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司馬理恵子『マンガでわかる もしかしてアスペルガー! ? ~大人の発達障害と向き合う~』(主婦の友社)を読んで

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。今回は久し振りのブックレビューです。本の内容といふより、私自身について考へさせられることが多く、自分語りとなることをご容赦ください。

 なほ、本書のアスペルガー症候群については、以下をご参照ください。

 「変はつた子」

 私は幼少の頃から、「変はつた子」、「ユニークな子」と言はれて育ちました。
 好きなことや興味があることには没頭する反面、嫌ひなことや興味のないことは本当に苦手でした。
 例へば、幼稚園の頃、みんなが先生の指示で体操をしてゐる中、私一人が隅つこでダンゴムシを捕まへてゐました。
 小学校の頃、みんながワイワイ遊んでゐる中で私だけ歴史の本をもくもくと読んでゐました。
 授業中、先生が黒板を指差し、「この方向に進むと何がありますか?」と発問してきました。私は手を挙げて、次のやうに答へました。

 「黒板にぶつかつて、倒れます」

 このやうに、本当に変はつた子でした。
 さらに、卒業文集の好きなこと欄に、「和歌」と書いてゐました。
 同窓会で会つた当時の同級生は、「あんたは自分の城を作つて、そこに生きてゐた」とか「あんた、相変はらず変はつてるね」と言ひます。彼らは、私の特性に気付いてゐたのでせう。

 中学生になると、勉強に興味がなくなり、好きな本を読んでゐたりしてゐました。私以上に「変な人」が多かつたせいか、特に悪目立ちすることもありませんでした。テストは赤点ばかりでした。ただし、何故か大東亜戦争について異様な知識をもつてゐました。

 「あんたは空気が読めない」

 大学生になると、先輩から説教される機会が増えました。「ちよつとをかしいよ」、「普通に生きるのが一番良いんだ」みたいなことをよく言はれましたが、自分では何がをかしいのかさつぱりわかりませんでしたし、「普通」の意味もよくわかりませんでした。
 友達と一緒にゐる時間よりも、一人でゐる時間の方が長かつた学生時代でした。

 大学を卒業し、社会人になりました。すると、研修などでなんとなくですが「違和感」を感じるやうになりました。同期の人が簡単にできてゐることが、できません。例へば、営業のロープレが全然うまくできない。怒られるのが怖いからメモをたくさんとるものの、役立たない。営業の検定試験を何度も受け直したこともありました。

 「なんでみんなができてゐることが、自分にはできないんだらう

こんな素朴な疑問を持ち始めるのも、この時期でした。

 飲み会では、気が付いたら一人でゐることが増えました。人に溶け込めないのです。そのうち、飲み会には行かなくなりました。

 恋愛しても、素敵な方と出会つても長続きしないし、ネガティブな記憶に支配されて行動できないことも多いです。せつかくお付き合ひできたのに、相手の方から音信不通になつたり、一方的にフラれたり、何が原因かわからないまま失恋に至ることばかりでした。

 「お前、俺のこと興味ないよね?

そのやうな言葉を投げかけられたこともありました。そんなことないのに。すごく相手のことを知りたくて、仲良くなりたいのに。言はれたのは、そのやうな言葉でした。

 「あんたは空気が読めない」、ある人からさう言はれたこともありました。「空気」と言はれても、見えないものはわかりません。どんな状況下もよくわかりません。なのに、しばしばそのやうに言はれました。

 かうしたネガティブな出来事を、私は「違和感」といふ言葉で片付けてゐました。
 そして怒られたり、「空気が読めない」と言はれるのが嫌だつたので、必死に空気を読み、周りに溶け込まうとし、人の期待に応へようとしました。
 このやうに苦手なことを毎日毎日してゐたら、やがて脳も体も心も疲れてきて、さらに自分の限界を超えてしまひました。自分をいじめ続けてゐた、といふことですね。

 不惑を超え、適応障害の診断を受けました。その際に、ある医者は、「あなたはASDです。そこに適応障害の一因があるかも知れない」とはつきり言つてくれました。またある医者は「さういふ傾向もありますが、グレーです」と言つてゐました。
 教育に携はる者として、発達障害について知識を持つてゐましたし、何となくさうなのでは、と思ふこともありましたが、絶対に自分は違ふと信じてゐました。しかし仕事を休んでゐた時、私は自分が発達障害だといふことを受け入れました。「自分を許さう」、「そのままの自分を認めよう」と思つたからでした。

 お世話になつてゐる人から、「玉川さんはもつと楽に生きられたら良いのにね」と言はれてゐたのですが、何ヶ月経つてもわからない「楽に」の意味がやうやくわかつたのでした(抽象的な表現は苦手なのです)。
 受け入れたくなかつたことを受け入れた時、「違和感」の正体が「生きづらさ」だとわかりました。そしてそれは私が「困つてゐたこと」なのでした。

 「楽に生きる」

 今では、ST気質といふ言葉に出会ひ、そのやうに受け止めてゐますが、その特性ゆゑに今も辛い思ひをすることがあります。人の気持ちを考へたりするのが苦手(といふよりできない)なので、思つたことをストレートに表現することもたくさんあります。
 先日も、私のものをはつきり言つてしまふことが原因である人から怒鳴られました。大きな音(子供の泣き声、サイレン音、怒鳴り声など)が苦手な私は、パニック状態(私の場合はフリーズ)になつてしまひました。

 しかし、たとへ「生きづらく」ても、自分らしく生きることの方が楽です。「なんでできないんだらう」と自分で自分を責めてゐるよりも、自分に優しくしてあげた方が、落ち着きます。
 私はこだはりが強いです。いつも使つてゐるペンがないだけで、落ち着かなくなりますし、読書やサウナなどの日常のルーティンが乱されるのがとても嫌です。行きつけの銭湯では、お風呂に入る順番も決まつてゐます。なるべく、そのこだはりを守れるように、自分にしてあげてゐます。さうすると、気持ちが落ち着くのです。

 ASDの人が楽に生きるには、他者の理解が必要です。決して「甘え」ではないのです。なかなか理解されない「生きづらさ」や「困難」、「困りごと」を持ちながら必死で生きてゐるのです。
 そして、それ以上に当事者がその事実を受け止め、「自分を許す」、つまり「私は私のままで生きて良いんだ」と思ふことが必要です。「私は私のままで生きたい」それが私が見つけた「楽に」生きる方法です。願はくば、私が私で生きることを、一人でも多くの人に認めてもらひたいです。

 アスペルガー症候群、今では自閉症スペクトラム(ASD)と言はれてゐますが、その特性は人それぞれです。さうした特性を理解するのに、本書はとても役立つでせう。
 ASDの方や、周りにさう思はれる人がゐる人にとつて、お互ひを大切にしあふヒントが、もしかしたら本書にはあるかも知れません。

 生まれつき 人とことなる くせはあれど 世に二つなき 我が身なりけり 可奈子

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

 姫野桂さんは、「生きづらさ」について色々と書かれてをり、参考になりませう。

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