生きるエネルギー

「迷惑をかけないようにしたい」禁止!

以前に書いた「迷惑をかけないようにしたい」禁止!という記事に、「いいね」が140個以上ついてすごく評価されています。
特に若い方からの反応が良いのです。
ある意味、それくらい若い世代が「迷惑をかける」ことに恐れを抱いているのかなぁ。と思ってちょっとかわいそうになります。
そこで、自分自身が若い頃はどうだったかということについて考えてみました。

一流の刑務官でありたかった

刑務官になったのは、一度、社会人として仕事をしていた後でした。
車のディーラーで営業をやっていました。
当時はバブルの全盛期で、高い車がガンガン売れていました。
売ったら売っただけ給料はあがり、それ以外にも現金で金一封が支給されていました。
月の収入が百万円のこともありましたし、優秀セールスとして海外旅行のボーナスをいただいたりしました。
ただ、いつまでもこんなことが続くはずないと思っていたのと、上司との折り合いが悪くなって刑務官採用試験を受けたのです。
26際で刑務官となったので、私より若い先輩がたくさんいました。セールス時代の実績にこだわり、年下の先輩に負けたくなかったので、昇進試験を受けて階級をあげようと人一倍がんばりました。
舐められないように誰よりも刑務官らしい刑務官でありたいと思っていましたので、今考えれば、かなり無茶苦茶なことをやっていました。
「特別公務員暴行陵虐罪」として訴えられてもおかしくないくらいです。

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研修支所教官時代

新人刑務官を指導する立場になってからもそんな状態です。
自分が考える刑務官のあり方を押し付けるのです。その基準に達しない者に対してひどく厳しくあたりました。
それが自分の使命と思っていましたし、正しいことだと信じていたのです。
真夜中に研修生を非常ベルで叩き起こして集合させ、遅くなった者には罰を与えるのが教育と思っていました。
そんな時期に発覚したのが、「名古屋刑務所事件」です。

2001~02年、刑務官らが集団暴行で受刑者3人を死傷させたとされる刑事事件。革手錠付きベルトで腹部を締め、受刑者2人が死傷したとされる「革手錠事件」と、肛門(こうもん)に消防用ホースで放水して受刑者1人を死亡させたとされる「放水事件」とがある。両事件で刑務官ら計8人が特別公務員暴行陵虐致死などの罪で起訴された。

自分が同じ立場であれば同じことをしたと思える事件でした。
それなのに、自分は教官として偉そうに勤務している。自分は何を教えているのか?という疑問にとらわれ、精神的に追い込まれます。

他者の期待に過剰に答える

問題は、自分自身の中にありました。
結局、私は他人に認められたいために、過剰に役割を演じていたのです。
それは、年下に舐められたくないというコンプレックスの裏返しです。
自分の中は空っぽのまま、他人の期待に添うべく、過剰な規範意識の中で生きて来たのです。
組織のために正しいと思ってやってきたことは、単に自分を認めてもらいたいだけで、自分がやりたいことでも何でもなく、自分のエゴイズムのために屁理屈をつけておこなっている、単なる違法行為だったのです。
それに気がついた時、今まで経験したことのない精神的な苦しみに見舞われました。
結局、師と呼べる人に出会うことで自分自身のあり方を変えることができたのです。

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今の君は本当の君なのか

私は、自己犠牲が悪いと言っているのではありません。
逆に、「幸せになろうとしても、決して幸せになることはできない。他人の幸せが自分のことのとして喜べる人だけが幸せになれる」と信じています。
それと、これとはどう違うのでしょうか。
決定的な違いは、「心が愛に満ちている」かです。
自分が心から大切にしたい、喜んでもらいたいと感じているかということです。
他人から食い物にされて、本当の自分は心の奥で泣いているのではないかという疑問を持ってください。
あるいは、誰かや組織に自分を無理に合わせて、辛い思いをしているのではないですか。
答えはなかなか見つからないでしょう。
でも、わかる方法があります。
心が感じていることは、言葉ではなくまず初めに体に現れるのです。

体をスキャニングする

自分の心が望まないことを続けていると、「生きるエネルギー」が失われてきます。
毎日が辛い、気持ちの晴れる時がない、眠れない、起きられない、不安を感じる、手が震える、イライラする等々。
静かに座って息を整えて集中し、頭の先から足先まで体をゆっくり意識してください。違和感がありませんか。
これらのことは、「生きるエネルギー」が失われれている証拠です。
徐々にあなたを蝕んでいき、やがて命に関わります。

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自分ために生きて、人のために生きる

全く逆のことを言っているようですが、仏教には「自利利他」という言葉があります。

自らの仏道修行により得た功徳を自分が受け取るとともに、他のための仏法の利益をはかること。

仏教の修行をする必要はありません。
まず、自身の心を整えること。自分の気持ちがきちんと把握できていること。
毎日が充実して感謝できていること。
その上で、正しく人のためになることを行うこと。
という意味です。
これが幸せになる方法なのです。

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