見出し画像

健康の選択と火星への移住

こんにちは。

久しぶりの投稿になりますが、今日は病気になったら、薬が欲しいという当たり前の発想から、壮大な話につなげていき、病気や健康は医療の世界だけにとどまる話ではないということについて考えていきたいと思います。

本治と標治

私たちは風邪を引いたり、生活習慣病になったりすると、直ぐに効く薬が欲しいと考えます。それはとても自然な事ですし、早く治るに越したことはないですよね。一方で、どうして風邪を引いたり生活習慣病になったりするのでしょうか?風邪は不摂生や夜更かしなどして免疫力が低下したところにウイルス等によって感染が成立してしまい起こります。生活習慣病は、読んで字の如く、生活習慣の乱れが病気を引き起こします。

東洋医学で良く用いられる言葉に、病気の本当の原因に対する治療を「本治」、その原因によって生じる症状に対しての対症療法を「標治」というものがあります。病気の原因が複雑だったり、直ぐには解決しそうにない問題に対して、ひとまず取り急ぎに標治を行いながら経過を見ることも多いのですが、東洋医学では病気に至ったプロセスを考えていく医療でもあり、最終的に、あるいは同時並行的に本丸である原因に対して根本的に介入する本治を行なっていくというのが一般的な考え方になります。

しかし、現在はありとあらゆる病気が存在しており、原因も一つではないことが多く、それを紐解くのはなかなか難しい病気も多いのは事実です。人間の身体は複雑系であり、あらゆる要素の組み合わせと積み重なり合いが現在の状態を作っていると考えられるため、それこそたった一人の誰かとの出会いがその人の人生を大きく変えるように、ちょっとした事がきっかけとなって、様々な流れが生じ、病気へと繋がっていくとも考えられます。バタフライ効果として知られる「ブラジルで蝶が羽ばたくと、遠くアメリカのテキサスで竜巻が起きるか」といった複雑系が人間の身体あるいは、人生そのものとも言えるのかも知れません。仏教の世界ではそれを縁起と言ったりもしますね。そういう意味ではたった一つの要素に原因を追求していくということに無理があるのかも知れません。ですので、医療において、特に家庭医療や総合内科、あるいは東洋医学といった幅広い視点で患者さんを見ていく診療科においては、現在の状況をシステム理論で捉え、その中で最も介入しやすく、尚且つ効果的なレバレッジポイントを見つけるというのを意識しているのではないかと思います。

小川の淀みと殺虫剤

一方で、原因は分かっているけれど、なかなか行動変容ができず、標治ばかりでずっと病院通院から離れられない方も多いのも現代の特徴なのではないでしょうか。医療にかかっていて、薬をもらっているから安心と思われる方も多いと思いますが、病気になるプロセスの多くは生活の中に鍵があり、生活習慣に対する行動変容が本治だったりします。本治を選ばれるのも、標治で病院に通院し続けるのも自由選択ですし、どちらが良い悪いとジャッジするものではないですが、自分はどう在りたいのか、どういう状態でいたいのかというところから納得して選択していく事が大事ではないかと思います。

ここで面白い寓話を紹介します。

むかしむかしある村に小さな小川が流れていました。小川のある部分では曲がりが強く、川の流れがそこで淀みやすく、へどろが溜まってきやすいので、村人は定期的にそのへどろを掃除する必要がありました。村にむかしから伝わる教えでも、そこの掃除だけはかかさないようにと伝えられてきたのでした。しかし時代が流れ、その教えをきちんと伝えられる人が少なくなり、いつしか村人は掃除をしなくなりました。ある年の夏に、その村では蚊や小蝿などの害虫が大量に発生しました。村人は害虫の発生源を調べたところ、小川の曲がったところであることがわかりました。そこで村人は蚊や小蝿を退治すべく、殺虫剤を撒きました。その後しばらくは害虫は減るのですが、それでも一時を過ぎるとまた増えてしまい、ついに定期的に殺虫剤を撒くことが村人の間で共有されるようになりました。昔はこの村では毎年夏になると蛍が綺麗な夜を明るく照らしていましたが、いつしか川のほとりには花が咲かなくなり、昔いた蛍も姿を消しました。殺虫剤を売っていた村人は商売繁盛し、村で一番のお金持ちになりました。ある時から、村の老いぼれた長老が、遠い記憶を辿るように目を細めて妄想のような独り言を呟くようになりました。「あそこは、綺麗にしとかにゃならんのじゃ。あ〜ご先祖様のバチがあたる。。」と。しかし、「また長老の独り言がはじまった」と、村人の中で長老のいう言葉を理解できる人はほとんどおらず、川はいつしかコンクリートで固められ、綺麗な街に生まれ変わりました。
作り話

