を立ち上げても、すぐに飽きてやめてしまう」
「いろんなビジネス講座を受け続け、稼げどもお金が貯まらない」
「旅やグルメなど、趣味の時間を取りたいのに、焦りから取りきれない」
「結婚して子供もいるのに、家事育児の時間を取る気になれない」
「奥さんに家事育児の負担が行き過ぎ、泣かれるもどうしていいかわからない」


いろんなビジネス講座を受けながら、新しい事業を立ち上げ、残業時間は常時月100時間越え。
ビジネス講座は常に複数受講し、年間投資額も400万円ほどでした。

その結果、趣味や家事育児の時間をゆとりを持って取れないレベルにまで、辛い思いをしていたのです。


なぜこんなことが起こったのか?


それは、観念と言われる思い込みがあったから。

「新しい知識を得ている自分でなければならない」
「1000万円越えのそこそこ稼ぐコーチでなければならない」
「常に新しいことをしていなければならない」
「常に働いてなければならない」
「ゆったり休む時間をとってはならない」


これらの思い込みは過去から来ていました。

・学歴社会の中で、勉強をすれば評価され
・年収1000万円を超えれば優秀だと教育を受け
・新しいことをしていれば、面白い!と評価を受け
・休まず働いていることで、頑張っていると評価され


全て、過去の他者との関係性の中からできた思い込み。
それが現在の自分のリミッターとして、成長を阻害していたのです。


2022年、とあるコーチングスクールで思い込みの外し方を教わったことをきっかけに、6ヶ月で150個の思い込みを外しまくりました。

思い込みを取った先にあったのは、「どっちでもいい」という感覚。

「新しい知識を得ても得なくても、どっちでもいい。」
「稼いでも稼がなくても、どっちでもいい。」
「新しいことしててもしてなくても、どっちでもいい。」
「働いていてもいなくても、どっちでもいい。」
「休んでも休まなくても、どっちでもいい。」

どっちもいいと思えたことで、自由自在に学んだり、稼いだり、働いたり、休んだりしていいと、心が軽くなりました。



思い込みを外し始めて3ヶ月で、収入も休みも3倍になりました。
人との雑談や、何もしない時間にも許可がだせ、心の焦りが一切無くなりました。
家族が愛おしく感じられ、家事育児も今まで以上に取り組むようになりました。


そして、無駄な思考が削ぎ落とされ、やりたいことだけがシンプルに湧き上がってくるようになりました。

「才能を活かし、ミッションに生きる人を増やしたい」
「自分がいつ死んでもいいように、これまでの自分の学びを指導する場所を作りたい。」

そんな想いから「ミッションフルスクール」を立ち上げ、1.5ヶ月の集客で12名もの生徒さんが集まりました。


学歴社会、資本主義社会の中で、僕らか縛られすぎている。
もっと思い込みを外して、ゆったり生きた方が人生うまくいく。

そう思えた2022年でした。


まとめ

5つのエピソードをまとめていきます。

1.親友の死から、たった一度の人生を大切に思い
2.世界一周から、もっと思うまま自由に生きていいと知り
3.就職活動から、才能で仕事するといいことを知り
4.コーチ独立の経験から、決断は大胆でいいことを知り
5.苦しい残業経験を経て思い込みを外したことから、もっと楽に生きていいことを知り


まとめると、
才能に沿って人生の目的を決め、その実現に向けて決断し、日々はゆったり生きる。

まさに、今自分が思想として掲げている
ミッション+マインドフルネス
=「ミッションフル」

の考え方であり、この考え方に気づくための、これまでの人生だったなと感じます。


おわりに

・なぜコーチングをするのか?
・なぜミッションフルにこだわるのか?

をご理解いただけたのではないでしょうか。


改めて僕のミッションは、
「今をゆったり生きながらも、ミッション実現に向けて生きる、ミッションフルな人を増やすこと」
です。


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また、

・ミッションフルコーチングとは?
・ミッションフルスクールとは?

など、僕の思いが詰まったサービスに関する記事もございます。
ぜひそちらもご覧になってみてください。


お読みいただきありがとうございました。



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