見出し画像

週末パスの旅 上

1.序言

 某年某月某日に、週末パスを使つて南東北を旅しました。
 週末パスとは、土日に以下の区間が乗り降り自由になるフリーきつぷで、別途特急券を買へば新幹線や特急などにも乗れます。


週末パスのフリーエリア


 以前は、土日きつぷ、またはウィークエンドパスなどと称され、特に前者は18,000円と値は張りますが、四回まで特急の指定席を利用することができました。さらに当時は、急行能登号や寝台特急あけぼの号が走つてゐたので、前者は自由席で上野から直江津。後者は酒田から上野までゴロンとシートといつたやうな利用方法もできました。特にあけぼのはよく利用しました。

参考 なつかしの寝台特急あけぼの号

 週末パスになつてからは、今回で二度目の利用になります。
 前回の使用は、ちやうど五年前。新宿から特急あずさ号で松本まで行き、アルピコ交通に乗り、さらに長野から長野電鉄に乗りました。湯田中では温泉にも入りました。長野から新潟までのんびり各駅停車で移動し、新潟駅前のネットカフェに泊まりました。翌日は、米坂線に乗つて米沢まで行き、そこから山形鉄道、さらに阿武隈急行、仙台空港線、仙石東北ライン、さらに仙台の地下鉄に全線乗車し、はやぶさに乗つて帰りました。
 今回は、前回行つた乗つたことがない路線の乗りつぶしとは違ふ内容です。

2.只見線

 始まりは、上野駅です。六時十四分発のとき301号で、新潟方面を目指します。天気は、曇。梅雨の時期なのに、本当に恵まれました。これから乗る路線のことを考へ、駅のコンビニで食料を多めに買つておきました。
 退屈な新幹線の中、私は読書をして過ごしてゐました。車窓を気にしないまま、七時三十五分。最初の乗り換へ駅である浦佐駅に到着しました。初めてこの駅に降りましたが、「どうしてこんなところに新幹線を停めたのだらうか…」といふのが第一印象です。岐阜羽島駅などと同じく、疑問に思ふ駅でせう(マア、政治的なアレです)。

 ここから、七分間の接続時間で信越本線に乗り換へて、小出駅に向かひます。小出つて…さう、まさかの只見線です。只見線はこれで三回目になります。七時五十八分。無事に只見線の車両に乗り込み、列車は小出駅を出発しました。キハ110系の二両編成で、私の好きな気動車です。乗客はこの時点で六人です。小出から只見はゆつくり走るので、少し眠くなります。陽も出てきました。

小出駅とキハ110系
キハ110系車内

 今朝の朝開 山を越え来て 越の国の 魚沼山に 霧たなびけり 可奈子

 只見駅から、会津川口駅までの一部区間が大雨の影響でバス代行になつてゐます。一日も早い復旧を…と願ひますが、どうやら今年の十月一日に復活するさうです。
 只見線の景色は抜群です。秘境といふか、田舎の中の田舎といふべきか(沿線の方、申し訳ありません)。同じやうな路線で、かつてあつた三江線(島根県の江津と広島県の三次を結ぶ路線)を思ひ出しますが、三江線は江の川沿ひの谷間をノロノロと走るのに対し、只見線はもつと深い深い渓谷を走つてゐるやうに感じられます。そして、島根県の方々には申し訳ないのですが、只見線の方が生活のにほひといふか、人の気配が感じられます。特に、会津坂下駅から会津若松駅間や、小出駅からしばらくの間はさう感じられるでせう。
 入広瀬駅あたりはまだ民家も多く見えます。そして、越後須原駅あたりから徐々に山が深くなつて行きます。大白川駅のあたりはどう見ても渓谷です。

大白川あたり

 只見線といへば、かつて存在した田子倉駅をいつも思ひ浮かべます。「ここで降りたらどうなるんだらう…。」そんな駅です。今はもう廃止されましたが、当時もハイキング客などが稀に利用する駅だつたさうです。車内から廃駅となつた田子倉駅を探しましたが、すぐに通り過ぎてしまひわかりませんでした。九時頃、車窓右手には一瞬、ダムが広がりますが、すぐトンネルに入つてしまひました。真冬に只見線に乗つた時は、その雪の深さに驚いたことがありました。さすがにこの時期は新緑が美しい。気付いたら只見駅に着きました。

少しだけ見えたダム
只見駅

 只見駅から代行バスに乗り、会津川口駅まで来ました。通算で三回目の只見線ですが、代行バスは今回を含めて二回あります。最初に乗つたのが十七年前ですが、その時は土砂崩れの影響でした。
 会津川口駅に到着。会津川口駅の近くに温泉があるさうですが、大雨の影響で営業はしてゐないと駅の売店の女性が言つてゐました。なので、彼女のアドバイスに従ひ三キロ先の会津中川駅近くにある中川温泉まで歩いて行きました。ギョサンで歩きづらく、かつ汗だくになりながらも、素敵な景色を堪能しました。

すごい!

