見出し画像

奥出雲・再会の旅 下

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。

 五月三日。この日、私は鳥取駅北口のスーパーホテルにて一夜を明かしました。スーパーホテルは静かで良いですね。落ち着いてゐられますし、よく眠れます。そして、朝ごはんも美味しいです。

 前回は、久し振りの島根県。奥出雲おろち号との再会、そして別れとなりました。

 今回は、ただ列車に乗つて東京に帰るだけの内容です。「阿呆列車 はまかぜ4号」といふやうな内容です。

 どうか、最後までお付き合ひください。

路線バスの旅

 よく晴れた一日。朝八時にスーパーホテルを出た私は、すぐに鳥取駅のすぐ近くにあるバスターミナルに行きました。目的のバスは、日本交通の若桜車庫行きです。バス停に停まつてゐたので、すぐに乗りました。八時十五分に出発。乗客は私をふくめて三名でした。若い男性が二名、学生でせうか。

 バスの景色は鉄道とは違ひ、より街と人に近いものがあります。そして、バスの視点から鳥取の街を見ると、人はゐるけどゐないやうに見えます。途中、雲山バス停で二名の若者が乗車しました。車内は私を含めて五名になりましたが、マスクを着けてゐるのは私だけです。それからちょくちょく乗つてきますが、皆、若者です。大学生くらゐでせうか。
 津ノ井駅前で、二名降りて行きました。各々が各々の用事を済ませてゐるだけなのでせう。そして、環境大学前で、二名の真面目さうな子が降りて行きました。彼らは鳥取環境大学の学生なのでせう。
 環境大学前バス停あたりから、景色に緑が多くなつてきました。
 郡家駅前バス停では、大量に荷物をもつた若者が降りて行きました。ノロノロと間の悪い若者で、支払ひに手間取つてゐました。また、このあたりには寺山古墳といふ古墳があるやうで、気になります。

 どうやら、火災があつたやうで、バスは八頭町本庁舎前バス停を通過しました。さすがに、八頭町に入ると、景色が田舎になります。木々が豊かになり、民家も減りました。
 下徳丸口あたりの車窓は、川があり、山があり、見事なものです。しばし、眺めてゐました。また、構へが立派な民家もいくつか見られました。地域の有力者でせうか。

バスの車窓

 道の駅はっとうでは、レンタルバイクを行つてゐるのがちらりと見えました。

 若桜町に入り、古い街並み通り抜けて、若桜駅前バス停に着きました。
 およそ一時間の乗車でした。ここで乗客は全て降りて行きました。最後は私と私に似た若い女性でした。

若桜鉄道

若桜鉄道若桜駅

 さて、若桜鉄道(旧国鉄の若桜線、現在は第三セクター)の若桜駅に行くと、これが風情のある木造の良い駅舎です。そして、内装も整へられてをりお洒落です。

若桜駅

 しかもきつぷは、硬券。いろいろとすごい。

硬券きつぷ

 さらに、車両は水戸岡鋭治のデザインしたソレでした。Wi-Fiまでつながるし。ボックスシートはふかふかです。

 「若桜鉄道。三セクなのに、うーん やるねェ」(戸愚呂弟風)

参考 戸愚呂弟
若桜駅

 若桜駅には蒸気機関車や12系客車も保存されてをり、見てゐて楽しいものです。

若桜駅
若桜鉄道 車内
若桜鉄道 車内
若桜鉄道 車内

 九時二十六分、鳥取駅に向けて出発しました。以前、若桜鉄道は因幡船岡駅まで駅近くの船岡美人温泉に入るため、来たことがありましたが、それより先は行つたことがありませんでした。
 若桜鉄道はいはゆる盲腸線なので、完乗を目指すと必然的に往復になるのですが、それもつまらないのでバスを利用しました。

 バスとほぼ同じ道をたどるのですが、さつきと視点が変はつて面白い。車窓右手に、岩肌が剥き出しの山があり、豪快です。

若桜鉄道 車窓

 私の勤務先は、都内でも自然があるところですが、それ以上に自然がある環境に来るのは癒されます。まつたく人間の生活感がないのは恐怖心を覚えますが、ほどよく人間味が残る景色は安心感があります。若桜鉄道の景色はまさにそれです。
 果物を育ててゐると思しきビニールハウスが見えてくると、梨が食べたくなりますね。

 板敷のホームに質素な駅舎の徳丸駅も、田舎特有の落ち着きがあつて良いです。
 八東駅は、ホームにある木造の待合室が当時を偲ばせてくれます。
 車窓では、時折、民家の庭先に咲くつつじの花が見事です。色とりどりに咲き、思はず見惚れてしまひます。
 安部駅も古い駅舎です。木製の改札が、ホームの待合室、どれも良いです。
 隼駅も古い駅舎で、駅舎の横には鉄道展示館もありました。オロ12 6がホームにゐました。

