四国・高松と松山の旅 下
いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
最近、メディミックスの石鹸を愛用してゐます。この石鹸、頭も洗へて、かをりもすごく良いです。肌に合ひます。
数へ年四十三歳を昨夜、サンライズ瀬戸の中で迎へました。生まれた日を高松で過ごし、琴平では金刀比羅宮を参拝しました。
今回は、前回の高松編に続き、松山編をお送りします。どうか、最後までお付き合ひください。
今朝は六時過ぎに目を覚まし、ホテル(チェックイン松山)のサウナに入りました。十分五セットです。
ホテルの窓から、賤ヶ岳の七本槍の一人、加藤嘉明による築城の松山城が見えました。けふは昨日と違ひ、天候はくもりです。そして、少し肌寒い。
二日目のけふは、まづ道後温泉を目指します。車内で、フリーきつぷ(1,900円)を購入しました。
外を見ると、福田定一の小説「坂の上の雲」の宣伝の看板がありました。この人の小説を読むのは、私からすれば時間の無駄です。
若い頃、
「中学生になつたのだから司馬遼太郎くらゐ読め」
といふ説教をするイカれた高齢者がゐましたが、老害発言としか思へません。
私なら、
「乃木将軍を貶める司馬遼太郎なんかを読むくらゐなら、ドストエフスキィをじつくり読むと良いよ。ただし、あなたが読みたいと思つたならね」
と声を大にして言ひます(むしろ、『沖縄ノート』や『広島ノート』を積極的に読ませて頭の中がお花畑になつてゐる人について学ばせるのも手でせうか、なほ、両書の著者であるノーベル文学賞の受賞者も愛媛県の人ですね。)。
なほ、私のライバルである、なつちやんこと浅香のぬま子、もとゐ樋口一葉もドストエフスキィを読み込んでゐました。
道後温泉
車窓に湯築城が見えてくると、道後温泉はすぐです。
道後温泉駅で、坊つちやん列車を撮影し、少し歩いたところにある伊佐爾波神社を参拝しました。
ここは、かつて山部赤人が訪れ、次の長歌を詠んだことで知られてゐます。
この長歌、興味深い点が多く、特に古代においても「湯が湧いてゐた」といふところを面白く思ひます。そして、同じく『万葉集』巻第一に収められた、額田王の八番歌「熟田津に 船乗りせむと…」を反歌で踏まへてゐる点もまた、面白きところです。
階段を登り、射狭庭の岡に立つと、道後温泉の街並みがよく見えます。そして、朱塗りの社殿を参拝し、遠き代から変はらない鳥の鳴く声に耳を傾けました。
御祭神は、神功皇后、応神天皇、仲哀天皇、三柱姫大神にまします。
参拝後、岡を下り、商店街を通つて道後温泉本館に向かつたのですが、なんか様子が変です。十年以上振りなので、わからなくなつてゐるのもありますが、風情のある建物ではなく、悪趣味な色彩の壁が見えてゐます。
…本館は修理中でした。
温泉には入れたので、460円を支払ひ中に入りました。ぬるぬるした高アルカリ性の湯で、肌がしっとりサラサラになります。お客さんは観光で来たと思しき人ばかりでした。
万葉の古へに、斉明天皇や額田王も入られたのでせうか。ストレッチをしながら、遠き御代を偲びました。
湯上がり後、駅に向かひ伊予鉄乗り潰しの旅が始まります。
いにしへの 出で湯たふとし 今入れば 遠き御代をし 思ほゆるかも 可奈子
伊予鉄道乗り潰し
まづは、道後温泉駅から上一万駅で二系統に乗り換へます。列車は民家の中を縫ふやうに走ります。車内には、観光客と思しき人がまつたくゐません。
列車の入り口付近には、俳句の投句箱があります。私は俳句のことがまつたくわかりませんし、興味もありませんので素通りです。
なほ、俳句つながりで正岡子規といふ野球好きが松山出身ですが、私は彼を評価してゐません。「まつのことのはのたのしみ その八」に書いてますので、興味のあるかたはどうぞ。
