まつのことのはのたのしみ その十
新しき 年のはじめの 初春の けふ降る雪の いや重け吉事 大伴家持(『万葉集』巻二十・四五一六)
新しい年が始まりました。新年といひましても、わづらはしい年賀状や仰々しい挨拶など、あまりめでたいものと思へず、むしろ面倒とさへ感じてゐます。
今年こそ、デフレを脱却し、全うに生きてゐる人が報はれる世の中になつてほしい。そして、なによりも今年も天子様が御無事で真幸く坐しまして欲しい、さう願つてをります。
新しき 年のはじめに すめろきの 真幸く坐せと 言祝き奉る 可奈子
いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
福井県といつたら、皆さんは何を思ひ起こしますか。ソースカツ丼ですか。それとも郷土の先哲・橋本景岳先生ですか。または、東尋坊や平泉寺白山神社など、名所ですか。
私は、福井県といつたら、偉大な人物、歌人の一人として、橘曙覧先生をただちに思ひ浮かべます。
その福井県では面白い試みがなされてゐます。上に挙げた橘曙覧先生には、「独楽吟」といふお歌が五十首あまり遺されてゐます。
楽しみは 朝起き出でて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見るとき
といつたやうに、「楽しみは」で始まり、「とき」で終はる歌です。この「独楽吟」を、福井県の小学校や中学校では児童、生徒に教へ、実際にそれぞれの「独楽吟」を作つてみるさうです。とても素敵な試みですね。
まづは、このかたちから歌を作つてみてはいかがでせう。
手前味噌になりますが、以前、私が勤めてゐた学校でのことを紹介しませう。この学校は、通信制高校で、中学時代に不登校だつた子が多く通つて来てゐました。私は当時、そこの高校の一年生に現代社会を教へてゐました。
ある日、そのクラスの女子生徒Mさんが、私が和歌をやつてゐることを知り、私に、
「先生、私に歌を送つてください」
と言つてきました。そこで、その翌日、彼女に私の歌を二首送りました。すると、しばらく経つて彼女から次のやうな返歌がありました。
たのしみは 社会の授業 先生の とても楽しい はなし聞く時
これはとてもありがたく、嬉しいことでした。私は、ミニマリストで大抵のものを断捨離しましたが、今でも、これを大切に保存してゐます。
後に、歌を贈ることをお話ししますが、歌はいただくと嬉しいものですし、中学時代、学校にあまり通つてゐない子でも歌(和歌とは言ひ難いですが…)を作れる。みやびで、純粋な大和心がわづかでも伝はつたことも、お互ひの心が「ぬくぬく」になつたことも、ありがたく、貴いことでした。
和歌は、国民の共有財産です。それは日本国民に限らず、和歌に興味がある外国人にも開かれてゐます。私は外国語に疎いので外国の方にこの内容をお話しすることはできませんが、我が国に興味、関心ある外国の方に「クールジャパン」の一つとして知らせてあげたいものです。
最後までお読みいただき、ありがたうございました。今年も、読者の皆さまが「ぬくぬく」になる作品を目指します。(続)
また、福井県に旅行された際は、敬虔なお心で平泉寺白山神社を参拝されるのも素敵ですが、橘曙覧記念文学館を訪ねてみるのもおすすめです。
宣伝になり恐縮ですが、『日本』令和五年正月号、及び『維新と興亜』十六号に書かせていただきました。ご一読いただけたら幸甚です。
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