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職場の携帯がガラケーなのに思わず画面をタッチしてしまった。
感覚ってこうも変わるのか…と、自分の無意識の行動に愕然とした。

世の中にはセラピストの数と同じくらいのセラピーがあると言ってもいいくらい沢山のセラピーがある。セラピスト自身が良いなと感じたことを提供しているのでセラピーを受ける側は、色んなセラピーを受けることが出来る。洋服を着こなすようにセラピーを自分に取り入れてみたらいいと思う。

「癒す」「療す」=いやす
今は便利な世の中で便利な道具に溢れている。同時に言葉も溢れている。
生きていく為の道具が少なかった頃はどうだっただろうか?
おそらく道具が少ないぶん、言葉も少なかったはず。
そんな大昔にどのようにして人と人が繋がっていたのだろうか?
「愛」なんて言葉はあったのかな?
自分の感覚がビビッと働いてビビッを表現する為にダンスを踊ったりしてたのかな?
なんて想像する。
「感覚」
道具が溢れていくと感覚が薄れていくのだと思う。
感覚が薄れていくから糸がもつれるかのように人間関係ももつれていく。
もつれると疲労する。心が病む。
心が病むから「癒す」「療す」=いやす。

他愛もない日常の会話でさえもセラピーなんだと思う。

結局
人と人が繋がることが
「癒し」「療し」=いやし

なんだと思う。

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