若桜鉄道 車窓

 若桜鉄道は、木造の風情ある駅舎が多く、車窓以上にそこも気になります。最初に訪ねたのは二十代前半の頃です。当時は特に何も感じませんでしたが、年と共に感じ方や印象は変はるものですね。
 因幡船岡駅に着き、若桜鉄道を完乗しました。
 川を渡ると八頭高校前駅。八頭高校は、そこそこ野球の強い学校です。柔道部もそれなりに強く、私が勤めてゐた出雲市内の高校まで遠征に来たことが何度かありました。明るい、感じの良い監督さんでした。

 郡家駅に着きました。「こおげ」と読みます。ここで、しばらく停車し、車掌が検札に現れました。
 ここからは若桜鉄道ではなくJRの因美線になります。
 タイガースの帽子を被つた少年が、親子で鉄道の話しをしてゐて聞き耳を立ててゐました。猛虎魂を感じる良い子です。将来が楽しみです。おーん。

 特急スーパーはくとを先に行かせ、さらに次の特急スーパーいなばと交換し、十時二十分に出発しました(後ろの列車が鹿と衝突したさうです、鹿が心配です)。タイガースの少年は、デジカメでスーパーはくとの写真を撮つてゐました。

鳥取の街

鳥取城跡

 無事に鳥取駅に帰つてきました。次の列車まで時間があるので、鳥取城まで行きました。駅前から、コミュニティバスくる梨に乗り、まづは鳥取県立博物館を見に行きました。現代美術には関心がなく、化石や生物に見入りました。オホサンセウウヲもゐました。のぺーっとして可愛い。
 事故にあつた生物の展示は、思はず涙が出ました。生き物が平和に暮らせる自然環境であつてほしいものです。

 秀吉に対する怨念渦巻く?と思はれる鳥取城を歩き、街中の唱歌の碑を楽しみました。これらの碑は、鳥取出身の作曲家、岡野貞一に由来するものです。

ふるさとの曲が流れます。

 「ふるさと」の歌詞は、「こころざしをはたして いつの日にかかへらん」といふ点が苦手です。こころざしを果たさないと帰ることができないのでせうか。少し厳しく感じます。も少しゆるい方が良いです。

ふるさと歌碑

 しかし、その他の自然の描写はとても美しい。

 また「朧月夜」の二番の詩は、視覚から一転して聴覚(蛙のなくねも かねの音も)への転換が面白いものです。

 再びバスで鳥取駅に帰ると、改札前は人だかりができてゐます。ゴールデンウィークで帰省する人を待つてゐるのでせうか。日本海テレビのカメラマンとリポーターもゐました。
 彼らを尻目にホームに行くと、早くも特急はまかぜ4号(キハ189系)は私を待つてゐました。けふは六両編成です。

特急はまかぜ4号

特急はまかぜ 鳥取駅

 反対側のホームに、特急スーパーいなば5号が少し遅れて入線してくると、はまかぜ4号も発車しました。これから大阪駅まで四時間八分の旅が始まります。私の乗つた三号車は、数名の乗客がゐます。ネットの情報で、1番A席(一番エエ席)にすると良いとありましたが、なるほど、納得しました。コンセントが車両の前と後ろにしかないのですね。

はまかぜ車内
はまかぜ座席(1番A席=一番エエ席)

 定刻に発車したところで、昼食です。アベ鳥取堂のかにめしです。かに寿司を買ふ人が多いでせうが、私は酢が苦手なのと、酢が強過ぎてかにの味が死んでしまつてゐるのが嫌なので、かに「めし」にします。食べてみたら、マア美味しい。
 牛骨ラーメン、かに、白バラ牛乳と鳥取にまつはるものは三つもいただいたので満足です(大抵のものは鳥取のアンテナショップで買へるので問題なし、ヨシ)。

かにめし
かにめし

 まづは岩美駅に停車しました。岩井温泉の近くです。客の乗り降りはなく、すぐに発車しました。しばらく走ると、やつと日本海が見えました。山陰の海は、太平洋に比べて重く暗いといふことを誰かが言つてゐましたが、晴れた日はまつたくそのやうなことはありません。特に、今日はとても美しい。

はまかぜ 車窓

 東浜駅で普通列車と交換すると、海から離れて行きました。TWILIGHT EXPRESS 瑞風が停まるといふので、整備されてゐます。瑞風も乗つてみたい。

 秘境駅で知られる居組駅の手前で列車は兵庫県に入ります。居組駅は、何もない駅で一瞬で通過して行きましたが、その一瞬でも何もないことを確認できました。

 かにと温泉で知られる地域がしばらく続きます。まづは浜坂駅。ホームにも駅前にもかにと温泉の宣伝が盛んです。湯村温泉、行つてみたい。ここからバスで二十分ださうです。

 車窓には、山の中に自生する藤の花が美しく、巨木にまとはりついて咲いてゐる姿に息を飲みます。さて、久谷駅の次は餘部駅ですが、ここははまかぜのハイライトでせう。
 九谷駅を通過して、四六〇〇メートルものトンネルをくぐり抜け、しばらく走ると、にはかに速度を落としました。そして餘部駅を通過して、いよいよ橋を渡ると日本海の絶景が見事です。

