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予防医療は医療費を下げるか?

アメリカの大統領選挙において2008年当時のバラク・オバマ大統領候補やヒラリー・クリントンらが「予防医療サービスに予算を投資することで医療費の削減を図る」という議論を展開していたことに対して、アメリカの医療政策学・医療経済学の人たちは、予防医療が必ずしも医療費抑制に効果的であるわけではないと反論を展開しました。その根拠となったのが、Cohen先生らのNew England Journal of Medicine(NEJM誌)に掲載された論文(総説)なのですが、それを今回はご紹介し、そして本当に予防医療は医療費削減に効果的ではないのかという事を考えていきたいと思います

Cohen先生らの論文の紹介

これは費用効果分析の学者であるCohen先生らが、米国のTufts Medical Centerにある費用効果分析の登録データを用いて、2000年から2005年に発表された費用効果分析の論文599をレビューして、1500個の費用効果比(Cost-Effectiveness Ratio)を調べ、実際に医療費抑制に効果があったものがどれぐらいあったかを調査し発表された総説です。

この総説で医療サービスを
1. Cost-saving:健康のアウトカムが改善されるだけではなく、医療費も抑制できる医療サービス。
2. Cost-effective:お金はかかるものの、得られる健康のメリットが大きいサービス。しかし、医療費抑制効果は見込めない。
3. Cost-ineffective:医療費抑制効果もなく、健康アウトカムも小さいか無い、もしくは有害である医療サービス。

の3つに分類して検討されました。

その結果、予防医療サービスの中で、実際に医療費抑制効果があるもの(Cost-saving)は予防医療サービス全体の中で2割しかなかったという結果でした。残りの8割は、費用効果分析の結果、医療費抑制効果はなく、Cost-effectiveもしくはCost-ineffectiveなサービスという結果になりました。
この中で、Cost-savingの医療サービスとして挙げられているのが、例えば幼児に対するヘモフィルス・インフルエンザ菌b型菌(Hib)ワクチン接種や60歳から64歳までの男性に対する1回の大腸カメラ等です。

さらにはこの論文は、既にある病気の「治療」における費用対効果も分析されており、その結果なんと、治療の中にも全体の2割のものはCost-savingであったという分析結果になっています。下のグラフのCost-savingのところを見ると、予防(Preventive measures)と治療(Treatments for existing condition)も医療サービスの中でCost-savingであったものが、どちらも2割弱でほぼ同等であることがわかります。つまり、予防医療サービスだけが、治療と比べて特別に医療費削減効果があるものの割合が高いわけではないと言うことが示され衝撃を与えました。

(Cohen JT, Neumann PJ, Weinstein MC: Does Preventive Care Save Money? Health Economics and the Presidential Candidates. N Engl J Med. 2008; 358: 661-663)


直感に反する結果とその理由

この論文を詳しく読んで、私は何かおかしいと思いました。
この論文自体はNEJM誌という臨床医学の中でのトップジャーナルですので、内容はとても正しいと思われますが、直感的にこの結果は私たちが考える予防医療というものを過小評価していると感じました。
そもそも前提として、どうして予防医療の代表的なものである、食事療法や、運動療法というのがCost-savingのリストに入っていないのかという疑問です。

そこで、色々とTuffs Medical Centerの登録データの内容を見てみたり、検索して、分析されている論文がどんなものがあるのかを調べました。

その結果、驚いたことに、登録論文の検索で「食事」や「運動」というキーワードを入力しても、ほとんど引っかかってきませんでした。予防医療を扱っているのに、食事とか運動とかというものが全くヒットしないことに疑問を感じました。


なぜ検索で出てこないのか、、

色々なキーワードを入れて試してみましたが、求めるものが出てきません。検索機能の問題かと色々疑ってみましたが

冷静に考えてみると当たり前のことに気がつきました。

これは費用対効果を検討した論文を集めて検討した分析であり、そもそも食事療法や運動療法というのは自分の生活の中で出来る予防であり、そういう意味では費用がかからないので、そもそも費用対効果分析の対象にならないということです。さらに、Tuffs Medical Centerの費用対効果分析登録閲覧ページにあるFAQの中で、「食事療法、怪我の予防、環境修復などの非医療の費用対効用分析の数は限られています。」と書いてあり、そもそも食事療法は医療ではないという扱いのようです。

(Tuffs Medical Centerの費用対効果分析登録閲覧ページにあるFAQ)

つまり、私たちが考えている病気の予防である、健康的な食事や運動は、米国で議論されていたこの論文の予防医療にほぼほぼ含まれておらず、それを抜きに議論がなされていたということです。

予防医療にはレベルがある

政治にとって、お金をどの政策に分配するかというのは特に大事であり、費用対効果を常に考えなければならないと思います。もちろん医療においても、お金や人的資源は無限にあるわけではないため、費用対効果は最も大事なことではあると思います。

一方で、予防医療というのは一次予防から三次予防までレベルがあって、これらひっくるめて予防医療と言われるので分かりにくさにも繋がっています。

⑴ 一次予防:病気の発生を予防すること(食事・運動・睡眠・禁煙、予防接種等)

⑵ 二次予防:病気そのものは予防しないが、病気の早い段階で発見し、早く治療に結びつけるもの。(健診やがん検診、人間ドック)

⑶ 三次予防:病気が起こった後に、悪化させない、もしくは再発させない予防(心筋梗塞後のアスピリン内服等)

この中で、健康的な食事や適度な運動、快適な睡眠などは病気の発生を予防するので、一次予防にもなりますが、病気が起こった後でも大事であり、三次予防とも言えます。これらは基本的には自分の生活の中で行うことであり、医療費はかかりません。

一次予防から三次予防まで、どれが一番重要かというのは順位づけることではなく、どれも重要ですが、やはり政策側から考えると費用がかからない方が良いでしょう。私個人の考えとしては、生活の中で出来る予防=養生である健康的な食事や運動、快適な睡眠は費用がかからず、さらに病気の発生そのものを予防する究極の医療と思っています。病気にならず、費用もかけない医療、それを私は医療の向かうべき目的地と考え、その医療が目指すべき目標の達成度合いである医療の質の評価のための指標を作りました。

予防医療はやはり医療費を下げる

上でお話ししたように、予防医療にはレベルがあります。
でもその中で、食事や運動、睡眠などは基本的にはコストがかかりません。それにエビデンスがあるんですか?と言われるかもしれませんが、それぞれにエビデンスはあります。どんな食事が健康アウトカムを良くするかというのはWHOがエビデンスに基づいて出してたり、運動療法についても同様にエビデンスがあります。しかし食べ過ぎれば太って病気なることや、運動不足でも病気になるというのはエビデンスを持ち出すまでもなく、空気がないと人は死んでしまうと同じぐらいコモンセンスだと思います。しかしきちんとした大事な情報は社会全体でまだまだ共有されておらず(むしろ資本主義にとっては都合が悪いので多くの人に知らされないでいますが。。)、実行できている人はほとんどいないというのがこの社会の現状です。そこは教育の役割も大きいと思っています。

私は究極、予防医療には基本的にはほとんどコストがかからないと思っています。かかるのは予防接種ぐらい。病気にならないのが当たり前の社会になれば、そもそも健診・がん検診などの二次予防も究極要らなくなるでしょうし、三次予防も出番がないでしょう。そういう社会になるのはだいぶ先になると思いますが、目指すべき医療の方向はそういう方向になると思います。

そう言う意味で、食事や運動、睡眠などのライフタイルを健康的にする事も予防医療とするならば、やはり予防医療は医療費を下げると結論付けて良いのではないでしょうか。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。




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