古町駅に着きました。路面電車と郊外電車が同じ構内にあり、乗り換へが楽です。
ここで乗り換へて、郊外電車、高浜線に乗りました。四両編成の車両、京王線のお古(パーマン)ですが、車内はプロレスリング・ノアなみにガラガラです。
西衣山駅あたりから、JRと並走するやうに線路が敷かれてゐます。しかし、すぐに住宅地の中に入つて行きます。
港山駅を出て、しばらく行くと海が見えてきました。そして、その次の梅津寺駅は駅の目の前が海です。その絶景たるや、JR鶴見線の海芝浦駅に勝ります。某ドラマの撮影地となつたさうですが、興味ありません。
そして、次は終点の高浜駅です。
高浜駅は非常に風情のある古い駅舎でした。
駅前にはフェリー乗り場があります。売店も、最近のコンビニではなく懐かしい感じがします。
高浜駅から来た道を再び通り、今度は横河原線に乗り横河原駅を目指します。列車は先ほどのものと同じです。外国人のバックパッカーが、高浜駅から乗車してきました。それくらゐ魅力のあるところなのでせう。
車内から、再び梅津寺駅の海を眺めました。
バックパッカーの二人は、大手町駅で降りて行きました。都人にとつての大手町と松山市民の大手町は大分違ふものですね。
車窓に済美高校が見えてくると、松山市駅はすぐです。
松山市駅を出て、石手川公園駅では、橋の上にホームがありました。列車はしばらく住宅地を走ります。高松で見られたうどん屋さんの看板は、松山ではまつたく見られません。
松山といへば、夏目漱石の『坊つちやん』ですが、私の拙い読解力ではこの話を都会人である金之助が田舎でひどい目にあつた話しにしか読めませんでした。私自身、島根県出雲市で、坊つちやんほどではありませんが、嫌がらせやハラスメントを受けたので、余計にフィルターがかかつてゐるのかも知れませんが。
イギリスで神経衰弱になるほど繊細な漱石にとつて、松山時代といふのはもしかしたら「黒歴史」なのかも知れませんね。
余談ですが、定期試験の珍解答で、「夏目瀬石」、「茶川龍之介」、「福沢論吉」はあるあるネタです。私は、「論吉」を書かれたことがありますし、政治経済の経済思想家のところで「アダムスミス、ウィルスミス、エアロスミス」を書かれたこともあります。ウィルスミスとエアロスミスには、ケインズとマルクスが入ります。
閑話休題。牛渕駅あたりでは、遠くの家々がまばらになり、山も近くなつてきました。とは言え、まだまだ駅は民家の近くにあります。
見奈良駅前は麦畑がそばにありました。駅名に惹かれます。
車内はガラガラで、私のゐる車両は私一人です。他の車両も二名程度の乗車です。愛大医学部南口駅で三名ばかりの客が下車して行きました。
そして、終点の横河原駅に着きました。
すぐに折り返して、今度は、郡中線に乗り郡中港駅を目指します。再び松山市駅。向かひのホームに郡中港駅行きの列車が待機してゐました。接続時間はわづか二分、すぐに乗り込みました。
この列車もしばらくは民家の中を縫ふやうに走ります。列車と民家が近く、生活感が伝はつてくるのですが、近過ぎて旅をしてゐる感覚ではありません。かと言つて帰宅とか、用事があるわけでもありません。
鉄道乗り潰しは、ハツキリ言つて、「作業」です。そして、その作業を行ふにあたり、数時間に及ぶ時刻表とのニラメツコがあります。ニラメツコも楽しく、現地に来ればそれ以上の喜びもあるのですが…。マア私は、ドラクエやファイナルファンタジーをはじめるとレベル99に上げるまでやり込むので、作業を苦にはしません。
鎌田駅を出て橋を渡ると、民家が列車から遠のきました。車窓にはワークマンも見えてきました。
古泉駅を出ると、車窓に大きな建物が見え、すぐに松前駅に着きます。これは「まつまへ」ではなく「まさき」と読みます。私にとつて「まさき」といへば肥薩線の「真幸」駅がまつさきに思ひ出されます。かうした特殊な読み方は地図や時刻表ではなかなか気が付きませんね。駅舎も古い木造で風情がありました。