 中川温泉は、源泉かけ流しでそれなりに熱い。受付のおじさまが、「結構、熱いので、ホースで調整してくださいね」と言つてゐました。そのお言葉の通りでした。紅茶のやうな色の湯で、いかにも効果のありさうな湯です。けふはちやうど私一人で、お風呂を独占させていただきました。三分入ると、汗が溢れてきます。ホースの水で体を冷やし、少し休んでからまた入る…しばらく繰り返したら、とてもサツパリしました。

 十二時三十四分、会津中川駅から再び只見線に乗りました。車両はキハ120系の二両編成です。途中の早戸駅は秘境駅で知られてゐるやうに、まさに秘境です。そして、会津坂下駅に近付くと、景色が開けてきます。磐梯山が見えてくると、いよいよ会津に来た気になります。

キハE120系
すごい!

3.さらに北へ

 順調に乗り継いで、会津若松まで来ました。短い時間の接続で磐越西線に乗り換へ、郡山を目指します。E721系の車内はそこそこ混雑してゐます。さういへば以前、あいづライナーに583系を用ゐてました。晩年には快速ムーンライト東京号などで運用されてゐたことを思ひ出します。乗りたかつたナア。急行きたぐに号が定期運用されてゐた時に何度か乗りましたが、あの、寝台にもなる広いボックスシートが好きでした。もちろん、狭苦しい三段式のB寝台も好きでした。
 ところで、『万葉集』の東歌には会津の歌も残されてゐます。

 会津嶺の 国をさ遠み 会はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね (巻十四・三四二六)
 (会津嶺の国が遠くて会へなくなつたら、偲ぶよすがにしませう。紐を結んでください)

 会津嶺とは磐梯山でせうか。詳しいことはわかりません。

磐越西線の車窓

 車窓右手には猪苗代湖、左手に磐梯山。途中、磐梯熱海温泉が湧きます。大学四年生の夏に入りに来たことがあります。
 そして、福島駅に到着しました。疲れが出たのか、少し眠かつた。ここから二度目の乗車になる福島交通飯坂電車で飯坂温泉に行きます。前回、飯坂温泉を訪ねたのは、十五年くらゐ前です。飯坂温泉は日本武尊が入湯されたといはれ、さらに西行も立ち寄つたとか。『おくのほそ道』の旅で芭蕉も訪れましたが、持病が再発し散々な思ひをしたさうです。

飯坂温泉駅

4.芭蕉と平泉澄先生

 『おくのほそ道』の著者はいふまでもなく、芭蕉です。彼のみちのくへの旅は、ちやうど、梅雨の時期でした。

 そして、平泉澄先生は『芭蕉の俤』(錦正社)といふ書を著して芭蕉を顕彰してをられます。何故、国史学者の先生にして芭蕉なのでせうか。それには、時代背景について考へなくてはなりません。『芭蕉の俤』が書かれた当時、わが国は敗戦後の「いばらの道」を歩んでゐました。そして、戦時中は戦意高揚を煽つた連中がアメリカや共産主義に迎合または転向し、祖国を一転誹るやうになりました。さらにアメリカ軍によつて言論が厳しく統制される中、先生は国史上の敗者である源義仲に同情し、「歴史を呼吸」した芭蕉に思ひを寄せられたのでした。つまり、義仲は敗戦後の日本です。歴史家の多くは、義仲を誹る中、芭蕉は義仲に同情し、さらに義仲の墓の隣に自身も葬られることを希望したのでした。

 わが国も同じでせう。勝つてゐる時は勝ちに乗り持ち上げられ、戦後、一転して「天皇制廃止」だ、「侵略戦争」だなどと罵られ、苦しい道を歩まねばなりませんでした。さういふ中で、芭蕉のやうな具眼の士とその情のある態度と志操を望まれたのでせう。詳しくは、『芭蕉の俤』をお読みください。


 その芭蕉を私の歌集である「鶉鳴歌集」に次のやうに詠んで残してゐます。

 草まくら 旅行く君の 俤を 見る心地する みちの奥かも 可奈子

 さて、私は飯坂温泉駅近くの公共浴場・波来湯(300円)に入浴後、すぐに福島駅に戻りました。温泉は、くせのないアルカリ性の湯で、クーラーで冷えた体と疲れた足を温め、癒すことができました。お肌もつるつるです。

 再び福島交通で福島駅に帰り、各駅停車でのんびり…と計画してゐたのですが、今度は新幹線で仙台に向かひました。ここからさらに仙石線に乗り、本塩釜駅まで向かひます。今日の宿です。
 さすがに、けふは疲れました。ホテルに入るなり、すぐに寝てしまひました。なほ、ここまで悪名高き701系に出会ふことはありませんでした。私は701系をそこまで嫌つてはゐませんが。
 今回もお読みいただき、ありがたうございました。(続)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?