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乃樹愛『なんで私が適応障害!?暗闇の中で光を見つけた私。』(合同出版)を読んで

 「まさか、自分が…」

 「適応障害」といふ名称は、皇后陛下も当時、罹られたといふことで知つてゐました。

 さらに、同じ職場の人がなつた人がゐるのを見て、多少身近なもののやうに感じました。

 職場以外の親しい人がなつて、その大変さを間近で見ることもありました。

 そして、まさか自分が「適応障害」になるなんて、夢にも思ひませんでした。

 この記事に目をとどめていただき、ありがたうございます。一冊の本を通じて、自分のことを振り返り、今後の生きる糧にしたいと思ひ、感想とは少し違つた書き方になつてしまひました。どうか、最後までお読みいただければ幸甚です。

 一年前の三月末頃、都内の某心療内科にて「適応障害」の診断を受けました。きつかけは、職場環境の変化と多くの外的刺激です。それらは私にとつて多大な、そして過剰なストレスとなり、気付いたら限界を超えてゐました。

 多くのストレスにより、様々な症状が現れました。まづ、眠れなくなりました。いつも二十三時には寝るやうにしてゐるのに、二時間、三時間経つても眠れません。仮に、眠れたとしても一時間置きに目が醒めてしまひます。それが何日もずつと続きます。安眠できるのは、休日の前日くらゐでせうか。
 そして仕事中は、手が震へ、思考力や注意力も低下しました。人前で笑へなくなりました。無理して愛想笑ひをしたり、冗談を言つたりできなくなりました。過食になり、必要以上に食べ物を食べてしまひました。解消できないストレスを、浪費でどうにかしやうとしました。朝は腹痛と下痢に襲はれます。緊張感が強く、それにより毎日のやうに頭痛に苦しめられました。出勤時には、動悸がして何度も通勤途中に胸を抑へました。
 大好きなサウナに入る気力もなくなり、毎日のやうに通つてゐた銭湯に行けなくなりました(私はサウナを健康のバロメーターだと思つてゐます。サウナに入れなくなつたら赤信号だと)。
 かうした現状をどうにかしたいと思ひ、結果的に某心療内科を受診することになり、「適応障害」の診断を受けました。

 その心療内科へは何度か通ひました。しかし医者は基本的に、薬を出すこと、診断書を書く以外してくれませんでした。診察は早くて一分で終はりました。最初に「適応障害」の診断をされた時、多くの睡眠薬や抗うつ薬を処方されました。通へば通ふほど、処方薬は増えて行きました。そして、飲んでも大した効果を得られず、むしろ多くの副作用をもたらしました。
 医師も薬剤師も、副作用について何の説明もしてくれませんでした。最終的には、重度のうつ病患者が服用する量が「適応障害」の私に処方されてゐました。

 薬を飲めば、不安はかなり軽減され、人前で笑へないほど抑鬱状態にあつても異様なハイテンションになりました。不安が軽減される代はりに思考が働かなくなり、文章が書けなくなりました。入眠もスムーズになりましたが、朝起きるのが辛くなりました。ホルモンバランスが乱れ、暑いのに暑さを感じられなくなりました。
 半年近く飲んで、一切の服用を止めましたが、いくつかの副作用が今も尾を引いてゐます。止める際には、離脱症状で苦しみました。しかし、思考が回らなくなり、好きなことができなくなるよりマシでした。なほ、断薬については、内海聡氏の以下の書も参考にしました。