新川駅では、車窓右手に遠く海の気配がしますが、ホームからは見えません。近くには、海水浴場があるさうです。
郡中港駅に着きました。これで、伊予鉄の郊外線は全て乗車しました。郡中港駅の目の前には、JR予讃線の伊予市駅があります。
後は、路面電車の残り区間を乗るだけですが、さすがにお腹が空いてきました。松山市駅に戻り、三越のデパ地下で軽食(神戸コロッケ)を買ひました。すると、今回の四国旅行で初めてお遍路を見ました。お遍路がデパ地下で買ひ物といふのは違和感がありますが、マア良いでせう。
松山市駅から、伊予鉄の難所である六系統に乗りました。短時間の乗車で本町六丁目に着きました。そして、ここで五系統にわづか一分で乗り換へ、JR松山駅前に戻つてきました。
無事に、伊予鉄全線完乗です。これで、四国の鉄道は高知県の土佐くろしお鉄道と、とさでんを残すのみとなりました。
しまなみ海道を行く
出発まで少し時間があつたので、松山駅で肉うどんをいただきました。これがまた美味しいけど、美味しい。お出汁の味が、下関駅のうどん(味一)と同じです。
下関駅のうどんの美味しさの秘訣は、海鮮ベースの出汁に、肉の汁が加はつて美味しくなると私の知人のお蕎麦屋さんの方が言つてゐましたが、何にしても美味しいです。
お土産屋さんを冷やかして、時間をつぶしてから、特急しおかぜ24号に乗りました。車両は初めて乗る8600系です。
乗り心地がよく、なかなか格好が良い。古への熟田津といはれてゐる堀江あたりの海が、雄大です。よく晴れてゐて見晴らしが良い。ここから皇御軍が新羅征伐に向かはれたといふのも肯はれませう。ただ、私の考へでは、熟田津はここではありません。機会がある時にこのことは書きます。
しおかぜ24号で、今治駅まで行きました。ここから、しまなみライナーで福山駅まで行きます。
定刻にバスは現れました。
今治で数十名の客を乗せましたが、車内には余裕があり、空席が目立ちました。「瀬戸の花嫁」が流れ、バスは今治駅を出発しました。
バスの窓の外を見ると、左手には線路、右手には住宅街です。西陽が燦々と降りそそぐ中、十五分ほど走ると、バスは高速道路に入ります。そして、大きな橋が見え、車窓右手に瀬戸の海が広がります。左手には船のドックが見え、遠くには大小の島々と共に海。橋を渡つてゐるときは、天翔ける心地がします。
橋の上を自転車で走り抜けてゐる人もゐます。けふはとても心地が良いものでせう。倉木麻衣さんの「風のららら」が似合ひます。
瀬戸の海に かかるみ橋の 上に見ゆる 神生みたまふ 小島大島 可奈子
島の景色もまた面白きもので、豊かな木々と、その隙間に建てられた家々、ビルや大きな施設のない鄙びた景色。ここに住んだことはありませんが、妙な懐かしさを覚えます。
たまに見せるドックも、この地の生活感が出てゐて、決して不自然ではありません。
そして、陽が傾き出し、海が照らされると、「瀬戸は日暮れて 夕波小波」といふ一節がまざまざと感じられます。
日の暮れに 瀬戸の海路を 越ゆる日は 幸く帰らむ 波立つなゆめ 可奈子
途中、何度かバス停を通過しましたが、乗客はゐませんでした。伯方島バス停の近くには、ローソンやエネオス、見たことがないドラッグストアがあり、一瞬だけ都会に戻されます。伯方の塩を使つて作るラーメンがあるのか、その看板もありました。
大三島大橋を渡つたときは、まるで大きな川を渡つてゐるやうに錯覚しました。
大三島 海にいかかる この橋を 渡る日に見る 夕べかなしき 可奈子
