思ひ出夜行 ムーンライト八重垣
いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
ヒラメ職員に振り回され、かつ誰も読まないやうな無駄な資料の作り直しなどに疲弊し、生きる気力さへ失ひつつありますが、今回も思ひ出の夜行列車について書きます。どうか、最後までお付き合ひください。
私の若い頃の旅を振り返ると、多くの夜行列車に乗つて各地を巡つたものでした。しかし、ある時期からオリオンツアーやウィラーエクスプレスなど格安の高速ツアーバスが現れ、私自身のお財布事情から、それらを使ひながら旅行をするやうになりました。
年を重ね、体力も衰えると同時に、夜行バスがしんどくなつてきました。今では、夜行バスもあまり乗らなくなりました。翌日に疲れが残るし、バスの中で眠れないと辛いんですよね。最大のきつかけは、瀬戸内を旅行した際に乗つたバスでした。以下の「瀬戸内の旅」をご参照ください。
そして、気が付けば夜行列車も姿を消して行きました。
ムーンライト八重垣
姿を消した夜行列車の中には、かつて、大阪駅と出雲市駅を伯備線を経由してつなぐ、ムーンライト八重垣号がありました。同じやうに、関西と山陰を福知山線経由で結ぶ急行だいせんもありましたが、私にとつて懐かしく、そして思ひ出深いのは、この八重垣でした。
列車名の由来は、松江駅の南方に鎮座する八重垣神社でありませう。八重垣神社の御祭神は、素戔嗚尊を主祭神とし、社伝によれば、
そして、その八重垣とは、素戔嗚尊の次の御歌、いはゆる八雲の神詠にありませう。
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
私は和歌をたしなむ者として、この御歌はとても素敵で、歌の模範とさへ思つてゐます。
また、八重垣神社の鏡の池の占ひはよく知られてゐませう。
ムーンライト八重垣は、かつては、「ふるさとライナー山陰」といふ愛称であつたり、「ムーンライト山陰」とされてゐた時期もありました。さらに、ムーンライト高知と併結されてゐたさうですが、私が乗つた時にはすでに単独で運行してゐました。
いにしへの山陰号
また、ムーンライト八重垣には、他の夜行快速列車にはない「B寝台」が連結されてゐました。間違へて乗るをこの者がゐたので、廃止されたとか。自由席も連結されてゐたさうです。
手元にある平成十一年のJTB時刻表には、京都駅二十二時三十二分始発、出雲市駅六時四十五分着の下りムーンライト八重垣が掲載されてをり、自由席とB寝台が設定されてゐます。
「B寝台」の存在は、かつて京都駅から出雲市駅を結んでゐた「山陰号」の名残でせうか。私の手元にある、昭和五十五(一九八〇)年十月の復刻版JTB時刻表を見てみると、山陰号の上り列車について、次のやうに出てゐます。
「こんなの誰が乗るのだらう…」
と素直な感想を漏らすと同時に、
「乗れるものなら、全区間を通して乗つてみたい」
と思つたものでした。
山陰号は見てのとほり、山陰本線経由です。深夜に頻繁に停車してゐたら、さぞ寝辛いだらうと想像しました。もちろん、運転手も大変でせう。
八重垣の思ひ出
さて、この風雅な列車名のムーンライトには三回乗りました。初めて乗つたのは、私が大学生の頃でした。熊本県人吉市の父の故郷を訪ね、さらに山口県大津郡の母の故郷を訪ね、その帰りでした。
二度目の乗車は、萩を観光した帰りでした。この時は、ムーンライト山陽に乗り、下関から特急いそかぜに乗り換へ、東萩駅まで行きました。
三度目の乗車は、大社を参拝した後、出雲市駅から乗り、未明の岡山駅でムーンライト松山に乗り換へるといふ、荒業でした。若くなくてはできません。今では無理です。
思へば、全て大学生の頃で、しかも上り列車でした。大阪駅からの下り列車には乗つたことがありません。
出雲市駅は高架の上にあります。その駅のホームに、二十時五十分頃、赤いディーゼル機関車を先頭にしていはゆるブルートレイン(14系客車)が入線してくると、にはかに浮き立ちます。当時は、スマートフォンなどありませんから、今みたいにカメラを向けることはできません。せいぜい、インスタントカメラを向ける程度でせう。
青春18きつぷで旅をしてゐると、リクライニングシートがすごいもののやうに思へてきます。山陰本線は、快速アクアライナーのキハ126系や私の好きなキハ120系など、比較的乗り心地の良い車両が出雲市以西は運用されてゐますが、長時間乗つてゐるとさすがに飽きてきます。
そのやうな時に、ムーンライト八重垣のリクライニングシートはすごいもののやうに見えるのです。いはゆるバッタンコシート(起き上がると背もたれが元に戻る)といふ簡易リクライニングシートですが、突然のグレードアップに圧倒されるやうな感覚がありました。
二十一時、出雲市駅を出発しました。進行方向の左側に座りましたが、斐川の平野も宍道湖の夜景も当然見えません。ただ、夜行列車が好きな人の常として見えない景色の向かう側を眺めてゐました。
「あの闇の向かうは、一体どうなつてゐるのだらう」
小さい頃から、寝台特急富士、はやぶさ、あさかぜ、さくらなどに乗つて母の故郷に帰る際、いつも窓の外の見てさう思つたものでした。「名古屋」、「京都」、「大阪」。これらの駅名標を見ると、東京とは違ふ異世界に来たやうに感じました。幼き日と、成人した後も、同じやうに。
さて、米子駅を発車して伯備線に入りますが、この当たりで私はぬばたまの夢の世界です。初めて乗つたあの夜も、すぐに眠りにつきました。
岡山駅では約一時間、停車します。その間に、山陽と高知と松山を併結したムーンライトが現れます。壮観ともいふべき景色ですが、私はそれを二度しか見てゐません。そのうちの一度は、ほんのわづかの時でした。すぐにムーンライト松山に乗り、寝てしまひましたから(翌日は、道後温泉に行きました)。
岡山駅を出発して、未明の山陽本線を東に向かひ、姫路駅を通過して須磨のあたりでは夜明けの明石の海が見えます。海は良いものです。にはかに目が冴えてきます。もしかしたら、下り列車の場合、夜明けの宍道湖の景色を眺めることができたかも知れませんね。
おはりに
ムーンライト八重垣は、私が大学を卒業した翌年の正月に運転を終了しました。
私が、島根県出雲市に一年だけ住んでゐた時、もし八重垣が残つてゐたら大阪や神戸に行くのに役に立つたことでせう。その点は残念に思ひます。
出雲と関西を結ぶ夜行バスは、ポートレイク号やくにびき号など、多彩でした。バス旅も嫌ひではないのですが、夜行列車の旅情はバスには出せない特別なものでありませう。
最後までお読みいただき、ありがたうございました。
写真はWikipediaより転用しました。重ねて御礼申し上げます。
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