餘部駅
餘部駅 海が青くて美しい。

 今では、橋の上を一部歩けるみたいですね。楽しさうです。また、近くには道の駅などもあるさうですね。

 次の鎧駅は、青春18きつぷのポスターになつたこともある駅で、ここにも人がたくさんゐました。

鎧駅
鎧駅

 香住駅もかにで有名です。改札口の上に、大きなズワイガニの模型が展示されてゐます。街は砂州の上に作られたことで知られてゐます。ここで、前の席に頭髪の不自由な老人が座りました。
 ここからしばらく海岸線を走りますが、トンネルを出たり入つたりで車窓が落ち着きません。海が見えたと思つたらトンネル、抜けたらまた海が見えて…を繰り返してゐるうちに海が遠ざかり、竹野駅に着きました。車内はガラガラです。三号車は私含めて四名です。
 次は、山手線に轢かれて怪我をした志賀直哉が湯治をした城崎温泉です。その時のことを『城の崎にて』に記してゐますが、国鉄側からすれば迷惑な話しでせう。私も山手線に轢かれてはゐませんが、城崎温泉に数回行きました。

 温泉は、よくあたたまる湯です。ただし混合泉なので、街の中の浴場巡りをしてもどこも似たやうな感じです。川の辺の青柳が風情があるのが良いですね。

 城崎温泉駅では、隣のホームに特急きのさき18号・京都駅行きが停まつてゐました。ここで、初老の外人さんと、地ビールを片手にもつた青年二人組が乗つてきました。

はまかぜ 車窓

 列車は城崎温泉駅を出ると、円山川沿ひをしばらく走ります。私は無性にコーヒーが飲みたくなつたので、缶コーヒーを開けました。次の豊岡駅は、かばんが名産品です。

 豊岡駅と江原駅の中間にある国府駅は、但馬国の国府でせう。過去の中心地をはまかぜは停車することなく通過して行きました。
 江原駅は、かつて出石鉄道といふ路線の始発駅でした。しかし、車窓からはその名残を見付けることはできませんでした。ここで、列車の交換のため、しばらく停車しました。一号車と二号車は十人以上の乗客がゐたのですが、私の乗る三号車は私含めて五名でした。ビールを飲む若者も静かにスマホを眺めてゐます。

はまかぜ 江原駅

 車窓もこのあたりから観光的な景色から日常生活的なものへと変化してきました。八鹿駅を経て、和田山駅に到着。この駅は、往時を偲ばせる遺構が残つてをり、興味深いものがあります。ここから播但線に入ります。
 和田山駅の次は竹田駅です。ここは、嘉吉年間に築城されたとされる竹田城で有名です。雲海がかかると見事な景色になることは、報道等でよく知られてゐませう。しかし、列車からその姿を見ることはできませんでした。

 列車は四分遅れで運行してゐます。
 竹田駅を出て、次は生野駅。かつて銀山でにぎはひました。私は、生野といへば平野國臣を想起します。なかなか優れた歌を詠む人で、いつか彼のことを書いてみたいと思つてゐるのですが、ネタがありません。
 ところで、播但線は阪神淡路大震災で東海道山陽本線が不通になつた際に、三ヶ月間にわたり迂回路として用ゐられました。地方のローカル線はこのやうにいざといふ時に役に立つのでせう。
 しばらく森の中のやうな道を行きます。渓流と山々が美しい。川で遊ぶ少年、木々にまとはる藤の花、渓流を離れると田んぼが現れ、また森の中に入り…。車内では席を向かひ合はせにしてゐたビールを飲む青年が、何やら車掌に注意されてゐました。そして、寺前駅に着きました。
 のどかな車窓を眺めてゐたら、福崎駅に着きました。ここは柳田國男の生まれたところで、生家が近くにあるさうです。

 次は播但線の終点である姫路駅です。車窓右手、遠くに姫路城も見えてきました。知らない間に姫路駅がすごいことになつてゐました。

 姫路駅から山陽本線に入り、進行方向も変はります。久し振りの山陽本線です。播但線とはうつて変はつて都会の景色になります。加古川を渡れば、徐々にビルも多くなつてきます。景色は単調であまり面白くないです。しかし、明石駅を発車すると、『万葉集』にも詠まれた明石の海、そして明石海峡大橋も見えてきます。はまかぜ4号はエンジン音を響かせて、軽快に山陽本線を飛ばしますが、たぶん新快速の方が速いです。
 須磨の浦の景色が、はまかぜ最後の絶景でせう。

