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『猫と耳とトイレと』

 食器洗いや洗濯などというのは単純な作業であって、ある一定まで習慣化してしまえば、巧妙にプログラムされたロボットのように処理できるようになる。

 でも僕はロボットではない。
 彼女と同棲して一年ほどの間で、習慣化された動作をこなすのにはほとんど脳の領域を必要としなくなった。一方で、脳に空いた領域では無駄な思考が進む。
 僕の無駄な思考は自動的に走り出し、彼女への不満で頭がいっぱいになる可能性があるので、対策が必要だった。

 家事をしながら大音量で音楽を聴く。
 これが僕にとって、家事をスムーズにこなしつつ無駄な思考を発生させない手段である。

 幸いなことに、先日、僕は誕生日に彼女からイヤホンをプレゼントで貰っていた。それも、Bluetoothで繋ぐタイプなので、携帯から伸びるコードをぶらぶらとさせていなくても音楽が聴ける。

 誰かと一つの部屋
 二人きりになったとしたら
 僕は何を話せるだろう
 言葉の節々 僕の本当の気持ちが出て
 君はそれに勘付いてしまうだろう

 幸せなのか幸せじゃないのか分からないような歌詞の音楽に合わせて僕は家事をこなし、洗濯を畳んで干して、キッチンもフローリングもキレイになった。

 ここで、スムーズに家事を終えることを妨げる事実がある。うちには猫がいるのだ。
 一連の家事に含めて、猫用トイレの猫砂を変えたばかりだったのだが、猫も僕らと同じで生理的欲求には素直なわけで。
 音楽を聞きながらシーツを取り込んだ僕が部屋に戻ると、対角側の部屋の隅で──猫用トイレにホカホカのだいがポトリと落とされたらしいことに気づく。
 イヤホンをしていても鼻は効くのだ。
 僕は抱えていたシーツの束を、キレイになったフローリングの上にバサリと落とした。

 そろそろ彼女が仕事から帰宅する頃合いなのだが、の香りのために家事一式が終わっていないと思われるのは悔しい。ホカホカのままの大を先に処理することにしよう。シーツは後回しだ。

 小物を入れるための低い棚の横に、隠すように置いてある猫用トイレ。飼い猫のプライバシーを守るべく更に観葉植物を置いて、一歩入り組んだ雰囲気にしてある。
 ただ、猫がスムーズにトイレに向かえるように、猫用トイレの手前だけはモノを置いていない。まあ、実を言うと、用を足している最中の猫の表情が見たいと言う彼女のリクエストでもあるのだけれど。

 片手に小さなビニール、もう片方には小さなスコップを構え、猫用トイレの中からホクホクしている大を探す。コロコロとした猫用トイレの砂をスコップでひっくり返していくと、見慣れた大が見え隠れする。
 まるで宝探しだ。
 いや、うんこ探しだけど。

 ホクホクで硬めのうんこはコロコロと彷徨い、僕の耳には大音量の音楽が響く。

 ただの楽しい話がしたいね
 上っ面の楽しい話でいいから
 僕の目に映るものだけが
 本当じゃない──

 唐突に途切れた音楽。が、僕は手を止めず、スコップで猫用トイレの砂をひっくり返した。そして、猫砂の中にイヤホンが消えていくのを視認した。うんこもまだ一つある。

 猫砂とイヤホンとうんこ。
 僕は思わず手を止めた。とほぼ同時に、玄関の鍵が外からガチャリと開き、ドアが開く音が僕の片耳に届いた。

 猫用トイレの前を離れられない僕に、彼女が近づいてくる。
「なにやってんの?」
「あ、猫の──あの、耳、猫、耳がね」
「え? 猫耳?」
「いや、違うんだ」
「猫耳の趣味あったっけ?」
「いや、否定はしないけど、いや──」
「これは一大事だね。じゃあ、私今から猫耳買ってくるから、待っててね!」
 なぜ“イヤホン”という単語がすぐに出てこなかったのかは自分でも分からない。彼女は小さなバッグだけを手に取ると、駆けるように出ていった。
「あ、一応しっぽも要る?」と、もう一度開いたドアから顔だけ出して聞かれたので、僕は「はい」と答えた。

 イヤホンを救出して、なんとなく、しばらく乾かしておくことにした。放置していたシーツを手に取り、片耳だけで音楽を聴く。

 君のために シーツを取り替えるよ
 我は この町に燃ゆるひまわり
 季節など かまいなしに咲くひまわり

 シーツを布団に被せている最中、猫が布団の上で暴れ始めた。楽しいらしい。
 彼女が帰ってくるまでしばらく掛かりそうだったので、僕はひとしきり猫の遊び相手をしてから寝室を出た。

 机の上のイヤホンを眺めて、彼女にアルコールウェットティッシュを頼んでおけば良かったなあ、と思いつく。しかし、なぜウェットティッシュが必要かと聞かれると、また上手く説明できない気がしたので、彼女に連絡はしないことに決めた。

 ほどなくして、僕はトイレに立った。

 大だった。
 彼女はまだ帰宅しそうになかったので、トイレをもう一度キレイな状態にしておく。

 イヤホンが落ちないように、耳の穴ににキュッと押し込んでから、除菌シートで便座を拭いた。猫耳としっぽをつけた彼女の姿を想像しながら。


 こんな不純な生活なのに なぜだか幸せ
 あの人と この人と いれて幸せ
 なんだなんだ これでいいのか
 最後になって 君が笑って とても幸せ




(おしまい)


【歌詞引用】※掲載順
『密室』
『目隠しの街』
『ぽっかぽか』
『しあわせ』キンモクセイ

僕の書いた文章を少しでも追っていただけたのなら、僕は嬉しいです。