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大型連休が終わり、せっかくの習慣が崩れかけたことに気を落としているという話。~メモ週間と新たな気づき~やはり万年筆の存在がリカバリーを助けてくれる~

多くの方が、「連休を有意義に過ごすための計画と予定をたて、一部取り組みながら、いろんな事情が重なり、やりたいこともやれないまま、時間だけが過ぎていった」のではないでしょうか。
かく言う私もその一人。と、言えるのか言えないのか。
とても良い時間を過ごしたのに、「何かが欠けているためにそう思い込んでいるのではないか?」そんな引っ掛かりもあるのです。

1.連休中のメモの状況~システム手帳はお休み、モーニングページと、0秒メモはかろうじて朝に取り組みました~

①被災地を訪れたこと~子供たちは震災遺構を見ることでそれぞれ気づきがあった~

あいにく、連休の前半は雨が多く、予定していた子供の野球大会も(過剰と言える)コロナ対応のおかげで、出場できないことを余儀なくされました。

何か、前から考えていたんですが、そろそろ被災地への訪問をしないとと。
震災から11年。私自身は、仕事関連で数度足を運んだきり。

風化についても、各種メディアの露出が表しているように、月日とともに・・・というのはあるでしょう。

今回、訪問に選んだのは、仙沼と石巻。

どちらも「学校」が津波にのまれ、その残骸、建物が遺構として残されています。

これらについては、また別の記事で書きたいと思います。

②少年野球と親のかかわり

いわゆるスポ少と親の会については、どこも大小あれど、という感じでしょう。
こちらも多分に漏れず、いろいろな課題があるわけで。
その中で、今、子供が小5で、来年の親の会のトップをどうするかでもめにもめているようなのです。
それについても、メモでまとめてみました。

・そもそも誰のため?(子供の成長のため、親の会が主役ではない)
・伝統は大事だが、時代背景が大きく変わっている。(活動の相当の無駄がある、人は減るのに)
・自分の代は大事だが、団体が存続するように、次代のことを検討する。(それは先輩が後輩にしてやることと、似ている)

③0秒メモについて ~コピー用紙は白いという弊害~

どうやら、この「0秒メモ」、A4コピー用紙に約1分でメモを書くだけのことが、とても頭の整理になっていることに間違いないし、振り返りと実践の際のメモの塊が役立っていくことも実感しています。

ただ、課題もあるのです。
メモですから、いつでもどこでも、というのが理想でありながら、さすがにA4を持ち歩くということは現実的ではなく、まずは別メモから転機する等のプロセスが必要となること。

結果、会社のデスク、自宅の書斎以外ではこのメモを書くことがないこと。
そして、メモの塊は、会社のデスクで見るしかできないこと、などです。

そして、なんとなく違和感があることが。

「コピー用紙は白い」ということ。

もう、当たり前すぎる話です。

しかし、これは、書く側にとっては、どうにも違和感のある話なのです。
なぜかというと、私が使っている書くツールは、大きく次のとおり。
・システム手帳(A5) リフィルはクリーム色
・Amazonメモパッド 用紙の色は黄色(独特な)
・モーニングページ MDノート これもクリーム色

おそらくですが、自由に書くという視点で、紙は黄色がかったもののほうが適しているのでしょう。
便箋なども、クリーム色が多いですから。
科学的に染められた蛍光灯のような「真っ白」は、「書く」という行為には実は適しているわけではないのでしょう。
それは、「読む」という行為を振り返れば納得できます。
新聞も、文庫本も、古典、文学、・・・紙はやはりクリーム色のような白が多いです。
図表、写真の多く入るビジネス書は純白が多いですね。

そこで、万年筆でも書きやすく、クリーム色のコピー用紙がないものかAmazonなどで検索してみました。

あるけど、異常に高いわけです。

④そして連休が明けて、再び書き始めたときに、相棒となるのはお気に入りの万年筆たち。

いつも、手にした万年筆から、モチベーションを復活させています。
この連休明けも、

や、

が、書くという行為に私を導いてくれました。

2.そして連休最終日の天からの教え~歎異抄に触れること~

連休中も続けてきたのが、モーニングページ。
なぜか、書きながらデスクに横置きされていた「歎異抄」
親鸞の教えを一度は読んだものの、内容すら記憶にとどまっていないことに気づきました。
なんとなく連休を過ごしたなという後悔と反省、そして、このあとのことについて、一度、心を落ち着ける行為が必要だろうと考えた矢先のこと。

これは、天からの教えだろう、とバックに「歎異抄ってなんだろう」を詰め込みました。

そして、日経朝刊をWEB読みしてびっくり。

いきなり、三段広告に「歎異抄」が。

そうだ、読もうと思っていた歎異抄がまだあったことを思い出しました。

まずは、購入済の五木寛之氏の著書。

こちらも、途中までで止まっているのです。

まさにこれ

なんでしょう。この違和感の正体。何が違っているのかということ。
それは、「読書量が減っている」ということだと。

書くこと、確かに大事です。書いてからやるということも確かに大事。
その前に、多くの書物に触れて、脳と精神を整えること、これをおろそかにしてはいけないわけです。

そして、こちらもつながりました。
ノートは横長にトレンドがうつってきているという記事。

「A5を開くとA4」
「コピー用紙横もA4」

そういえば、PC前にして手前におけるのは、ちょうどA4横くらいのスペースでした。

#日経COMEMO  #NIKKEI

たわいもない、連休明けの雑感でした。

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