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本日も、空振り日和

 机の上に置いたスマホが、太陽を反射して天井を照らしていた。キャンパスライフサポート室の窓に面した席は、僕のお気に入りの場所。流れている優しい音楽も相まって落ち着ける。最近、ここに来ることが増えている気がした。少し疲れているのかもしれないなんて、机につっぷしながら他人事のように思う。
 スマホが静かに震えた。反射的にロックを外すと、野球ゲームの通知だった。ここひと月くらいログインしかできていない。通知バーをスワイプして、ラインを開く。1番上にあるトークには、何のマークもついていなかった。
 空回っているような、気がする。4月の最初、人見知りで臆病な自分を変えようと決意した。僕の好きな野球選手みたいに、明るい人になりたくて、インスタや大学でたくさんの人とつながった。一生懸命話を聞いて、会話が途切れたら話題を振った。今もこうして、一緒に学食へ行く話になった友達に連絡を取っている。
『今どこ? 学食って第一? 第二?』
 送ったラインには既読がつかないまま、13分が経っていた。むなしかった。寂しかった。つながりたいのは僕だけのような気がした。誰だってタイミングがあるのはわかっている。わかったうえで、落ち込まずにはいられなかった。
 またスマホが震えた。プロ野球ニュースの通知。好きな選手の名前が見えた。またも打てず、まで読んでスワイプして消した。最近不調なようでなかなか打てていない。この間の試合では、チャンスの場面で空振り三振に倒れていた。
 あのとき彼も、こんな気持ちだったのだろうか。自分が伸ばした手が、届かない、というか。野球なんてロクにしたこともないから、空振りの感覚なんて知らない。プロの野球選手と僕なんかの気持ちは、並べられるようなものじゃない。けど、それでも並べて考えたくなるほどには、彼も僕も、上手くいっていなかった。自分の中の、ありったけの力を、想いを込めたバットが、空を切る瞬間。きっと悔しさとか、不甲斐なさとか、そんな言葉じゃ間に合わない。
 ――なのに、なんで、頑張れるんだろう。
 不思議だった。彼は良いときも悪いときも、笑顔を絶やさない。練習では誰よりも張り切るし、試合での声出しも欠かさない。プレーはいつも積極的で、一生懸命を体現したような選手。絶賛大不調な今でさえ、ネットで見かける彼の口角はいつも上がっていた。どうして?

 ――いつか打てるって、信じてるから?

 スマホで、「プロ野球 最高打率」と検索をかける。3割8分9厘。4割もない。ということは、10打席立っても、打てるのはせいぜい4回、ときどき3回。残りの打席は凡退や三振ということだ。歴代最高の野球選手でさえ、打てないときが必ずあるのだ。打てない時期が少し続いたって、何の不思議もない。何なら、連続でヒットが出る方が珍しいくらい。
 ラインだって同じだ。今までしてきた全てのやり取りの内、即レスをもらった割合なんて、たかだか知れている。僕だって即レスなんてほとんどしない。だったら、ちょっと返信が遅いなんて、よくあることで普通のことだ。気にする必要はない。
 それでも、不安なものは不安だし、怖いものは怖い。だからきっと、彼は笑うんだ。笑って元気を出すことが自分の力になっていると、いつかのインタビューで話していた。
 スマホの黒い画面に向かって、笑顔を作ってみる。マスクが少し動いて、目じりが下がった。ぎこちない笑顔の自分がおかしくて、小さく笑った。確かに、少し元気がわいてきた気がする。
 彼と違って、僕は何度でも打席に立てる。カウントもないから、何度だってメッセージを送れるし、いくらだって返信を待っていられる。スタメンから外れる心配も、二軍に落とされる心配もない。限られた出番で結果を求められている彼が、あんなに笑顔で頑張っているのだ。僕が頑張れないわけがない。
 少し明るい気持ちになっていると、スマホが震えた。ラインのマーク。すぐにまた震えた。通知にタップする。
『ごめん、課題のハンドアウト足りなくて、残されてた笑』
『今第二の近く』
 たったそれだけのラインが、心の底から嬉しかった。僕がラインしてから、16分後の返信。不安に思っていたさっきから、3分しか経っていなかった。
『おけ、行くわ』
 送った瞬間既読がついて、ふざけたスタンプが返ってきた。思わず吹き出しそうになったのをこらえて、スマホをしまって立ち上がる。キャンパスライフサポート室から出るとき、鏡が目についた。さっきよりは自然な笑顔ができていた。3分前とは全然違う、すっきりした気持ちで第二食堂へ向かった。

 彼が数試合振りの快音を響かせるのは、数時間後のこと。

フリーペーパーサークル白地図
2021年5月号寄稿

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