鬱ノ日ニハ、珈琲ヲ。
先日、とある雑誌の記事を見た。
自家焙煎珈琲店である、〈蕪木〉の店主、蕪木祐介さんと、女優の橋本愛さんのインタビュー記事だった。
そのインタビューの中で、橋本さんが蕪木さんに、どんな時に喫茶店で珈琲を飲むのですか?と問われた際に、“陰”の気分の時に行くことが多いです。と答えた場面があった。続けて、珈琲は、気持ちが沈み込むことを許してくれるような気がする。と答えていた。二者ともに、珈琲や喫茶店に対する価値観は同じだったようだ。
私にとっての珈琲も、この橋本さんの発言にまさにドンピシャだった。脳に電撃が走るとはこういうことだろう。これだ!!と感じた。橋本さんや蕪木さんの感性の豊かさや、言語化能力の高さに感服しつつ、記事を読んでいた。
普段珈琲を淹れていて、ため息をつきながら飲まれているお客様が見えた時、なんとなく嬉しかった。なんでなんだろうな、とずっと考えていたが、これが答えだったのだなと。
私は以前、医療関係の仕事をしていた。自分は繊細な気質を持っている事は自覚していたし、人の心に寄り添うことができるという強みを、直接医療や介護の現場に活かせると思った。
しかし、重大な欠点に気がついていなかった。繊細さゆえに、他人の“陰”を吸い過ぎてしまい、しんどくなってしまっていた。誰かの助けになる事や、役に立てる事はやり甲斐があったが、自分が持たなかった。当時の自分の中では、繊細な心の持ち主=支援職という公式が成り立っており、それ以外の選択肢を知らなかった。珈琲と出会うまでは…
珈琲をやり始めて、他人と自分の間には、必ず珈琲が入ってくれた。私自身の口からが100%のお話が出来なくとも、珈琲が代わりに伝えたい事を伝えてくれる。自分と他人の境界線を、珈琲が引いてくれていると感じた。その感覚が、自分にとってとても居心地が良かった。無理に誰かの助けになろうと思わずとも、珈琲を通して表現すれば、結果的に誰かの役に立つ事が出来る。そう感じた。
かなめ珈琲の珈琲たちは、それぞれが私自身の自己表現の手段でもあり、“陰”を満たす役割もある。
だから憂鬱な気分な時こそ、かなめ珈琲を飲んで頂きたい。ぜひ憂鬱に浸り切って頂きたい。
かなめ珈琲は、いつでも最下層でお待ちしております。
ということで、新しいぶれんど-鬱ノ日-を販売開始致します。ぜひ、商品ページをご覧下さい。