大三島バス停で、三名の乗客がありました。出発してすぐ、多々羅大橋を渡ります。時間は十七時になつたばかり。沖の小島に波の寄るのは見えないけれども、渚こぐ海人の小舟の綱手はかなしきものです。瀬戸の海をわたる船人は梶をたえることなく、無事に家に帰るでせうが、私は無事にけふ中に都に帰れるものでせうか。といふのも、列車運行状況を確認したところ、新幹線が遅延してをり、どうなるのかわからないのです。
生口橋を渡ると、橋の下にエディオンがあるのが見えました。尾道まであと十七キロ。少しずつ、日常に戻されていきます。他にも、中古車販売店や、工場も増えてきます。生活感が増してきました。
因島大橋を渡ると、徐々に空も明るさが少なくなつてきました。
旅が終はる私の悲しみを表すやうに、薄暗くなつてきます。向東バス停で、二人ほど下車して行きました。車窓には、広島銀行やホームセンター、高い建物も見え、生活感が溢れてゐます。それと同時に、寂しさも増してきます。
しかし、しまなみ海道を帰り道にしてよかつた。
次は終点の福山駅前です。橋の下に山陽本線の線路が見え、いよいよ本州に入りました。夕暮れの鞆の浦に行くのも良ささうですが、時間的余裕がないので帰ります。それに、新幹線に乗れるか否か、心配です。しかし、杞憂に終はりました。十七時四十分ころ、確認したら平常運転に戻つてゐました。さすが、新幹線。
私は心配性で、細かいことをすごく気にしてしまひ、ストレスを感じることが多いのですが、「大丈夫、どうにかなる」ともつと思へるやうにしたいものです。仕事でも、他の職員から「大丈夫」と言はれたことでも、やたらと気にしてしまひ、ソワソワしたり、過呼吸になつたりします。しかし、心配して悩むのも自分だから、なりたい自分になること以上に、苦手なことや短所がある自分をまづ許すやうにすることがなによりと考へてゐます。
芦田川を渡り、定刻より少し遅れて福山駅に着きました。駅前のさうびが色とりどりの花を付けてゐて見事です。さう、福山は薔薇の街です。前回、駅のおそば屋さんで福山らーめんなるものを食べましたが、食欲がありません。のぞみ54号が来るまで余裕があるので、駅前を散策してゐました。
かつて、福山駅から鞆駅まで行く、鞆鉄道といふものがありました。しかし、すでに廃線になり、ともてつバスといふ社名にその名残をとどめてゐます。
終はりに
十八時半ごろにホームに行くと、こだま862号が出発を待つてゐました。レールスターの車両です。
こだまが行き、間もなく、博多方面に向けてドクターイエローが通過して行きました。ドクターイエローを見ると幸運が訪れるとか。
「ハハ、まさか」
もし、幸運があるとしたら、電撃婚。私に告白してくれる、勇気と見る目のある方はゐるのでせうか…。それこそ、「ハハ、まさか」です。私が憧れる浅田真央ちやんですら、「結婚は無理」と言つてゐるのを見ると、私では不可能でせう。それにしても、真央ちやん、美人だナア…。
恋愛をするのに、私は傷付き過ぎてゐるのかも知れません。
ちなみに、ドクターイエローを見るのは、けふで二回目です。前回は十数年前、大分県の帰りに姫路駅で見ました。
そして、四十一分、定刻にのぞみ54号は福山駅のホームに入線しました。後は帰るだけです。
電車に乗りつ放しの旅も疲れますね。明日から日常に戻りますが、朝起きられるかどうか…。そんなことを考へてゐるうちに、間もなく東京駅です。今回の旅で、かなりお金を使つてしまひました。なので、職場などへのお土産は一切ありません。マア、それも私らしさです。アンテナショップで買ひに行つてもバチはあたりません。といふより、私は厄年同様、バチの存在を信じてゐません(バチがあるなら、祖国を貶める大江健三郎などには天罰が下るはずですが…)。
ところで次の旅行ですが、おそらく夏になることでせう。鹿児島か、それとも広島・高知か。
最後までお読みいただき、ありがたうございました。(了)
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