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自分探し

【たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私を攫つて行つてはくれぬか】


俵万智さんのエッセイでこの歌が紹介されていて、河野裕子さんを知りました。それから気にはなっていたのですが、エッセイ集を図書館で見つけたので読んでみました。
「わたしはここよ」。
読んでいて、すごくそれだー!と思った部分があったので、引用してみます。


『自分は何者なのか。それは誰にもわからない。けれど、歌をつくっているうちに、どうにも言い表しようのないものと思っていた自分の不安に輪郭がついてくるのがわかる。自分という人間の輪郭が見えかけてくる。』


皆そうなのだなと思いました。
表現することに救われる一面もあるのでしょうが、それより、表現することで自分と対峙する。
自分と向き合う術が、俳句だったり短歌だったりエッセイだったり小説だったり、もしかしたら絵や音楽かもしれない。そんな表現することで、自分と向き合おうとするんだなって思います。


文章を書いていると、イライラやもやもやが、なぜその形を取っているのかが見えてくるような気がします。
どうしてその物事にイライラするのか。どうして私がその出来事に疑問を持ってしまうのか。何にひっかかっているのか。
文字を入力していくうちに思いがけない言葉が出てきて、本当はこう思っているのかと自問自答して、思い直して、打ち直しているうちに違う考え方があると気付いて、書き終わった満足感よりも気付いた満足感、何かを捉えた満足感が大きいのです。


『わたしとはこのようなこころの形をしていたのか。呆気にとられ、愕然とし、励まされ、納得し、拒否し、嫌悪しながら自分の居場所が見つかったことに安心もし、自信がつく。』


私は私だけれども、私は常に私じゃない自分自身を探しているような気もします。
その手段が私にとってはエッセイとかそんな風に呼ばれるものなんじゃないかって今は思っているので、こうして書き続けることを選んでいます。


本の中で、『最近私はこういう歌を作った』と紹介されている歌がすごく好きです。

【風に向かひ風に屈みて歩みつつむかし老女だつたやうな気がする】

私、自分の中の老女を探し続けて表現しているのかもしれないです。



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