 薬を断ち、部署も変へていただき、寛解しました。「二度と、迷惑はかけまい」。さう決意して、忙しくても耐へ、自分なりに精一杯取り組んできた、つもりでした。
 しかし最近になつて、再び「適応障害」の診断を受けました。上に記した症状が、再び現れてゐました。無理が祟つたのでせう。診断を受け、休職となり最初の一月は本当に無気力状態(抑鬱状態)でした。自分の価値を見失ひ、「自殺」の危険と隣り合はせな毎日でした。「自分なんて生きてゐても何の価値もない」。毎日、毎日、さう考へてしまひました。それは今でもさうです。
 意味もなく涙が出てきたりもしました。図書館と家と銭湯の往復以外しませんでした。そして、暗闇の中で一筋の光を掴むため、noteをはじめてみました。
 今はある程度、安定し、自殺念慮も消えましたが、いつまた以前と同じやうな状況に置かれるとも限りません。その不安でいつぱいです。ストレス因子を断ち切つて、六ヶ月以内で症状は消えるといひますが、まだ少し残つてゐます。


 「適応障害」は決して他人事ではありません。誰もが罹る可能性を秘めてゐます。そして、当事者にしかわからないことばかりです。
「適応障害なんて、サボつてゐるだけだ」、
「みんな苦しいんだ、なのにあいつだけなんで休んでゐるんだ」と、心ないことをいふ人もゐます。休職してゐる間も、不安は拭へませんでした。

 しかし、ある方は私にかう言つてくれました。
 「真面目で、細かいところによく気がつく、優しい人。さういふ人が「適応障害」になるほど追ひ詰められてしまふのだよ。可奈子さんはよくやつてきた、それだけのことだよ。誰かと比べてはダメだよ。可奈子さんには可奈子さんの良さがある、それは決して他の人が真似できることではないよ」と。
 多少、救はれました。頭の中ではほどほどで手を抜いて良いとわかつてゐてもそれをすることができない真面目な人が「適応障害」になるのだとその方は言つてゐました。
 「如何なる人であつても、二度も「適応障害」になる環境がまともなわけがない。さうした環境でも耐へてゐる人はすごい。けれど、可奈子さんだつてさうなるまで耐へたのだから十分だよ。自分を責めてはいけませんよ」、さう言はれ、肩の力が抜けました。


 壊れた心の修復には、時間がかかりませう。つまり、一度壊れた心は簡単には元には戻りません。少なくとも私は、今までできてゐたことに対して想像以上の恐怖を感じるうやうになりました。以前と同じやうには働けないかも知れません。しかし、それで良いのでせう。
 二度の「適応障害」は、きつと私にとつて必要な経験だつたのでせう。それは、見えない何かが「あなたらしく生きてゐないよ」と教へてくれたのかも知れません。これからは、もう少し「自分らしく」、そして「楽しく」残りの半生を生きて行くために考へなくてはなりません。
 メンタルを強くすることはできません。私もありとあらゆることに取り組みましたが、メンタルが強くなつたと実感したことはありません。「メンタルを強くする」みたいな宣伝や広告は、私からすればウソです。それよりも、そのままの自分を認めてあげて、ストレス因子を避け(君子危ふきに近寄らず)、魂が求めてゐることに忠実になることの方が大切でせう。

 本書の著者の方は、大学を卒業後、学習塾業界に就職されました。そこでの研修や勤務から「適応障害」を発症し、その診断を受けました。私も学習塾業界にゐたことがあるので、著者の苦しみは痛いほど、わかりました。しかし、本当に苦しいのは、家族の理解を得られないことです。そのことは、本書の中でも描かれてゐます。仕事の苦しみ以上に、親の理解を得られないこと、そして、作者の方が大変な思ひをされたこと、そのことが胸を打ちます。

 さらに著者は、退職後に絵を描くことによつて救はれました。多くの人が復職し、苦難の毎日を歩む中、光を見付けられ、自分の本当に安心できる道に進めたことは感動的でさへあります。やはり、人は自分が本当に生きたい人生を生き、好きなことを見付けなくてはならないのでせう。しかし私にはまだ、暗闇の中でもがき、光が見えてゐません。
 優しいタッチの漫画でとても読みやすいものです。一人でも多くの人に、「適応障害」といふものを知つて欲しい、そのために本書は非常に有益でせう。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

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