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私はただ生きているだけでいいんだと気づき、子どものように声をあげて泣いた話。

昔からよく「かなは本当に頑張り屋さんだね」と言われてきた。私にとって頑張ることは当たり前のことだと思っていたため、頑張り屋さんだねと言われる度に当たり前のことでしか褒められないのかと何度落ち込んだことか。

私にとって頑張ることは当たり前のことだと思っていたのは「いい結果を出していない私は価値がない」と心底思っていたからだ。いい結果を出すために、価値がある自分であるために、とにかく頑張ることを頑張ってきた。

このnoteでは「いい結果を出していない私は価値がない」という考えが形成された背景、「いい結果を出していない私は価値がない」という考えが崩壊した出来事、その後の変化について綴ります。

無条件に自分を認めることができず生きづらさを感じている方に、このnoteがどうか届きますように🕊


家族のために働く父と家族を守る母

私は宮田家の長女として生まれた。父は自動車メーカーに勤務しており、毎日朝から晩まで家族のために働いてくれた。母は専業主婦であり、誰よりも早く起きて家族の目覚めを待ち、誰よりも後に眠る生活を送りながらいつも家族を守ってくれた。
今の私があるのは間違えなく両親のおかげであり、本当に感謝している。

不機嫌な母を思い出す

母は私によく「人に迷惑をかけないで」と言った。私が何か問題を起こしてしまったときは「余計な仕事を増やさないで」「お願いだからこれ以上迷惑をかけないで」「もう二度とやらないで、何もしないで」と言った。

私は問題を起こす度に私が生きていることへの罪悪感を感じるようになった。そしていつも不機嫌な母親を思いながら、失敗を恐れ、いい結果を出すことにこだわるようになった。いい結果を出すことだけが生きていることの価値を感じられ、生きていることの罪悪感が軽くなるような感覚だった。

「いい結果を出すこと」に囚われていた私

「いい結果を出していない私は価値がない」という考えから、私は仕事で成果を出せなかったとき周囲の人が心配するほど自分を責めた。ミスをしたときはこの世の終わりと思ってしまうほど絶望的な気持ちになった。

人の生き方に向き合う者として自分の人生に向き合うことにした

先日親戚の結婚式に参列し、久しぶりに家族と顔を合わせた。親族の集合時間ギリギリに会場に着いた母は父の誤った道案内によって雨の中長時間歩くはめになったことに不機嫌だった。

結婚式から数日が経ってもなぜか不機嫌な母の姿が忘れられず、これは人の生き方に向き合う仕事をしているPOSIWILL CAREERトレーナーとして自分の人生に向き合った方がいいと思い、社内のメンター的存在である永井さんに打ち明けた。このときはまだ「いい結果を出していない私は価値がない」という考えが崩壊するとは夢にも思っていなかった。

どうして母は不機嫌だったのか

「お母さんってどんな人?」

母は4人家族の長女として生まれた。しっかり者で心配性な性格である。

「お父さんとお母さんはどんな関係?」

家事が苦手な父は母の支えなしに仕事に集中することはできないが専業主婦である母は父の経済力になしに生きていけない、そんな関係性である。

「お母さんは子育てのプレッシャーを感じていたんじゃない?」

父は毎日朝から晩まで家族のために働いており、専業主婦の母は子育てを全面的に任されていた。もし子どもに何かあればきっとその責任は母が背負うような構造になっていたと思う。

思えば、母は第一子として双子を授かった。(私は双子として生まれた長女なのです。)出産予定日の約1ヶ月半前に出産し、未熟児として生まれた私たち双子は新生児集中治療室に入った。

思えば、私が体調を崩す度に付きっきりで看病してくれた。怪我をしたら病院嫌いな私を無理矢理にでも病院に連れていってくれた。

思えば、私が誕生日のときはいつも以上に腕によりをかけてご馳走を作り、毎年近所のケーキ屋さんで買ったホールケーキまで用意してくれた。

思えば、私が実家を出る前夜、大好物であるからあげを大量に作り翌日は余ったからあげを弁当に詰めて持たせてくれた。

思えば、私が社会人になり思わず仕事の弱音を吐いたとき、しんどかったら帰ってきてもいいんだよと声をかけてくれた。



「お母さん、本当はシンプルに愛したかったんじゃない?」

未熟児として生まれた私たち双子が新生児集中治療室に入ったとき、きっと母はこう思ったと思う。


「ただ二人が生きてほしい。」

母は私を産んだときからただ私が生きることを望む存在だったのだ。母からの無性の愛を時間を超えて受け取れような気がした。その瞬間、私は子どものように声をあげて泣いた。

母はただ私が生きることを望む存在だった

父と母の関係性によって母が全面的に子育ての責任を背負うような構造になっていた。そして恐らく母は「自分の価値=父からの評価」と感じていたことから評価基準である娘に対して抑圧された子育てのプレッシャーを投影してしまうような抑圧の連鎖構造になっていたんだと思う。結果的に「人に迷惑をかけないで」という言葉をよく口にしてしまったんだろう。

私が母からの無償の愛に気づけずに「いい結果を出すこと」に囚われていたのは無意識に父に期待しており父に課題を見つけようとしなかったからだ。人に期待することで課題の分離ができなくなることについては別noteに書くことにする。

ただ生きることを選んだ私

ただ私が生きることを望む存在に気づけたことで、私はただ生きているだけでいいんだと思えるようになった。

その後、仕事で成果を出せなかったとき過度に落ち込まず立ち直りが早くなった。休日に何もしない日を過ごしても罪悪感を感じることもなくなった。感覚的ではあるが、以前よりも興味関心があることに図太くなり、支えてくれる人に感謝しながらも何かに縛られることなく自由にしぶとく生きようと思えるようになった。

次母に会ったら「ありがとう」と伝えようと思う。

引き続き、人の生き方に向き合う

私が他者の力を借りて囚われていた考えを壊すことができたように、もし無条件に自分のことを認めることができずに生きづらさを感じている方がいたらPOSIWILL CAREERトレーナーとして今度は私が誰かの力になれたらと心から思います。

まず相談してみたいと思った方は、こちらからぜひ無料カウンセリングをご予約ください。

宮田果奈