はまかぜ 車窓

 津の国の海といへば、かつての恋人に次の歌を送りました。

 武庫の海の 浦吹く風に 言伝てむ わが背の君は ありやなしやと 可奈子

懐かしいものです。

はまかぜ 車窓

 列車は神戸駅に停まりました。車窓の左手には大楠公をお祀りする湊川神社が鎮座してゐますが、私の座る席からは見えません。

 神戸駅の次は三宮駅。あの人と「恋人」として最後に会つた場所です。駅で別れ際に私が精一杯背伸びして握つた手を、その人は恋人つなぎにしてくれました。つれない人でしたが、その人なりに私のことを好きでゐたのだと今でも思つてゐます。遠い古へのことです。

 そして、その人との「再会」は…絶対にないでせう。

 長い乗車を終へて、列車は無事に大阪駅に着きました。ほぼ定時でした。はまかぜは、以前から乗りたかつた列車なので、乗れて満足です。しかも、鳥取駅から大阪駅まで。

特急はるか42号からのぞみへ

 大阪駅から関空快速に乗り、天王寺駅まで移動しました。ここから、今まで一度も乗つたことがなかつた特急はるか42号に乗ります。
 私は、この「はるか」といふ愛称がすごく好きです。『源氏物語』に、

 はるかにも 思ひやるかな 知らざりし 浦よりをちに 浦伝ひして

といふ歌があり、「はるか」といふ表現の音の響きの良さにも心を動かされます。

 さて、今回乗るのははるか42号です。この列車は今年の三月に開業した大阪駅うめきたエリアを通過します。そこを乗るのも目的の一つでした。

特急はるか 天王寺駅
特急はるか 281系 座席

 キティちゃんのラッピングが可愛いですね。車内もキティちゃんが各所にゐます。
 関西国際空港から出発してゐるだけあつて、外国人の乗客も多いです。

特急はるか ラッピング

 過去には、車内結婚式プランもあつたやうです。マア、私にはかなはぬことですが。しかし、心のどこかにまだ諦め切れないでゐたりします。
 天王寺駅を出発ししばらくすると、咲くやこの花高校といふ面白い校名の学校が見えました。これは王仁が作つたといはれる、

 なには津に 咲くやこの花 冬こもり 今は春へと 咲くやこの花

の歌にちなむのでせう。なほ、この歌は和歌の手習ひのはじめに覚えるものでした。良い校名ですね。茨城県の美乃浜学園と同じく、歌に出典があるのが好ましい。

特急はるか

 地下にある大阪駅うめきたエリアを通り、乗りたかつた路線にも乗れました。ここから京都駅まで、夕暮れの大阪、京都の街を静かに眺めてゐました。
 定刻に京都駅に到着しました。281系と271系が連結されたはるかだつたので、両方とも写真に収めました。

特急はるか
特急はるか 281系

 はるかのこと、好きになりました。

特急はるか 271系
特急はるか 271系 ラッピング
特急はるか 271系
特急はるか 271系 車内

 京都駅から、のぞみ46号で東京駅に帰りました。電車に乗りつ放しといふのもそれなりに疲れるものですね。
 そして、隣の席の人。狭いのに股を広げて座り、寄つてくる。しかも、臭い。かういふおつさんは本当に迷惑なので勘弁してほしいものです。

 無事に東京駅に着き、すぐに山手線に乗り換へ鶯谷駅に向かひ、陽だまりの泉 萩の湯でサウナに入りました。

ゴミの日

 ところで、五月三日は字面があらはすとほり、ゴミの日です。ところで、ゴミとは何でせうか。国際法違反を行つた野蛮きはまりないGHQが一週間で作つた日本国憲法です。ゴミだけに早く捨て去つて(改正手続きを経て)、一日も早く帝国憲法に戻すことが必要と私は考へてゐます。わが国の国柄(國體)に合ふのは、どう考へても帝国憲法だからです。
 なほ、大日本帝国憲法の正しい略称は帝国憲法であつて、決して「明治憲法」ではありません。宮沢俊義といふ憲法学者が作つた用語を、まともな日本人なら使つてはなりません(故・渡部昇一といつたいはゆる保守論客さへ「明治憲法」を使つてゐるところが悲しい)。
 以下の書は、参考までに。

 旅から帰つて二日後の五月五日。靖國神社参拝の帰りに、馴染みの神保町にある覆麺・智に行きました。

 誕生日が近いといふことで、たくさんトッピングしていただきました。マスターそして妹のSちやん。ありがたう。感謝!

覆麺・智の醤油ラーメン

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。(了)

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?