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夫が私を大事にする理由

今年の11月で結婚して丸34年になる。
3人の息子を夫と二人三脚で育ててきて、昨年三男が社会人になり、一応親の役目は果たせた、さてこれからやっと自分たちの時間が持てるかと思っていた矢先、義母の介護が必要になった。

昔気質な義母は特に義父が亡くなって以降、元気で何でも自分で出来る頃から私たちに依存するようになった。私は義母のそんなところが嫌いだ。

己の欲せざるところ、人に施すことなかれ

私は幼少のころ、離婚した両親がそれぞれ新しい家庭を持ったことから居場所がなくなり、高卒で就職するまで祖父母に育てられた。
親が恋しい幼少時代に親に見放されたことは心に深い傷となって、とにかく、人に嫌われたくない、見捨てられたくないという思いが刷り込まれて大きくなった。そのせいもあってか、他人に迷惑をかけることが何より嫌で何より怖かった。

自分がされたくないことは相手にしてはいけない。嫌われたら捨てられる。その恐怖から、大人になった今でもずっと守り続けている。

だが義母は違う。自分の欲求を遠慮なく口にする。それによって相手が困ることになろうと、嫌な思いをしようと全くお構い無し。そんな義母を嫌う義兄夫婦は面倒を見るどころか様子を見に来ることもないし電話をしてくることもなかった。そのためしわ寄せは私一人にのし掛かり、私はもう何年もこの理不尽な思いと不公平感に苛まれ、ずっと胸がつかえたような重苦しい気持ちでいる。

私の夫は義兄と二人兄弟である。義兄は前述のように妻である義姉が姑である義母のことが嫌いであるため、その気持ちを尊重して全く実家に寄り付かないのであるが、夫は違う。

結婚した当初から夫の最優先は母親だった。
特に19年前に父親が亡くなってからは一人暮らしの母親のことを心底心配していた。おそらく四六時中母親のことを考えていて、たぶん一緒に暮らしたかったに違いない。しかし、それをしなかったのは私に配慮してのことではない。義母が二男世帯と同居することを望んでいなかったから。義母は昔気質であるため、友人知人、近所や親戚の手前、「長男が親の面倒を看るべきだ」という体裁を気にしていたからだ。
しかし、いくら義母がそれを望もうと妻思いの義兄が同居をするわけがない。
そんな母親を心から不憫に思い、とにかく母親の願いを少しでも叶えてやれるように、長男がダメでも二男がいる、 夫は夫なりに考えたのだ。

母親の面倒を私に看させるためには

とにかく私に献身的に尽くすこと。

昔気質な母親の望みは、介護は嫁がするべきだということ。それを叶えてやるには私を何とか動かさなければならないわけだ。

結婚34年の間、いつも私の機嫌を取りながら、実は母親によくしてもらいたいという下心が明らかに見て取れた。私に対するニセの思いやりに私が気づかないはずがない。私のために尽くしているフリをして、私が母親の面倒を断れないように、私に罪悪感を持たせて仕方なくでもいいから母親の望む嫁の介護をさせようと目論んだのだ。
この34年間、私がこれでどれだけ傷付いたか。
私への優しさに見える行動は、私へ向けられたのではなく、その向こう側にいる母親へ向けられたものなのだ。
私は夫が今まで一度も純粋に私のことを心配し、私を思いやってくれていると感じたことはない。私を心配している(フリをする)のはただただ母親の面倒を看てほしい思惑からきているだけなのだ。

この最近、義母の介護が必要になってから特にそれが顕著に現れるようになった。
義母が生きている限り、いや、亡くなってからも私は夫にとって最優先になることはないだろう。
私は自分を1番愛してくれるべき存在であるはずの両親からも捨てられ、結局夫からも一度も純粋に私個人が大切にされていると感じることはできなかった。

この胸のつかえがなくなり、息を肺いっぱいにすって気持ちがすっきりするにはどうしたら、どうなればいいのか。

自分でもある程度答えはわかってはいるが、はっきりさせる勇気もない。

義母は今年で90歳
人生100年時代。私はとてもあと10年もこの息苦しい酸欠状態で生活できる自身はない。
そんな私のSOSをこれから先も夫は無視し続けるんだろうか。
先に離脱してやって夫を困らせてやりたい衝動にかられそうになる。


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