このお話を聞いて、いかがでしたか?
この昔話は作り話ですが、同じことが医療の世界でも起こっています。

ここでは時代の変化と共に、同じ害虫が発生しないようにする方法を
1. ヘドロを定期的に掃除する方法
2. 殺虫剤を定期的に撒く方法
の2つを対比してストーリーを作りました。

どちらの方が良いとか悪いとかジャッジすることはしませんが、原因を知った上で、どうするかは選択だと思います。村をどういう状態で保ちたいのか、殺虫剤で撒くことは楽で、何も考えなくてもできますので、それを選択することも出来ます。結果として、村が自然のままの綺麗な状態を残すことはできませんので、代償を払うことになりますが、そこにビジネスが生まれ、新たな需要供給が生まれます。

これを医学で置き換えると、バランスの良い健康的な食事を適度に取り、適度に運動することを選べば、長持ちする身体でいることが出来る一方(本治)、それを怠れば、糖尿病などの生活習慣病が起こります。

原因を見つめ、自分の生活を振り返り、行動変容することで修正可能ですし(へどろをもう一度定期的に掃除をする)、行動変容をしないで、心筋梗塞や脳梗塞を防ぐために血糖を抑える薬や血圧を下げる薬で標治する選択も出来ます(へどろの掃除をせずに、楽に害虫の大量発生を防ぐために殺虫剤を撒く)。後者は決して身体が自然で健康な状態に戻ったわけではないですが、見かけ上は薬を飲んで心筋梗塞の発生はある程度防ぐことは出来ます。心筋梗塞を防ぐという目的はある程度の確率で達成されながら、薬はどんどん増えていきますが、好きなものを好きなだけ食べて、お菓子を食べながらソファーでテレビを見ながら楽に過ごすということも出来ます。美しく健康的な身体でいること(街の自然な美しさを保つこと)や、いざという時に全力で走ったり、動物としての運動機能や五感を研ぎ澄ませて世界を正しく認識する能力はどんどん低下するという代償はありますが、それに変わるぐらい甘くて楽という刺激的な快楽を味わうことが出来ます。さらにそこには健康を売り物にしたビジネスが成立し、製薬会社などは潤いますし、食料なども大量消費・大量生産があり、大量廃棄もついてきます。

医療を超えて火星移住にまでつながる

実はこのようなことは医療だけの小さなことことに見えますが、思わぬ形で社会や経済、環境や貧困問題にも繋がっています。資本主義が中心となっている現在は、消費者に甘い誘惑や快楽を与えてお金儲けをしようとします。ジャンクフードは脳に一時的な快楽をもたらす砂糖などの物質で消費欲を掻き立てて、大量生産することで価格を抑えて安く提供することで他の商品との競争力をつけてきます。その背後で、食肉に使われる牛や豚、鳥などの飼料に使うトウモロコシなどの穀物を育てるために森林伐採され、さらに過酷な環境で動物達は飼育され、農薬や悪天候にも強い遺伝子組み換え穀物を飼料として与えられ、質の悪い大量生産された安い食肉が輸入されます。それを支えるのは過酷な環境の中、安い賃金で労働が搾取されるグローバル・サウスの人々です。そうして安く輸入された農作物のために、日本の丁寧に育てられたものは日本の消費者からは買われなくなり、廃業せざるを得なくなります。安くて美味しいという甘い誘惑に手を伸ばし続けた結果、生活習慣病を生み出してしまいます。そのサイクルの中で、地球環境は破壊され続け、このままいくと人類は地球に住むことができなくなる事が容易に予想されるので、火星への移住を本気で考えるようになってきました。そしてそれはテクノロジーの発展として歓迎され、また夢のある話として共有されています。

私たちは何を選択するのか?


全ては私たちの選択ですし、良い悪いという事ではないですが、因果応報、代償を払うのも私たちです。一見健康と病気という狭い範囲のことのように思われますが、実は資本主義という大きなうねりの中で、巻き込まれているということを意識することも大事ではないかと思います。そして、最終的には自分はどう在りたいのか、どういう状態でいたいのか、そしてどんな世界に住みたいのかというところに立ち返るのではないかと思います。

ドブ川を掃除するのか、ドブ川に殺虫剤を撒くのか、皆さんはどうされますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?