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江戸の川柳九篇③ あいつらは長生きをして食べまする 柄井川柳の誹風柳多留

 よめしゅうとめの関係は、大家族の昔は定番だった。だから、そんな川柳も創られた。
 江戸時代に柄井川柳からいせんりゅう(1718~1790)が選んだ川柳を集めた「誹風柳多留はいふうやなぎたる九篇」の紹介、全5回の③。
 読みやすい表記にし、次に、記載番号と原本の表記、そして七七の前句まえくをつける。自己流の意訳と、七七のコメントをつけているものもある。 



あいつらは長生きをして食べまする


507 あいつらは長生きをしてたべまする  わけのよい事わけのよい事

 「若いあいつらはこれからまだまだ長生きするから、いくらでもおいしいものが食べられます。それに比べて私は老い先短いから、今、好きなものを食べさせておくれ」としゅうとめが嫁に対して言っているのだろう。
 嫁としゅうとめはパターン化して川柳に詠まれている。

生きているうちいいもの食べさせて
それで長生き百歳時代

 今の百歳老人は、一人で暮らしていたり施設に入っていたりして、家族に愚痴ぐちを言うこともできない人も多い。そんな長生きが本当にしあわせなのだろうか。 



帳面に鯛鯛たいたいかもといそがしさ


530 帳面にたいかもといそがしさ  かぎりないことかぎりないこと

 帳面に「鯛」「鯛」「鴨」と書いている。たいは高級魚であるし、かも肉も高級品だった。これは暮れのお歳暮のメモ。高級国民である役人宅には次から次へと高級品が届いて(限りなく=かぎりないこと)いそがしいと皮肉ひにくっている。いや、うらやましがっている句だろう。 



来は来たが話し相手のない徐福じょふく


481 来は来たがはなし相手の無い徐福じょふく  くたびれにけりくたびれにけり

 徐福じょふくは秦の時代の中国の人で、始皇帝の命令で、不老不死の薬を求めて蓬莱山ほうらいさんを訪ねた。この山は日本の山(富士山か熊野山)だとも思われていた。という物語の話を、当時の日本人はよく知っていた。
 よく知っていたからこそ、中国人の徐福じょふくが日本に来ても日本語がわからないし、日本人も中国語がわからなかったのだろう、という句。不老不死の薬をさがして、さぞ疲れただろう(くたびれにけり)。

江戸の人いろんな話知っている
文字が読めたし芝居も見てた

 江戸時代に人々が本を読み、芝居を見て、知識を増やしていたからこそ、明治以降の日本の発展があった。(それが良いか悪いかは別にして)
 日本の教育についてもいろいろ書いてきた、

 


こけおどしにも詩は少しつくりたし


502 こけおどしにも詩は少しつくりたし  本の事なり本の事なり

 昔の日本人は中国にあこがれていた。中国の「漢詩」を「詩」と言って、日本のものは「和(日本製)」をつけて「和歌」と言った。詩の本家は中国だと思っていた。だから漢字だけの漢詩も創ってみたいなあというのが詩を創っている人の本心だろう(本の事なり)、という句。
 漢詩については以前にも何度か書いている。日本の文芸に多くの影響を与えた。





  タイトル画像は、浮世絵師、葛飾北斎かつしかほくさい(1760~1849)の83歳のときの自画像。画狂人がきょうじんと自らを言っていた北斎はいろいろな絵を描いている。老人になっても好きな絵を描き続けられたのは「幸せ」だったのだろうか。
 この川柳紹介シリーズでも「北斎漫画」の絵などタイトル画像に何度も使っている。



 「誹風柳多留はいふうやなぎたる」のまとめは、

  こちらに上述のような北斎のイラストを多用している画像もあり。



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